小説「宇宙犬マチ」 第3話
七 結論 マチ
最終の宇宙司令への報告まであと三日。
地球上にいる三十人もの仲間からの報告は全て届いてきている。
その結果は、誰が見ても明らかだった。
でも、でも……
みんなの報告には注釈が付いている。全てにね。
その多くは、彼らが詳細に調べた国のトップや権力者たちには、利己主義が蔓延していて、
このままいくと地球は近いうちにもっと大きな戦争を起こし、破滅に進む。
そして間違いなく宇宙も巻き込んでいく、というもの。
しかし優しく、愛情が深く、平和を求めている一般の人たちがほとんど。
これが、全ての報告書に共通していた。
仲間は冷静なリサーチャーばかり。
しかし、これを宇宙司令にどうわかるように報告すればよいのか。
ますます“?????”がたくさん付いてきた。
最終判断は、僕を含めた三人に託されていた。
ミーティングが今夜開かれる。
その前に自分なりの結論を出しておかなければならない。
僕はどうにも考えがまとまらずに、家の中をウロウロ歩き回っていた。
いずれにせよ、結論は二つしかない。
地球を消してしまうか、存続させて大幅な修正をかけるか。
たいてい“悪”とみなされた星は、全てを消し去ることがほとんどだった。
そのため、かなり昔に強力な破壊装置が、すでに地球のマントルの部分に埋め込まれている。
今まで、僕が調査した星は、全て消えてなくなっていた。
修正が成功したという話は、一回も聞いたことがない。
「マチ! 今日は落ち着かないね。どうした?」っておとうさんが言う。
僕は、ごまかすためにおとうさんに喋って、手を舐めて甘える仕草をした。
おとうさんは、僕の頭をなでて、
「もう少ししたら、夕方のお散歩に行こう」と、言ってくれた。
僕はシッポを振り、寝室に行って床に横になった。
冷静にならなくてはいけなかった。
この日おとうさんは、仕事を早めに切り上げ、夕方明るいうちに散歩に出た。
だんだん日が長くなってきていて、暑さも感じられる。
もう夏が近いらしい。
四季――。こんな素晴らしいものがある日本。
ほぼ同じコースを歩いているのに、毎日のように新しいものや匂いを発見できる。
かなり切羽詰まった状態だったんだけど、外に出たら、
ジャスミンンの香りで気持ちがほぐれた。
帰って、早めに夕ご飯をもらい、おとうさんの夕ご飯もさんざんおねだりしてから、
夜の十時くらいに寝室に行って専用のベッドに横になった。
でも僕の頭の中は三日後のことでいっぱいだ。
修正の可能性はあるのだろうか? その場合、どのようなステップになるのだろうか?
すでに過去の事例を調べてみたが、検索してもなかなか出てこない。
それだけ数が少ないのか? うまくいかずにデータを消去されてしまったのか?
もう一度夜中にゆっくり調べてみよう、と思いながら考えを止めたら、
急に眠気が襲ってきた。
ここのところ夜はほとんど寝ていない。
仲間からの報告は膨大で、それをチェックするだけでも大変なんだ。
それらをまとめて理論的に結論を出さなければならない。
あと三日……ああ、夢の中へ入っていく――。
八 検索 マチ
鮮明な夢を観た。
地球への判断が下り、消すことになる。
そしておとうさんに、それを伝えると、おとうさんは真っ赤になって怒り出す。
「お前のせいだ! 裏切り者!」と。
僕はどうしようもなく無言で伏せをしていた。
しばらくするとおとうさんは冷静になって
「この地球は、今の状態だったら、なくなってしまった方がいいのかもしれない……」と言い出し、涙を流す。
それから僕の頭を優しく撫でて抱き上げてくれる。
僕は悲しくてやりきれない気持になって、眼から水分が流れてくる。初めての体験――。
そしておとうさんは僕を抱きしめてくれて、
「今まで一緒にいてくれて、ありがとう。ずっと一緒にいれるものだと思っていたよ。
でも、それが、地球の運命なんだね。消すなら、早く消しておくれ」
おとうさんの穏やかな表情を見るとまた目から水分が流れ出した。
僕は本来の姿に戻ろうとしたが、戻れない。
「ごめんなさい」と一言、やっとのことで言葉として出た――
そこでビクッとして目が覚めた。
それはいつもの自分のベッドの中。
近くにおとうさんのいびきが聞こえた。
「ああ、よかった。まだ地球は消えていない」という安堵感。
しかし間もなく現実になる可能性が高い。
これからそっと起きて、仲間から送られてきた報告を分析しなければならない。
と思って足を伸ばしたら、おとうさんが急に声を出した。
「今何かを言っていたみたいだけど……」と。
慌てて僕は大げさな伸びをして、おとうさんのベッドに這い上がった。
そしておとうさんの左腕を枕にして、横になり、掌をペロペロと舐めはじめた。
すると「マチ、ありがとう。もういいよ」とおとうさんは寝返りをして、寝息を立て始めた。
三十分くらい我慢して、おとうさんの寝顔を見ると幸せそうな表情をしている。
なんだか、急に悲しくなってしまった。これからのことを考えると……。
でも、期限が迫ってきている。仲間からの報告を分析してまとめなければ。
おとうさんを起こさないようにして、そっと起き上がり、
そろりそろりとベッドを降り、リビングルームに向かった。
今夜はおとうさんのタブレット端末を使わせてもらおう。
額の中央から触手を伸ばして接続部につなぐ。
あまりにロースペックの機械だが、ネットワークを使うのには問題ない。
頭の中に膨大な世界中にある地球の情報が入っている。
それと仲間からの報告を照らし合わせて分析をしていく。
地球上のどの地域が危険なのか? どの人物がキーマンなのか?
