13km走りながら思ったこと。
今日は運動公園を13km走った。走りながら思ったことを記録しておく。
1.エネルギー問題
参勤交代のように、萩往還のように、場所を移動する目的もなく、ただただ、公園の中をグルグル走っているのは、生物としてどうなのか。エネルギーは生存のためにセーブするべきではないのか。私はなにをしているのか。
ランニングは心肺機能、走る筋力や能力などの維持が期待できる。食べて得たエネルギーは、心肺機能、走る筋力や能力を未来へ少し持ち越せる可能性に変換されている。
2.走る意味
私は純粋にランニングを楽しんではいない。休日は必ずランニングするようにしているが、そのランニングに期待していることとしては、
・体が錆びつくことを心配しているから。
・これまでできていた走るという運動ができなくなるのが怖いから。
・運動は健康にも脳にもよいという話だから。
の3点が思いつく。
別に、走ることが楽しい!マラソン大会に出たい!なんて気持ちは微塵も存在しない。このため、ランニングにはポケモンゴーの併用がマストである。勿論、画面を見て走ることなどはできないため、オートキャプチャーという大人の課金を行い(ランニング好きな人は、よりよいランニングシューズを購入しているのだから私だって課金してもよいだろう。)、ポケモンの捕獲は自動化してある。休憩時に捕獲されたポケモンをみてよく動いたなと楽しくなるのである。
このようにして、できるだけランニングしていることを意識せず、ランニングよる効果を享受しようとしている。
3.季節
いつの間にか12月である。寒い。特に手が寒い。
4.コスパとアドレナリン
運動公園でランニングをしていると野球やテニス、サッカーなど様々なスポーツをする人を見る機会がある。彼らはその運動をするために、必要なラケットやボール、専用の靴を用意してスポーツを楽しみ、アドレナリンを出して気持ちよくなっている。
そんな中、私はどうだろうか。服も靴も指定はなく、1軍落ちした服の寄せ集めでランニングをしている。このため、運動することに関して、手出しのお金はゼロである。しかし、たいして面白くもないので、アドレナリンもゼロである。一体どちらがよいのだろうか。
これは考えてもしょうがなく、答えはその人による。私は幸せをとるか、運動効果をという視点で比較し、運動効果を優先している。私が運動するのは、あくまで健康のためであり、運動が習慣化できなければ、仕方がないからだ。