
なぜ正しいことが通じないのだろうか。
ずっと問いでした。
正義は勝つ!と言われて育ちました。
でも、現実に正義は勝ち続けてはいない・・・
そもそも正義の定義なのだけど、それは置いておいて。
正義が正しいのなら、世の中そうなっているはずです。
でもクールに見渡しても、誰にとっての正義もあるし、正しいことってなんだろうと。
一つ、「戦う」というテーマで思考すると、
「善悪で戦っていても、拉致あかないじゃん、この世の中」
と、思ってきちゃうのです。
どうやら、違うのではないかと。
戦わないこと
善悪でジャッチしないこと
そっちを向かないで、今ある素敵なこと、面白いこと、楽しいことに意識の焦点を合わせること。
ついこの間まで私は、「なんて酷いこというの」「事実と違います」「ちょっとちゃんと話しましょう!」と、結構はっきりとお人と争うような人でした。
それがどうしたことでしょう(笑)
どうでもよくなったのです。
自分のことを悪く言うひとを責めたり、くやしがったり、悲しかったりしていましたが、そういう感情がないんです。
同じところには間違いなく一緒に生きているのですが、次元が違うから噛み合わないというのか・・・
「ちょっと、何言っているかわからない」ですよねw
それは、喜力という言葉に気づき、自分自身を試していくうちに、そうなっている不思議な感覚を体験したからです。
そういえば、無邪気に喜ぶチカラのある人って、いつも幸せそうで人間関係も穏やかなんです。周りを見渡すとまさに!でした。
私達が求める、真の正義って、怒りや恨み、悔しさ、悲しみって、存在しないものなのかもしれません。
そもそも「正しい義」ってなんでしょうね。
300年以上前、お国のためと、人を何万人と殺し合っていた戦国時代。
いまや、そのリーダーたちは、大河ドラマでヒーローです。
それもその時代の正義同士の正しい戦い。
でも、パパが子を守るための正義とかは、正義という言葉を超えているので素敵です。
喜びのチカラは、想像以上に自分を強くしてくれます。
いわば、喜力には、生きるための免疫力を高めるチカラがあります。
昨日の喜録(ベスト3ではない)
①記念パーティで喜力本を買ったよ(自己申告)という方に贈る、おっ!と言わせるささやかな記念品が届いたー!
②Facebookのプロ写真が可愛いと、♫年下の男の子♫に言われた。うふ
③贅沢をしなくても生きていけることって本当に気持ちがいいなあっと背伸びができたことに、はっと気づいた。
(若い時はブランド物、海外旅行、BMWに豪邸&別荘、他・贅沢が悪いということでは決してないです)