宇宙への危険度はどれくらいなのか?
それらを解析しシミュレーションしていくと、
どうしても悪い方向に結果が出てしまう。
何とか回避方法を試みる。何度も何度も……。
救うべき価値はあるのか? 修正の可能性はあるのか?
独自にリサーチする。
そして、ほぼ結果が出た。もう朝は近い。
結論は最悪のものだった。
地球の存在が宇宙全体に悪影響を与えることは間違いない。
しかも、間もなく壊滅的な影響を与え始める。
五年以内という予想だった。
人間の存在が、地球を誤った方向に向かわせている。
しかし、人間だけを消しても、
今度は地球の生態系が大きく崩れてしまい、
いずれにしても地球はなくなる。
修正の可能性を探ってみる。
その結果はコンマゼロゼロゼロ一%以下というもの。
わかってはいたものの、大きなショックを受け、悲しみに打ちひしがれてしまった。
“人間は宇宙にとって悪”。いずれにしても地球に未来はないということを示していた。
あまりに辛い結論であった。
これを最終レポートとして宇宙司令に送信すれば、
すぐに地球を消し去って、次の任地に向かうように指令が出ることは間違いない。
マチという宇宙犬も死に、おとうさんもおかあさんも死ぬ。
ああ、どうしたらいい?
もうすぐ太陽が昇り、朝が来る。
そして、いつものようにおとうさんと散歩へ行く時が……。
九 希望 マチ
一日が始まる。最終日に迫る一日が。
夜を徹しての分析が終わり、過去の事例のリサーチも終えようとしたその瞬間、過去に修正を試みた実例がいきなり頭の中に飛び込んできた。
たった一件だけ。
修正が成功し、その星は宇宙にとって悪い存在ではなくなり、消去されることはなかった。というものだった。
しかし、朝が来てしまった。おとうさんにバレる危険があるので、今夜それを再度探り、地球の現状に当てはめることにした。
僕はゆっくり触手を額に引っ込めて、寝室に行き僕専用のベッドに入り、ひと眠りすることにした。時間は五時を回っていた。
その日、おとうさんが先に起きて、僕はそのまま寝ていた。
おとうさんは朝のルーティンを終えて、着替えをして、僕を起こしてくれた。
眼の前に笑顔があった。
いつものように一日が始まった。
でもこれもあと二回だけになるかもしれない。そう思うと切ない。
さっそく日課の散歩に行く。すでに太陽の光が強くなっていて、青空が広がっている。
なんて清々しい一日のスタートなんだろう。
しかし、今後のことを考えると気が重い。
一歩一歩かみしめながら、いつもの散歩コースを歩く。
すでに地球に来て八年の月日が経っていた。
ほぼ毎日このコースをおとうさんと歩いてきた。
「マチ、今日は歩みが遅いんじゃない?」と、おとうさんが不思議そうに言う。
僕はおとうさんの顔を見て、声を出し、“そんなことないよ”と伝えた。
ちょうど初夏に向かう季節で、紫陽花の花が所々にキレイに咲いている。
白やブルー、紫、ピンク……この花だけで、こんなにの色があるなんて信じられない。
この大柄の花は小さな花弁が集まってできている。特に雨の日は美しい。
雨粒が付いて、より輝き出す。雨上がりの日にそれを発見した時の驚きと言ったら……。
僕が散歩で実際見ることができる範囲だけでも、無数の驚きがある。
それが地球上のさまざまな所には、全く別の自然と風景があるんだ。
いつも思うのは、研究対象としてはかなり貴重な星。
そうだ“研究対象惑星”としてしまえば、いいのではないか!
