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【53日目】お日様を浴びたい
2/11(火)
インフルエンザからこっち、どうも自分の「食べたいもの」がよく分からなくなってしまった。
お腹は空くのに、食指が動かない。
何かを食べたいけど、何も食べたくない。
以前は好きだった、甘いお菓子やパンに心が踊らない。なんか、もっとエネルギーが満ちたものを食べたい。だけど、米も違う、野菜も違う、肉も違う。
四十路になってから食欲自体だいぶ衰えたんだが、お腹が空いてスーパーやコンビニに行っても、「食べたい物が何もない」という現象に襲われることが増えるようになった。
その時に、姉とLINEで話していたら、姉がこんな返信をくれた。
「たぶん、概念としてのママに美味しいご飯とお菓子と温かいものを勝手に出してもらいたい欲求なのでは。と、最近思う。身体に良いものと脳が喜ぶものを勝手に並べてもらいたい」と。
概念としてのママ…!!
この言葉への分かりみが凄すぎて、私はなんだか膝から崩れ落ちそうになりました。
そう、私は、ひたすら受け身のまま、あったかくて栄養が整った食卓を、愛情と共に差し出されたいのです。ご飯が食べたいんじゃなくて、愛が欲しいんだ。
今日は夫の提案により家族で外に出かけて、屋外で簡単なバーベキューをしたのだけど、私はなんだか相変わらず元気が出なくてずっと木の根っこに座って太陽を浴びていました。
太陽の光は、弱った心身にとって、割と「概念としてのママ」に近い物があるように思います。一日中、静かな部屋で、猫と一緒に太陽の光を浴びて眠り続けたいな。安全で、柔らかくて、あったかくて、良い匂いのする空間に、永遠に包まれていたい。
なんだかすっかり弱ってしまっている。
仕事が長期休暇中で、しばらく働いていないせいもあるんだと思う。自分を律する必要がないからか、どんどん溶けていっている。輪郭を保てない。
明日は久々に出勤なので、また少し気持ちが変わるかもな。なんて淡い期待を抱いて。
【本日の記録】
→…を、習慣として書こう書こうとは思うんだけど、最近書きたくないんだ。
なんか、そういう気分じゃない。