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読書記録4「AIvs教科書が読めない子どもたち」
所感
筆者のAI(AI技術)に対する知見の深さが面白く、あっという間に読み切ってしまいました。AIにできることとできないことを整理して、現在の技術ではシンギュラリティは来ないというのも驚きです。
一方で、3章の教科書が読めない子どもたちに対する分析は、私見が入りすぎている印象。確かに、筆者が実施したテストの結果から、子どもたちが教科書の内容を正確に読解できていないのは事実なのだと思います。以下で、私が考えた反論を3点メモしておきます。
①教科書が読める=今後の社会に必要な能力?
読解力(AIに勝てる可能性)=文章や数式から意味を考える力?(本書を読んだ私の認識)
そうだとして、活字を読むことに偏りすぎている気がします。
世の中には、活字だけでなく、音声、動画、写真、絵、図、実際に触れる、においをかぐなど、情報を受け取る方法は様々です。
教科書が読めないから読解力を高めよう、は少々マッチョ思想すぎるかなと感じます。AIと人間の違いは意味が理解できるか、であるならば、受け取る媒体は何でもよいのでは?
②学校期で教科書を読めるようにする必要があるのか?
現に筆者は「いくつになっても、読解力は養える」と書いている。つまり、やる気や必要があれば、何歳から難しい文章を読みたい!と思っても遅くないのである。
そう考えると学校期で必要なのは、理解できずとも読むことを楽しむ力であったり、楽しみの幅を広げたりすることではないか?
③教科書が読めないのは子どもだけ?
私も恥ずかしながら、本書の読解力テストを何問か間違えてしまった・・・ ということは、本書の内容をちゃんと読めていないかも。
本書では、中学生高校生に向けたテスト結果が示されているが、大人が受験した場合どうなるのか。正直大人も読解力があるか怪しいと思う。(自分も)
教科書を執筆している人や教える教師や親に読解力がないのに、子どもには読解力を求めるのは酷ではないか? 子どもに読解力を求めるのであれば、大人の現状も調査するのが妥当ではないでしょうか。(※先行研究があるかなどはちゃんと調べていません)
いろいろ批判的に書いたが、子どもは(私も)ちゃんと教科書を読めていないということは事実である。そういった現状で、どう子どもと向き合っていくべきか、一教師として考えていかなければいけないと考えさせられた。ただ、「教科書を読んでおいてね」では理解できないのだから、何かしらの追加の手立ては必要でしょう。
新井紀子「AIvs教科書が読めない子どもたち」(2018,東洋経済新報社)