そう思いついたら、急に気分が晴れやかになって、
つい空に向けて“ワン! ワン!”と吠えてしまった。
「マチ! マチ! 朝早いからだめだよ」とおとうさんがリードを引っ張って注意する。
僕はおとうさんの顔を再び見つめて、笑みを浮かべた。
「何か楽しいものが見えるの? それとも聞こえるの? 嬉しそうだね」
と、おとうさんは僕に話しかけた。
きっと希望はあるはずだ、と僕は思い、今度は足早に歩き出した。
「今日のマチは、なんだか変だなぁ」とおとうさんは呟く。
その後、家に帰って出された朝ごはんを完食した。
ここのところ朝の食欲はあまりなかったけど、今日はあっという間に食べてしまった。
その後は新聞を読むおとうさんにちょっかいを出したり、おもちゃ投げをおねだりしたり、いつもの時間が過ぎる。
それが終わると大好きなお昼寝タイム。
毎日のように夜中にいろいろやっているので、とにかく眠い。
窓際の風の通り道にあるベッドに横になるとすぐに夢の中に入っていく。
カーテンがゆっくり揺れている。
なんて平和な時間なんだろう……。
時々目を覚ますとおとうさんは、ペンで書き物をしたり、パソコンで検索をしたり。
うっすら目を開けると、僕を見て微笑んでいる時もある。
そして「マチ」と小さな声をかけてくれる。
このまま時が止まってくれればいいのに、と本気で思いながら、今度は深い眠りに入り込んだ。
僕が夢の世界に入り、どれだけの時間が経ったのだろう。
伸びをして意識が戻って見渡すとおとうさんはキッチンに立っていた。
ランチの準備をしているみたいだ。僕はすぐに立ち上がって、様子を見に行く。
ランチは何? 僕にも何かちょうだい! これがお昼の楽しみだ。
おとうさんの今日のランチはカレーだった。とっても香ばしいいい匂いがする。
でも僕は食べられない。
一度だけ隙をみて、ペロッと舐めてみたんだけど、舌がピリピリして、
口の中がひどいことになったから、ちょっとしたトラウマになっちゃった。
でも香りはすごくいい! 食欲がそそられるのが不思議だ。
なんとかおねだりをして、ササミが巻かれた棒状のおやつをもらって、ガシガシ食べる。
人間は本当になんでも食べる。様々な肉、野菜、フルーツ、魚、穀物……。
それらをあらゆる手法で加工し、いろんな味を付けて食べるんだ。
とにかくすごく珍しい種族だ。
僕たちの食事は栄養と健康が重視されていて、味なんか気にしない。
犬になった僕も、いろんなものを食べた気がする。
どうも犬用のフードは味が薄いものらしいんだけど、
おとうさんから、時々果物やパンを少しだけもらうと、それがとっても美味しいんだよ!
僕のお気に入りは、ヨーグルトとバターの入ったパンとみかん。
おとうさんが食べていると、猛烈におねだりしてしまって、
つい呆れられることもしばしばさ。
こんなに食べ物に執着する準高等生物は見たこともない。
とにかく、人間はとにかく希少で稀な存在といえる。だから、人も研究対象に……。
そのためにはどう理由を付けて結論を導き出せばいいんだろう?
おやつを食べた僕は外から入ってくる瑞々しい空気を鼻にいっぱい入れながら、
また考えにふけってしまった。
「マチ、どうした? 動きがフリーズしているみたいだけど」とおとうさんが口をモグモグさせながら話しかけてきた。
僕は急に犬に戻り、またおねだりをすることにした。
でも、いつものカリカリフードが少し出されただけだった。残念!
