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逆上がりって、できないといけないの??(体育を学ぶ意味について)
体育の目標は?
皆さんはどう思いますか?
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体力づくり、、大人になったときに運動不足で困らないように、学級経営の基礎、集団としての規律・・・など、様々な意見がありますよね?
結論から言うと私は、体育の目標は大人になったときに、「スポーツがしたい!」と思えるような子供を育てることだと考えています。
そのために、体育の学習では、運動を楽しさを味わうことや楽しみ方を学ぶことが大切だと思います。
学習指導要領にも「豊かなスポーツライフ」という文言がありますよね?
スポーツは遊び!
皆さんが、大人になってからするスポーツを想像してみてください。
私の場合は、ロードバイク、マラソン、フットサル、ゴルフなど、誰かに強制されたわけではなく、楽しいから行っています。
プロ選手でもない限り、ほとんどの人がそうではないでしょうか?
つまり、スポーツは「遊び」や「レジャー」なのです。
※遊びの定義や分類については、ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」やヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」が参考になります。
詳しくは、長くなるので別の記事で触れたいと思います。
スポーツを楽しめる大人になるために
「遊び」や「レジャー」として、スポーツを楽しめる大人になるために、学校教育で必要なことは何でしょうか?
私は、遊びは遊びを通してしか学べないと考えています。
それぞれのスポーツ(遊び)の楽しさを味わったり、遊びのルールを知ったり、楽しく遊ぶための友達との付き合い方やマナーを知ったり、こういったことを実際に体験しながら実感していくことが大切なのではないでしょうか。
逆に、こういったことが理解できていないと、運動の楽しさがわからない運動嫌いや、自分中心でみんなで楽しむことがわからない人を生み出してしまうことになりかねないと思います。
逆上がりって・・・
小学校時代、私は逆上がりができませんでした。
逆上がりができるようになるために、先生や親が一生懸命になっていたのを覚えています。
学校では、逆上がりのテストがあり、できない子は補助版などで練習させられて、ほかの技に挑戦させてもらえませんでした。
家では、親に「逆上がりができるまで帰ってくるな!」と言われ、公園でひたすら練習をしていました。
しかし、努力もむなしく、できるようになりませんでした・・・
残ったのは、鉄棒が嫌いという感情だけ・・・
高校2年生になると
ある日、部活をサボって鉄棒で遊ぼうとなったときに、逆上がりに挑戦してみると、なんということはなく簡単に回ることができました。
今までできなかった原因として
・小学校時代は、体重が重かったこと
(50m走は、ビリから2番目でした)
・腕力も弱く、懸垂が一回もできなかったこと
などが挙げられると思います。
中高にかけて、体重は激減し、懸垂もできるような腕力がつくと、軽々とできるようになりました。
ここで得られた教訓は
・体育の授業で、無理に取り組まなくても、自分の技量が上がればそのうちできるようになることがあるということ。
・一度運動が嫌いになると、「成長してからもう一度やってみよう!」という気持ちが生まれない可能性があるということ。
私の場合、「鉄棒が嫌い」という感情よりも好奇心が勝ったので、高校生になってから鉄棒に触れたが、おそらく多くの人は、本気で嫌いになってしまったものは2度と触りたくなくなってしまうのではないでしょうか。
・高校時代も今も、逆上がりができたからと言って、人生や仕事に何ら影響はないということ。
ここまでの話を整理すると
・無理に技を身に着けさせようとトレーニングさせることに意味はない。
将来の仕事にかかわるわけでもなく、運動嫌いを生み出すだけ。
・体育の授業では、運動の楽しさ・面白さ(専門用語で運動の機能的特性といいます)に触れることが大切。
・一人ひとり持っている力や成長のスピードが違うので、それぞれの力にあった楽しみ方ができる授業デザインが必要。
以上が、私が考える体育の授業です。
noteの記事、第2号ということで、これまで勉強してきたことや、自分の考えの根幹となる部分の考えを文章にしてみました。
細かい説明を省略している部分もありますので、詳しく掘り下げた記事は今後作っていきたいと思います。