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小説「宇宙犬マチ」 第2話

 四 情報 マチ
僕たちはどうして犬に宿ったのだろう?
人間になってしまえば、もっと楽に地球のことがわかったのではないか?
でも犬であれば、人間を客観的に見ることができる。
それに感情に支配もされないし、
短い間にいなくなっても不自然じゃない。
きっと、いなくなったら、おとうさんとおかあさんは悲しんでしまうだろうけど。
ハッピー兄さんの時みたいに……。
それを思うと辛い気持になる。初めての感情だ。
 
おとうさんは僕を連れて、いろんな所に行ってくれる。
車に乗ったり、自転車のかごに乗ったり、ある時は電車に乗ったり。
公園に行ったり、人がたくさんいる繁華街に行ったり、
犬がいっぱいいる所に行ったり。
今日は人がたくさんいるにぎやかな街に来て、
外に出されたテーブルでランチを一緒に食べた。
公園とは違う匂いがする。
特に食べ物の匂いや香りは複雑なもの。これらを記憶する。
自然の匂いや香りは何となくわかる。
他の星でも体験したことがあるし、記憶に残っている。
でも人が食べるものの香りは、全くの未体験で、ついつい興味を持ってしまう。
そして、つい食べたくなってしまう。こんなことも初めてだ。
食欲、嗜好、味覚というワードも覚えた。地球に来てからね。
食べる喜びや感動――そんなものがあるなんて。
でもおとうさんたちが食べるものは、僕たちはあんまり口にできない。
僕たちの身体に悪いんだって……それが残念でならない。
魅惑に負けて、こっそり食べるわけにもいかないしね。
今日も一日が終わって疲れてしまって、ウトウトしてしまう。
おとうさんも疲れたのと、さらにお酒を飲んでいい気分になって、一緒にウトウト状態。
この時が、なんだかたまんなくいいんだなぁ。
しばらくして、おとうさんはが「おやすみ、マチ」と言って、ベッドに向かう。
僕もその寝室にある犬専用のベッドに乗っかって、寝る。
でもね、実は今夜は活動をしなければならない。
日中に、その分しっかりお昼寝をしているから大丈夫。
さっそく、おとうさんがいびきをかきはじめた。
さあ、本来の使命へ!
こっそり寝室からリビングルームへ移動。
パソコンと呼ばれる原始的な端末に、
額の間から伸びる触手を差し込んで、
地球上に流れ出る全ての情報を入手して、学習して記録する。
防御ソフトなんか瞬時に消して、どんなところにも入り込める。
ここのところ人の命を脅かす新型のウイルスが次々と世界中に広がっていて、
それが原因で、さらにいろんな人種がいがみ合っている。
ついにはある国で侵略戦争も起きてしまった。
かつてない危機的な状況といってもいいかもしれない。
戦争なんかやっている場合じゃないんだよ!
ネット上には、誹謗中傷のワードがたくさん表れる。
なんでなんだろう? という気がしてしまう。
こんな時は、人間たちが共同してウイルスに立ち向かうべきだろう。
でも各国のトップは自らの国や個人の利益や利権を優先している。
もちろん対抗する人はいるけど、力で抑え込まれている。
これには呆れるしかない。
しかしウイルスの感染予防のため、人々の活動が少なくなり、
地球環境にとっては良い状況が生まれている。
ますます人間がいない方が……という情報が集まりつつある。
他の国にいる仲間たちからも、続々と情報が集まってくる。
どれもこれも同じようなもの。
この情報をまとめて宇宙司令に送ったら、その結果は間違いなくアウト!
美しい自然を持つ地球は消え去ることになるだろう。
仲間からのレポートは本当に散々なものばかりなんだ。
しかしその反面、宇宙犬になった世界中の仲間はみな同じことを言ってくる。
飼い主たちは優しく、とてもいい人たちだと。
実際、僕の飼い主のヒロおとうさんとリサおかあさんは、とってもいい人。
もちろん粗相をしたり、いたずらをしてしまうと怒られてしまうけど、
すぐに優しい顔に戻って、ナデナデしてくれる。
いろんな所にも連れていってくれるし、
体調が悪いと病院にもすぐに連れて行ってくれる。
そうそうおかあさんが不在で、
おとうさんが海外とか遠くに仕事に出かける時は、
僕がずっと通っている病院でお泊りするんだけど、
獣医の先生も看護師さんも、とっても親切。
僕の体調が悪い時なんか、自宅まで連れて行ってくれたり……。
とにかく親切で優しくて、大好きなんだ。
まあ、診察される時は、宇宙犬というのがバレないが冷や冷やものだけどね。
それと注射はちょっと苦手さ。チクッとされるのがなんともね。
あと宇宙犬だから、ちょっとした刺激物に弱いんだ。
皮膚にいろんなものができてしまう。
一度出来物が大きくなって化膿してしまって、
切除することになって、麻酔というものをされたら、
精神が身体から離れてしまいそうになったんだ。
おとうさんとおかあさんが、
心配してすぐに来てくれて、大騒ぎになったけど、
なんとか復活することができて、そのまま宇宙犬でいられたんだよ。
こんな、優しい人たちに囲まれて、今僕は幸せさ。
僕は、他人への<親切>という言葉が好きなんだ。
おとうさん、おかあさん、大好きだよ!
こんな感情があるなんて信じられない。
僕たちの星や種にはない感覚――
これを学べば、大昔に自分たちが失った<何か>を取り戻せて、
未来はもっと豊かに過ごせるのかもしれない。
実は過去には、他の宇宙種がそれを獲得しようとして、人を拉致したこともあったらしい。
僕たちは報告を作るだけだから、決して人を傷つけないけどね。
 