それを食べ終えて、寝室のベッドに向かった。
今夜の重大な決断のために、心と身体を休めるように目をつぶった。
しばらく時間が経ったのだろう。夢を観ることもなく、ぐっすりと眠ってしまった。
目を開けて、リビングの方を見ると、またカーテンが風で揺れていて、清らかな風が入ってくる。
おとうさんは少し険しい表情をして、パソコンに向かっていた。
知らぬ間に、ビアノによる音楽が静かに流れていた。
この地球では、音楽=ミュージックというものも多彩だ。ほとんどの宇宙の種族には<ムジク(音楽)>が存在する。しかしそれは異性の気を惹くためのものか、宗教的な祭りのためのもので、明らか単純で原始的なものである。
しかし、地球は違う。クラシック、ジャズ、ロック、ポップス、フォーク、レゲエ、ヒップホップ、民族歌、演歌などなど、多くのジャンルが存在し、それを奏でるための楽器も数限りなくある。
静かに聴く曲、一緒に歌う曲、身体を動かして熱狂する曲……たかが数百年の歴史にも関わらず、膨大な作曲家、アーティスト、歌い手が登場し、すでに記憶から消えていった人もたくさんいる。
この点でも、今まで体験したことのない高度な音楽を生み出してきていて、個々の嗜好やシーンに合った曲を聴くことにより、楽しんだり、喜んだり、悲しんだり、元気を出したり、意識を高めたり、希望を持ったり、夢見たり――音楽は本当にたくさんの役割を果たしてきているらしい。
さすがに、僕はその全てを理解することはできない。分析や分類はできたとしても……
人類の感情、感覚というのは、もろく遷ろうもの。やはり宇宙の多くの場所で失われたものであり、それが今なお残っていると断言できる。
これらを取り戻せば、宇宙全体の利益になるかもしれないし、僕たちもより豊かに生きられるのかもしれない。
ミュージック、僕はピアノソナタと呼ばれるものと、おとうさんも大好きなトリオのジャズと女性ヴォーカルが気に入っている。
頭に何かの感情がしみ込んできて、なんともいえない気持ちが沸き上がり消えていく。
こんな気持ちが僕に残されているなんて……
心地よい音に身をゆだねながら、しばらく横になり、耳をそばだてていた。
こう考えると地球と人間は、貴重な研究対象として、今後の宇宙全体への貢献も可能な気がしてくる。
しかし、まずは予想される宇宙への悪い影響をどう取り除くか? それが大きな問題だ。
早急に悪影響への対策を練らなければならない。
いきなり頭の中が高速で動き出した。
十 問題 マチ
地球の問題。
それは間違いなく人間。その根幹にあるのは“欲望”であることはわかった。しかも一部の人による、利己主義的な欲望。それにより引き起こされた憎悪が原因で、小さな諍いから、大戦争までが起きてしまい、人と人が殺し合うことになる。
あくまで己の利益を追求するために、環境はお構いなしに、モノを製造し、使い捨てにしていく。これらは、気候に大きな影響を与え、美しい地球も破壊されていく。
自然も、木々も、植物も、動物たちも、多くの清らかな生き物たちも……。
こう考えると、人間から“欲望”を取り除いてしまえば、いいのではないか? という結論に達してきた。
それなら意外と簡単かもしれない。
しかしシミュレーションしてみると、欲望を消すことによって、やはりしばらくすると人間が消え去ってしまうことになりそうだ。大好きなおとうさんとおかあさん、良心的な人々も。
これでは意味がない。今人間と一緒にいる、犬や猫たちも消えることになる。
いずれにしてもそれが運命だとしたら、どうだろう?
高等生物が消えるということは、リセットされるということ。研究対象の自然の大部分は残ることになるのではないか? まあ、予想でしかない。
もっといい手法はないのか? 夜までは時間がある。もう少しじっくりと考えてみよう。
僕は寝ているふりをしながら、頭の中をフル回転させていた。
人間の思考をコントロールすることはできるだろう。だが、シミュレーションしたように、欲望を消してしまったら、どんな影響が出るかわからない。それを監視し、逐一修正をかけていく必要がある。
それを、どうやってこなしていくか?
