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苦悩の日々の処方箋

ADHDの当時を思い出すと、頭が常に靄(もや)がかかったような状態
何かをしようとしても数分間も根気が続かない、頭の中は常にぼんやり
物を落としたり、直前のことを忘れたりすることも頻繁でした。

仕事にも支障が出ていたので、心療内科や精神科を受診して
ADHDの処方薬「コンサータ」を飲み始めたのです。

最初の効き目はありました。
頭がパキッとクリアになり、集中できるように。

しかし、同時に甘いものが無性に食べたくなったり、
飲み続けていると鬱(うつ)のような症状が出てきました。

薬の量も徐々に増えていきます。

当時は死にたいと言う気持ちが自然と
出てくることも多々ありました。

片道1時間以上かけて医師に会いに行き、待ち時間は3時間、
話しを聞いてもらえる時間は大体およそ15分程度

近況をある程度、報告して毎回言われることは大体同じでした。

・無理をしないでくださいね
・ゆっくり休んでくださいね
・薬をしっかり飲むように

悩みも聞いてもらったりもしていたので
担当の医師にもちろん感謝していますが、

このままでは自分の母の薬の副作用がそうであったように
何かを変えないと良くならないと直感的にも疑問に思い
仮説を自らで立て始めました。

医師や何かに一方的に依存すという考えを捨ててゼロベース
で何が原因でどうすればいいか考えてみる事にしたのです。

また仮説を立てるだけではなく、体調が良かったときに
していたことと、体調が悪くなってからしていたことを
冷静になって分析し始めました。

元々は学校の成績も良く体育もずっと
5をとっていた超健康体でした。

昔から私を知る友人は精神手帳2級まで発行してしまった
過去(現在は3級)を信じられない人も沢山いると思います。

そして、考えた末に決定的に変わっていたものが6つありました。

1.運動の習慣、学生時代は月間420kmランニング
フットサルは鹿児島県で優勝し全国大会も経験

陸上部でも鹿児島県代表選手、
ハーフマラソン大会新記録で優勝

このように運動が好きで打ち込んでいたのです。

大人になってから仕事で忙しくなり、
いつの間にか運動習慣が激減していました。

2.食事、田舎でオーガニックの食品で健康的な食生活だったが、
独身の一人暮らしで食事も外食が増え栄養バランスを崩していた。

3.睡眠、8時間は寝ていたのに、仕事で忙しく3時間睡眠も普通にあった。

4.薬、そもそも以前は飲んでいなかった。

5.家族のことでずっと引っ掛かっているトラウマがあった。

6.人間関係、住み慣れていた土地から離れて心を割って話せる人が
非常に身の回りから少なくなっていた。

このように分解していき、また更に考えて一つずつ実践して
いく事にしたのです。また分からないところは納得いくまで
調べてみる事にしました。

専門領域を超えて本を書い、有料講座に通い資格を取り
医師、ハイパフォーマー、バイオハッカー、世界の医療
に学び、運動はヨガ、筋トレ、ボクシング、フットサル
料理教室にも通い多種多様な事を試しました。

そして、今まで信じていた常識を疑い
自分の中ではこうすれば解決できる

と言ういわば「方程式」を見つけてしまったのです。

つまり、原因と結果に対しての解決策を考えて
実践と試行錯誤を続けるうちに最適解を見つけました。

少し例を出すとこんな感じです。

・脳機能の異常
・代謝障害
・細胞の炎症
・ミトコンドリア
・ドーパミンハック
・インスリンスパーク
・糖質燃焼型
・脂質燃焼型
・薬とは何か
・デトックス
・食、運動、睡眠
・瞑想、呼吸
・精神医療の歴史
・スーパー・ヒューマン・ライフスタイル

といった少し専門的な話にもなっていきますが
なるべく難解な言葉は避けて分かりやすく
ご説明していこうと考えています。

人間とは本来、千差万別であり現代の主流を占める
西洋医療の対処療法だけで良くなるとは限りません。

それは本来、当たり前の話です。

科学という文脈と紐ずく西洋医療は決して万能ではないのです。
もちろん、東洋医学や中医学やアーユルヴェーダも万能ではありません。

それぞれの医学で得意分野も苦手分野もあるのですから、
都合よく「いいとこどり」をすればいいのです。

人間というものが地球が誕生してからの長い歴史の中で
科学という文脈で理解できていることは、宇宙や大自然の
法則や摂理の中のほんの一部分だけにしかすぎません。

このように人間中心の考え方を改めていくことが出発点です。

自然や宇宙と調和した生き方を追求していくこと
これこそが、本来の人間のあるべき姿なのです。

というわけで、また次回にしましょう。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。







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