この地球と人間たちが宇宙の脅威になるのか?
僕にとって大切な人、そう家族ができてしまった今、
正直、最近とっても悩んでいる。“地球を救いたい”という気持ち……。
もちろん宇宙全体の安定が最優先なんだけど。
冷静になれない日々が続く中、情報を集め、分析を続けている。
 
Ⅳ 後日 ヒロキ
 二回も手術をして、生死をさ迷ったにもかかわらず、マチはハッピーが亡くなってからも、割りと普通にひょうひょうと日々を過ごしていた。僕はできるだけマチとの時間を大切にしようと思うようになった。あんなに元気だったハッピーが急に天に召されて、あっという間に虹の橋のたもとまで旅立ってしまった。日々の生活の中で何かハッピーの死を連想することがあると、いきなり涙が出てしまうこともしばしばであった。そんな時は、何度もマチが慰めてくれた。
 僕たちはできるだけ、マチと一緒に出掛けるようにした。公園にもランチにも。マチは臆病だったので、犬は苦手だったが、出かけるのは大好きで、朝晩には雨の日以外は、欠かさず散歩に出かけていた。それが僕の役目であり、マチの体調や気持ちを見るのにも役立つものであった。
 
五 選択 マチ
僕たちが犬に入り込み、宇宙犬となったのは、
何か大きな理由があるに違いない。
単に入りやすかっただけではないはずだ。
常に人の近くにいれるのもひとつの理由だろう。
人の行動を詳しく知ることができるのも理由だろう。
でも、それだけではなさそうだ。
そんなことを考えつつ、今夜の情報収集は終了した。
おとうさんはまだ、ベッドの中で寝息を立てている。
僕もなんだか疲れてしまった。
触手をひっこめて、パソコンを消す。
辺りには雨の音がする。夜の雨音はなぜか懐かしい記憶だ。
さあ、ベッドによじ登り、おとうさんの隣で寝よう。
至福の時がやってきた。
 
寝ている時、夢を観る。
人にとっては当たり前のことらしいけど、
僕らにはわからないものの一つ。
地球に来て、宇宙犬になって初めて観るようになった。
夢の中では、僕は地球の普通の犬。
同じヨークシャーテリアという犬種。
おとうさんと車に乗ったり、公園に行ったり、
おいしいおやつをもらって、シッポを振って喜んだり。
おかあさんに甘えたり、へそ天になって、
お腹をナデナデしてもらって、気持ちよくなったり……
人は怖い夢や辛い夢、信じられない空想の夢なんかも観るらしい。
それは、前世の影響とか言われているみたいだけど、
僕はなぜか嬉しかったり、楽しかったり、幸せな夢ばかり。
なぜなんだろう?
 