考えるほど、頭の中が混乱してきて、まとまらない。でも方向性だけは出しておきたい。
ひとまず、世界中の仲間から来た報告はレポートにまとめておく。それはもちろん地球を消すべきだ、という結論。
それと別に、研究対象として重要な存在だという、別だてのレポートも用意しよう。
頭の中のメモリに整理された綿密なデータと結論だけで、各国の仲間に確認してもらう。
その前に、さっき考えた別の結論を提案として、皆に考えてもらうことにした。
世界中の仲間たちもたぶん同じ思いに違いないという確信はあった。あとは実質的な行動ができる夜を待つだけになった。
のんびりとした午後を過ごし、書き物をしていたおとうさんをせっついて早めの散歩に出る。夕方の散歩は、今日が最後になるかもしれない。そう思うと少しだけ複雑な気分になってしまう。
その日の夕ご飯は、おとうさんと同じ時間に一緒に取った。僕にとって最も楽しく大切な時間。僕は金属製のトレイに入れられた、カリカリフードを一気に食べ、ゆっくりお酒を飲みながら肴をつまんでいるおとうさんに別なものをおねだりに行く。テーブルにはすでに次のフードが用意されていた。アキレスという硬い筋状のものだけど、凄く噛み応えがあって僕は好きなんだ。
グルメではないけれど、いろいろ食べられるのは嬉しい。でも問題は、悠長にこんなことをしている場合ではないということ。とか思いつつも、アキレスもすっかり食べ終えて、さらにおとうさんの夕ご飯を狙っていく。さすがに人間の食べ物はあまりもらえないけど、こんなに色んなものを食べられる時間は何て幸せなんだろう。
外は暗闇になってきて、決断の時が近づいてきた。おとうさんはウイスキーを飲み出してさらにいい気分になっている。今夜は早く寝そうだ。
おとうさんを観察しながら、時々へそ天になり、甘えてしまう。犬の習性らしい。撫でてもらうと、なんとも言えない喜びがやってくる。
この感情が消えてしまうなら、このまま地球で犬のままでもいいかもしれないと思ってしまうほど。快楽の時、そんな言葉がピッタリ。
いけない、いけない、こんなことをしている場合じゃない、と思いつつ、頭の中では、ある決心はついていた――。
十一 結論 マチ
おとうさんは、その後もゆっくりワインも飲み出した。僕はさらにちょっかいを出して、おやつをくれ! という意思を示し、三回に一回は何かしらをゲットしていた。以前は、人間の食べ物もいろいろともらっていたけど、どうも内臓の数値が悪くなりつつあるみたいで、今はほとんどもらえない。
パン、ヨーグルト、チーズ……乳製品と呼ばれるものが大好きなのに。
今夜は「特別だよ」と言ってくれ、チーズの一片をもらうことができた。なんてラッキーなんだろう!
チーズにもカビが生えたものがあったりし、たくさんの種類があるらしい。カビなんてさすがにごめんだけどね。
とにかく濃い味のものは犬にはよくないらしい。だから犬用の主食やおやつも、ほとんど味がない。犬は味がわからない? そんなことはないんだけどな……。
犬の視覚もほとんど色が判別できないというのが通説となっているみたいだけど、それも間違っている。ちゃんと色は見えている。僕が乗り移った個体のせいかもと思ったけど、世界中にいる宇宙犬の仲間も色彩が見えているというから間違いないだろうね。
人間はこんなに犬を愛し、仲間として、家族として、長く一緒に生活しているのに、本性はぜんぜん理解されていないみたい。もっと犬のことがわかれば、さらに絆は深まると思う。僕がおとうさんと話ができればいいのにね。
もちろん嗅覚は、人間の何十倍もの性能がある。だから時々、不快な匂いに悩まされてしまうこともある。でもチーズの匂いと味は大好きだよ!
こんな風におとうさんにちょっかいを出していたら、時間が過ぎていく。おとうさんは次のワインを三杯ほど飲み、相当いい気分になってきている。時間は十一時を回って、さすがにウトウトし始めた。
僕は先に寝室に移動して、床に横になる。そのまま寝たふりをして、考え事をする。今夜の最終作戦をどうする? 考えに集中していると、おとうさんも寝室に来て、僕の鼻に、顔をくっつけて、「マチ、おやすみ」と言って灯りを消した。
しばらくして寝息を確認してから、僕は起き上がり、リビングルームに移動して息を凝らす。五分もしないで大きないびきが聞こえてきた。それから慎重にパソコンに近づき、触手を伸ばして、今まで仲間から入手した地球の報告の総括と、今後の展望、そして地球をどうすべきかをレポートにした。
