
自画自賛の魔法 セルフ・エフィカシー
我は時を持て余した傀儡へ命を吹き込むものなり。
我の紡ぐ文章によりて虜となりその動きを止めよ。
轟き 惑わせ 掌握せん。
「セルフ・エフィカシー!」
という事で記事を書く前には自己効力感をしてみよう。
言葉は無駄にカッコいいが 要は自分で自分を褒めて能力を伸ばすというモノ。
うん。
ぼっち臭がするね。
でもクリエイターが作品を作る時は常にぼっち。
自分との闘いだ。
別に誰も褒めてくれない。
だから自分で自分を褒める自画自賛にはなんの後ろめたさもないのだ。
クリエイトする前にセルフ・エフィカシーを行う事で自分の才能を信じ より良い作品が誕生するというわけ。
書く前からネガティブな気持ちでユーモアに富んだ記事を書くことは至難の業。
セルフ・エフィカシーが気持ちのいい完成への道しるべとなるのだ。
だれも損しない。
やらない手はない。
え?
そんな魔法のようなコトはありえない?
あー。
それはあなたが詠唱を軽視しているからだ。
その魔法の名前だけを叫んでも仕方がない。
例えばドラクエの「メラ」やFFの「ファイア」などはその魔法の名前を唱えるだけで発動しているように見えるだろう。
それは大きな間違いだ。
魔法を行使する前には必ず詠唱をする必要がある。
いや、詠唱が本体であり火が出るのはおまけのようなモノ。
それほど詠唱というのはカッコいいのだ。
詠唱するからこそ魔法という概念が確立し威力が向上する。
是非とも我が物としたい。
こんな風に詠唱というと 厳かで尊大なイメージ を持ってしまうと思うが あなたも日常的に行っているはずだ。
あなたが人を褒める時「すごい」だけで終わることはあまりないことと思う。
「すごい」の前に その根拠を述べるものだろう。
〇〇だから とか〇〇なのに とかなんでもいいがそういう説明のような言葉。
それは立派な詠唱だ。
「すごい」という相手が気持ちよくなる魔法の威力を高めているのだから。
この詠唱の良し悪しでその人の技量が伺いし知れるというもの。
この技量が卓越した人間がいわゆる「人たらし」という人種だ。
それを悪用するのが「詐欺師」というわけ。
しかし、しかしだ。
そんな詠唱で競うなど愚の骨頂。
だれもかれも 飾られた綺麗な言葉を並べるだろう。
僕はその一歩先を行く。
それは
「詠唱破棄」
である。
詠唱のありがたさを延々と語っていたのに何を言っているのかと疑問に思っているだろう。
でもね。
もしこう言われたらどう思う?
「なに!? 詠唱破棄でこの威力…ッ!」
と。
くぅ~。
憧れる~。
グダグダと詠唱でお膳立てしなくても 一言「すごい」と言えば周囲の人間は騒然となる。
まさに王たる風格。
そんな人間になりたい。
僕が毎日紡ぐエッセイもいわば詠唱のようなモノ。
ひとことで伝わるメッセージを詠唱で引き延ばし、威力を増幅させているに過ぎない。
だから一行のつぶやきで4桁スキを獲得したならば。
僕は「詠唱破棄でこの威力…ッ!」状態であると言える。
道のりは長い。
さて冒頭で自己効力感を詠唱付きで発動させたが記事の内容はどうだろうか。
僕の感想ではいつもよりも論理の飛躍がすごいように感じた。
それが良いのか悪いのかは僕には判断できない。
でも記事を書き始める前に 自分を鼓舞する事はマイナスにはなりようがない。
気持ちよく書き進めることができた。
是非とも全クリエイターが導入し詠唱の精度を高めて欲しい。
僕は逆に詠唱をそぎ落とし「詠唱破棄でこの威力…ッ!」を目指すよ。
ではまた。