この日も夢を観た。
車に乗って、おかあさんとおとうさんと出かける夢だ。
涼しくて自然がいっぱいの所にコテージがあって、そこにみんなで泊まる。
とっても広い部屋。家族水入らずで、ゆっくりと過ごす。
散歩に行ったり、お昼寝をしたり。なんてステキな時なんだろう。
今日だけは僕にも特別においしいものが、いっぱい。
犬連れの人たちばかりで、僕は少し緊張する。
時には吠えてしまって、注意される。
その時にある意識を頭の中に感じた。ここにも宇宙犬がいる。
しかも、僕たちとは違い強い悪意を持った種。
なんで、こんな所に?
僕はバギーに乗っけられたまま、精神を研ぎ澄ます。
入ってきたファミリーの犬から意識が聞こえる。小さなチワワだ。
相手も気づいたようだ。チワワの眼が急に鋭く僕を見る。
僕は注意をするように、おとうさんに向かって吠える。
「マチ、大丈夫だよ」とおとうさんは言って、頭を撫でてくれる。
僕もチワワを睨み強い念動力を送る。
そうしたら、チワワはキャンと小さく吠えて、
大人しくなってしまった。
彼らのような悪意を持った種に地球を渡すわけにはいかない。
僕は安心して、おとうさんとおかあさんを見る。
その時、僕用のデザートが出てきた。おいしそう!
さあ食べよう、と口を近づけたところで目が覚めた。
こんな幸せで不思議な夢を何度も観た(その後、現実になったんだよ!)。
嬉しいような、惜しいような、なんともいえない感覚。
地球に来て、知って学んだ感情。
 
早朝に目覚めて、おとうさんの顔の所に行き、ペロッとひと舐め。
おとうさんは眠そうに眼を半開きにして、
手を伸ばし、僕の頭に触れる。
「マチ、どうした? まだ早いよ。もう少し寝よう」。
頭を優しく撫でてくれる。
僕はお尻をおとうさんにくっつけて、横になる。
幸せな気分で、また眠りについた。
 
僕の日課は朝の散歩から始まる。
たいていは僕の方が早く起きて、おとうさんを起こす。
大雨や雪の時以外は、毎朝ご飯前の十五分くらいの散歩。
僕が、この家に来てからずっとの日課。
地球の、ここ日本と呼ばれる国は、
四季というものがあって、毎日の散歩は飽きることはない。
変化のあるいろんな匂いがして、頭と感覚を刺激してくれる。
夕方か夜も同じように散歩に出る。やっぱり十五分くらい。
朝とは違う匂いがする。毎日違うんだ!
だから散歩は大好き!
例えば玄関にあるラベンダーの匂いや、
春の梅やバラ、そして秋のキンモクセイ……
まぁ時々、散歩中には別の犬に吠えられたりするけどね。
 
そして、この短い期間で、
僕は地球のことが大好き好きになってしまった。
もう何百年も生きてきて、いろんな星を巡ってきたけど、
こんな気持ちは初めて。
だから今悩んでいて、調査にも困っている。
どうも各国にいる仲間も同じみたい。
“どうしたらいい? どうしたらいい?”
僕たちは地球を失くすために来たようなもの。
ジレンマの毎日だよ。
 
地球に来て五年近くの時が経った。
あと七日間で最終の報告を宇宙司令に送らなければならない。
仲間からの報告も、ほぼ出揃った。
他国とばかりではなく、同じ国内での諍い、
国や個人の利権のための戦争。
AIによる殺戮兵器。富を得るための殺人。
弱者、貧困者へのいじめ。
名を明かさない者の誹謗中傷による自殺。
性別や人種による差別や偏見。
自然破壊。新型ウイルスの発生と感染拡大。
などなど、まったくひどい報告ばかり。
ほぼすべてが人間の欲望と利権がからんでいる。
もちろん人間同士の助け合い、動物への愛、絆、慈悲といった、
僕たちが、たぶん過去になくしてしまった素晴らしい感情を
たくさん持っていることもわかっている。
ほとんどの仲間は否定的なレポートを上げてきた。
このままでは地球は宇宙の悪となってしまう。
選択は二つしかない。
短期で修正をかけられる可能性を見出すか、
いつものように消してしまうか。
しかし、ほとんどの仲間は状況の悪い報告をしながら、
自らの結論を出せずにいた。
自分たちの置かれている環境を考えると、非情な結論は出せない。
地球は膨大な種の意思を持ち、
人間は多様であまりに複雑な感情を持っている。
でも修正は難しいだろうというのが、一致した意見だった。
僕は困った。
そして、もうしばらくしたら……
僕もこの地球を離れなければならない。
 