ものの十分たらずで、宇宙司令に向けた報告書のひとつをまとめた。
その後、調査の結果“悪”とみなされながらも、消されず保留となった星のデータを探り始めた。
出てきた事例は、今回の地球と近いものであった。総括すると、宇宙に悪影響を及ぼす星であることは間違いないものの、一部の生物と自然は貴重なものであり、保存すべきというものだった。三年間の猶予が与えられ、修正が施されたものの、最終的には消されてしまった……。
僕は落胆した。でも、もう少し詳細にこの事例を調べてみることにした。そうすると、調査員がその星の“悪”が宇宙に影響を及ぼさないように、星に残って監視を続けながら、良い方方向に向かうように方策を巡らせ、かなり改善したが、時間切れとなり、その調査員は星に残って、一緒に消えてしまったと記されていた。
僕は、がっかりしたが、ひとつのことに気が付いた。
それを実行した調査員が、星に残ったこと。そして彼が監視と報告を続けながら、修正を図ったこと。このことが結論を出した調査員の使命なのだろう。
さらに考え、決断をしなければならないことが判明しただけだった。
でも、もう結論は決まっていた。
宇宙司令に報告をする前の、世界中の仲間とのコンタクトも最後となる。
いよいよ僕の下した結論と思いを皆に伝える時が来た――。
仲間には遠くにいてもテレパシーみたいなもので意識を瞬時に伝達できる。
簡単にこんな内容を宇宙司令にレポートしたいと知らせた。
① 地球は間違いなく宇宙全体に今後悪影響を及ぼす存在
② 人間の欲望と利己主義が全ての原因の源である
③ 我々を宇宙犬として迎えてくれた人間は全て善良な人たちだった
④ 人間の持つ感情、特に感動・愛情・悲しみというものは、すでに我々が失った貴重なものである
⑤ 地球には人間だけでなく、動物、植物、魚、鳥、虫、微生物といった膨大な生き物に溢れ、共存している
⑥ 人間の豊かな感情と膨大な自然の研究を行い、私たちの失ったものを研究し再び獲得できるようになることは有益と考える
⑦ 地球全体の生命体系を研究することは、今後宇宙の生命の進化に寄与する可能性が高い
以上を総括すると、人間の欲望をコントロールして争う気持ちを減退させることにより、諍いをなくし、地球環境と気候変動を改善して、⑥⑦の項目の研究をしばらく続けることは、かつてない有益な情報を得る大きなチャンスであり、チャレンジでもある。
これがまとめ上げた概要で、あとは膨大なデータ資料を添付する。
これをすぐに皆に伝達をする。世界各地にいる宇宙犬=調査員が瞬時にこの総括レポートを受け取ったはずだ。
僕は、しばらくひと息ついて反応を待つつもりであった。ところがすぐに返事が届き始めた。それは意外なほどのスピードだった。
次々とやってくる仲間からの返信。それは……
僕のレポートについての賛同の声だった。結局三十もの宇宙犬からの反応は一つとして否定はなく、一部意見があったりもしたが、肯定ばかりであった。これには驚いた。みんな同じ気持ちだったのだ。
同時に何とも言えない喜びの気持ちが沸き上がった。
これで地球もしばらくの猶予が与えられるかもしれない。
結果を知ったら、緊張の糸が切れ、眠気が襲ってきた。
宇宙司令への最終の報告期限までは、まだ時間がある。
ついつい緊張が解けてウトウトしてしまい眠りに入ってしまう。今度も夢を観た――
ある星に派遣され調査を進める。そこでは僕はヒューマンの姿でマハという名前であった。知り合った女性。絶世の美女ではないが、愛嬌があり、心優しく、理知的な人。アモという名前だった。
彼女から様々なことを学び知識を得ていく。そんなことをやっているうちに、かつてない感情が芽生えた。心惹かれて、好きという感情を通り越し、<愛する>ようになってしまったのだ。
こんな感情が僕にあったのか? そう思いながら調査を続けていたが、日に日にアモを想う気持ちが募っていった。そして調査を終える時が来た。
調査の最終結論は、この星を消すものになりそうだった。このままアモとこの星で過ごしたい。彼女は元気のない僕を気にして、「どうしたの? 最近塞ぎ込むことが多いみたい。元気もない。何か悩みがあったら、教えてちょうだい。私はあなたが大好きなのよ、マハ」と言ってくる。
胸の中が熱くなった。まったく始めての経験だった。僕の中で何かが弾け飛んで、変貌を遂げた。他人を想い、好きになり、愛することを知った。自分にそんな感情が残っていたなんて。
しかし、もうどうすることもできない。この星は消される運命。アモだけを連れて逃げようか? そんなことさえ考えた。だが、すでに時間もなく、何の手立てもない。
そして最終の指令が来た。この星と生物を消し去る。僕は次の調査に向かう。生き続けて……これが僕の永遠に与えられた使命と運命。
そう思うと、焼けるような切ない気持に襲われた。だが、どうしようもなく僕は彼女を残して星を離れた。
かつてない辛さと後悔の念を持ったが、次の探査星への任務に着いたらすっかり忘れてしまうだろう。
――これが、たった今フラッシュバックのように蘇った。
小さな球状の移動ポッドに乗り込み、一人で星を離れる。美しい青と白の星テラ。どんどん小さくなっていく。一センチほどの青い粒になった時、まばゆい光線が四方八方に無限に放たれた。そしてしばらくすると、その場所は空っぽになり、遅れて衝撃波が襲いかかったポッドの中でスクリーンを見続ける。最後にポッと一瞬だけ小さな点が輝き、やがて消えて、漆黒の暗闇が訪れた。始めからなにも存在していなかったように――
僕はアモの美しいブルーの瞳を思い出した。そして悲しみという感情を初めて経験した。眼から水滴が零れ落ちた。
宇宙の旅のためのスリープタイマーが効いてきて、真っ暗な闇がやってきた。
ビクッとして、目をゆっくりと開ける。
なぜ、このことを忘れていたのだろう。意図的に消されていた? なぜか突然思い出した過去の感情に驚きながらも、冷静さを取り戻し再び作業に戻ることにした。
僕から送ったメッセージの全ての仲間からの返信が来た。
一部の意見を取り入れ、ほんのわずかな修正をして、最終報告書を作り上げた。再度全員の仲間にそれを送り、了承を得た。これで準備はできた。あとは決められた時間に宇宙司令に最終メッセージとして送ればよい。
“ほっ”という声が思わず出た。その声が大きかったのか、寝ているおとうさんが“ううっ”という声を出しながら寝返りを打ったようだ。ビクッとしたが、そっと寝室を見てみると、再び寝息が聞こえてきた。
楽しい夢を観ているといいんだけど。そんな考えが頭の中に浮かんだ。
しばらく耳をそばだてていると、“マチ、おいで!”と嬉しそうに僕たちの名前を呼んでいる。ドッグランに行った時の夢でも観ているみたいだ。
おとうさんとの楽しかった日々を僕も思い出し、メモリに記録を行った。大切なことを忘れたくなかった。記録を終えると、宇宙に向ける最終報告データを確認し、特殊な折りたたみ圧縮をかけて送り出した。
データは宇宙の歪みを利用して、地球時間で、三十分ほどで宇宙メトロポリスにある超次元ハイパーコンピューターに届く。そして宇宙司令の最高決定機関のメンバーの頭脳に送られて、ハイパーコンピューターのとの合議で決定が行われる。それもすぐに終了するはずで、二時間もすれば返答が来るはずだ。
報告書を送ったら、すっかり気が抜けてしまい、同時に本格的な眠気が襲ってきた。
低い音のいびきをかいているおとうさんのベッドによじ登り左の腕と身体の間に自分の身体をねじ込ませた。おとうさんの鼓動が聞こえる。静かなリズム。それと僕の心臓の音をシンクロさせてみる。こっそり僕の記憶の中にある楽しい思い出をおとうさんの頭の中に送ってみた。おとうさんの寝顔はゆっくり微笑む。僕はなんだか嬉しい気分になった。その時おとうさんの眼に一筋の涙が流れた――。
それを見た瞬間、僕の視力も揺らいだ。なんか水みたいものが眼を通過して流れ出た。それは涙というものだ、ということを後に知った。
仲間と共に作り上げ、宇宙に送り出した報告書が、地球にとって、いやおとうさんたちにとって少しでも良い方向の結果をもたらしくれることを願いつつ、おとうさんの左腕を枕にして眠りに着いた。一時間ほどの眠りで、僕はすっきりした気分で目覚めた。
上目づかいでおとうさんの顔を見ると、嬉しそうな表情のまま小さな寝息をたてていた。
それを見て僕は安心して、スルリと腕をすり抜け、リビングにできるだけ音を立てずに移動した。
報告書を送ってすでに二時間半も経っている。まだ宇宙からの回答はない。
今までの経験からどんな星にいても、二時間以下で回答が帰ってくることが通常であった。
何か問題があったか、あるいは決定機関内で紛糾しているのか?