六 感情 マチ
これまで、本当に幾多の星に調査員として派遣された。
そのほとんどが、すぐに結論を出せたんだ。
それにより、いくつもの星と生物が消えていった。
この結論に躊躇はなかったし、後悔もなかった。
常に冷静な判断をしてきたつもり。
でも今こんなに迷い混乱するなんて、僕も信じられない。
いくら悩んでも、犬だから表情に出ないのがいい。
「マチ、今朝は変な寝言を言っていたよ。何を喋っていたの? 
まさか宇宙との交信をしていたんじゃないよね?」
って、おとうさんが急に言い出した。
僕はびっくりした! “バレた? まさか”と思いおとうさんを見る。
微笑んでいて邪心はまったく感じられない。
ホッとしながら、おとうさんに近づいて、指をなめる。
「マチは、いつもしゃべっているからね。なんか怪しい夢でも観ていたのかい?」
と、おとうさんは話しかけ、すぐにパソコンに向かって仕事の続きを始めた。
おとうさんの仕事は編集・ライター。
取材に行ったり、インタビューをしたり、写真を撮ったりして、パソコンで文章を書いて、
ネット上のメディアや雑誌に載せているんだ。
文字……僕らの世界にはすでにないもの。
僕たちは生まれてから、考えたことをそのまま意思として、頭から発信できるんだ。
おとうさんは時々、僕をネタにしてブログとしてネット上にアップしているみたい。
もちろんワンコとしてだけどね。
宇宙犬として書いたらスゴイ反響になるかも? なんて思ったりもする。
あと、小説という、まとまったものも書き続けていて、
今まで二冊ほど刊行しているんだって。
ちなみにリサおかあさんは、遠方で看護師をやっていて、家に戻ってこない日も多いんだ。
僕は、時々仕事中のおとうさんにちょっかいを出す。
近くでへそ天になったり、おもちゃを持ち出して、「ワン! ワン!」とかね。
だいたい付き合ってくれるんだよ!
さっきも椅子に座っているおとうさんの足をカリカリして、
プフプフと鳴るおもちゃ投げをしてもらっちゃった。
このところ運動部不足だし、楽しかったぁ~
こんな日がずっと続いてくれたらいいのに……なんて思うこと自体信じられない。
“幸せ”っていう感情は、こんなことなんだと思う。
 
時折おとうさんは僕に言う。
「マチと一緒にお酒が飲めて、話ができたらいいのになぁ……」って。
実は僕はもう日本語はもちろん、世界中の全ての言語をマスターしているんだ。
おとうさんの言葉に対応して喋っている時もあるんだよ。
ただ犬の声帯が、人間の言葉を喋るのに向いていないだけ。
かといって、おとうさんの頭の中にいきなり話をしたら、どうなってしまうのだろう?
だから、我慢しているんだ。本当はいっぱい話をしたいんだよ、おとうさん。
でも、お酒はちょっと……。
なんでアルコールを体内に入れて喜んでいるのかな? 
僕には理解できないことのひとつ。
しかも地球のお酒はとても種類が多くて、造り方も、材料も違う。
過去アルコールを飲む文化には出合ったことはあるけど、
こんな複雑な体系は信じられない。
頭の中がいい気分になって、考えが活性化したり、気持ちが上向いたり
いろんな辛いことを解消できるんだって。
おとうさんは、お酒を飲んでウトウトしている時がある。
「これも、いい気分でいれる時なんだよ」って言っている。
なんという非効率!
おとうさんはウイスキーというハードなお酒が好き。
度数が四十から六十度くらいあるんだ。
しかも樽で熟成させて五年以上も、できるまでかかるんだって。
 
ますまず謎だらけ??
僕も興味を持って、匂いを嗅いでみたんだけど、いきなり眩暈がしてしまったよ。
脳に直接刺激を与えて、覚醒すればいいんじゃないかな?
しかもお酒は楽しい時ばかりじゃなくて、幸せな時、辛い時、悲しい時……
いろんなシーンで飲むらしい。ますます理解できない。
気分も紛らわす時にも――
そんなことを考えていたら、眼の前でおとうさんがウトウトし始めて、
僕もつられて眠くなってきた。
もう寝ようよ! おとうさん! って腕をカリカリしてみる。
ああ、今日もいい一日だった……。

↓「宇宙犬マチ 第3話」に続く


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