だんだん不安になってきた。
三時間が経った。気持ちが張り詰めてくる。
その時、僕の頭の中にメッセージが送られてきた。
メッセージを確認すると、僕の提案が可決されたことが示されていた。しかし注釈がついている。
『地球を存続するためには、悪影響を及ぼす要因を取り除く必要がある。そのため猶予期間は三年。そして今いる調査員(宇宙犬)たちはそのまま残り、改善を図り、逐次報告を入れる事。その間に地球自体の研究もまとめること。実現できない場合は、人間と地球を消し去るしかない。そのため、地球のマントルに投入した破壊装置は、そのままにすること』というものだった。
三十もの仲間全員が残る――予想していない指令だった。もちろん自分はいい。しかし他の仲間を巻き込んでこれを強制できるのか? 全員に確認しなければ、僕の一存では決められない。
正直嬉しい結論だった。おとうさんたちが好きだし、地球の生命体を研究できることはとても価値のあることだと確信していたから。何といっても、宇宙で失われた感性、感情を取り戻せる可能性があるのだ。
既に僕には感性が蘇ってきている。この喜びも、好きだという感情も。本当に貴いものだ。そう考えると、さっそく行動に移るべきだろう。
仲間に一斉メッセージを送る。宇宙司令から来た結論を知らせ、しばらく地球に残ってもいいかを問うためだ。
仲間も結果を待っているはずだ。瞬時にメッセージは仲間に届く。そして……また静かな時が来た。返事を待つ時間は苦手だ。久しぶりに緊張した気持ちが襲ってくる。
仲間は地球に猶予が与えられたことには喜ぶはずだ。だが、そのまま地球に残る点はどうだろう?
個々の調査員の素性や境遇は知らない。頭の中の意識だけでやり取りをして繋がっているだけなのだ。だから、ファミリーがいるのかも知らない。
孤独な者が多いとは聞いたことはある……。自分もそうだ。ファミリーは全て事故で失った。その事は、調査員になってから思い出すことは一度もなかった。でもまた突然のフラッシュバックが起きた。瞬間移動での、転送事故であった。自宅からリゾート地に向かう装置に異常が起きたのだ。僕は少し遅れて出発する予定だった。妻と愛娘は目的地に再現されず、一瞬のうちに消え去ってしまった。未だにどこに行ってしまったのかわからない。なぜ、一緒に行動しなかったのか? 悔やんでも悔やみきれない。
いきなりのフラッシュバックに驚いて、パニック状態陥りそうになったその時に、最初の返信が来た。
アメリカにいる仲間、宇宙犬ラッキーである。
彼は僕たちの結論と提案が通ったことを喜び、そして地球に残り最善を尽くすことに同意してくれた。すぐに正気に戻り、感謝の意を返信した。
いきなり心が和らぎ、過去のトラウマから解放され、思考が現実に戻ってきた。また辛抱強く、返信を待つことにした。今の僕には、それしかできないのだ。
続けて二人の仲間から返信が来た。彼らも喜び、了承してくれていた。
二人の返事に、安心と希望感と共に緊張感が増大していった。なぜならば、指令は全員が了承することを要求していたから。
一人一人、順次返信が届いていた。その全てが僕の望んだ返答であった。一時間もの間で、残り二人となった。
祈るような気持ちで待つ。そしてまた一人の返信が来た。インドからだった。それは“了承”というものであった。一応二時間を期限として、回答を求めていた。あと十分。
僕は焦り始めた。僕のメッセージを受け取れていないのだろうか? そんなことはない、開封の通知はあった。もう少し待つしかないだろう。
何とか気持ちを落ち着かせるように努力をした。三時間が過ぎたが、返信はない。
こちらからコンタクトしようと思ったが、急かすようでなんとなく気が乗らない。もう少し待つことにする。
もし彼がNGだったら、どうしよう? 全員一致が条件。この対応を考えながら、モヤモヤが続く。その時最後のスペインの仲間から返信がきた。それは――。
僕の出した結論と方向性、そして宇宙司令からの返信については、賛成で喜ばしいことだが、自分は地球を離れたい、というものだった。
彼が悩んで出した結果らしい。彼には病気で体調がすぐれないファミリーがいるとのこと。少しでも早く看病をしたいので、自分だけはこの任務を終えて、調査員を辞して故郷に戻りたい。わがままを許してほしい。という内容だった。
さあ、困った。彼の気持ちを考えると説得する気にもなれない。ひとまず考えても仕方がないと即座に決断し、この状況を宇宙司令に伝えて、判断を仰ぐことにした。
総員の意思をまとめて宇宙司令に送る。僕のメッセージはすぐに宇宙歪みを通って進んでいった。
また待ちの時間がやってきた。隣の寝室では、おとうさんの寝息がかすかに聞こえている。そのリズムが気持ちを落ち着かせてくれた。心が軽くなり、待つ時間もさほど気にならなくなってきた。
おとうさんたちを守ることが僕の今の使命。そう強く思えるようになっていた。
↓「宇宙犬マチ 第4話」に続く
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