「努力家」ではなく、「喜力家」
今日、湯島天満宮の菅原道真学問の神様にご挨拶してきました。生涯学びの人生です。はじめてお邪魔してきました。
私は、夢や目標を持たないで生きてきました。
え?っと思いますよね。
努力するとか、挑戦して苦労したり、「忍耐」「根性」の言葉にも違和感がずっとありまして・・
いや、すごく嫌でした・・・
自分でもなぜだかわからずでしたので悩む訳で。
とにかく子供の頃から拒否反応がひどく、ずいぶんと親は苦労したと思います。
学校で、
あなたの夢は?
あなたの目標は?
と聞かれても、まったくないので、お友達の言ったことをコピペしていました。(もう時効ってことでw)
母が重病で、いつも看病と家のことで、「今」に必死でした。とにかく、母が今日生きていてくれれば。
私が17歳のとき、母は余命4ヶ月と宣告。
しかし、そこから20年間生きてくれた奇跡が、きっと今の「喜力家」になる私を育ててくれたと思います。
努力家ではなく、喜力家(笑)
努力を否定しているのではありません。
努力家だととはたから見られていても、本人にはそんな自覚がないということってありますよね。
母を日々喜ばすことしか考えていなかったので、母がもし亡くなったときには、自分はその先、生きて行けないと思っていました。
しかし、いつも「今」を最善化し生きていたので、母がいなくなってもやはり「今」を生きていけたのだと思います。
そういう癖がついていたんですね。
有り難いことです。
とにかく、今日生きていてくれたのが嬉しくて・・・
未来を考えると・・・
母が死ぬということに直結するからだったのだと、今、昔の自分を理解します。
夢や目標はなくても「願い」は強かったと思います。
それが母が20年も生きてくれる奇跡になったと、今も信じています。
宗教団体やスピはよくわからないけど、お天道様はいると・・・
夢や目標を持つのではなく、私にとって生きるとということは、発展進化であるということ。
その発展や進化は、私にとって「平和的で豊かで健康」でありたいと、ただそれだけを日々思っているだけです。
今までも
これからも・・・
次回は「努力家」より「喜力家」って?を、さたにチラリ(笑)語ります。
昨日の喜録(ベスト3ではない)
◎ちょっとしかない嫌なことに押しつぶされるのが私達。その癖を改めて、嬉しかったこと、楽しかったこと、喜んだ自分を思い出そうとするチカラが、自分が望む豊かさと幸せを生んでいきます。
①最後の原稿チェック♡楽しい。
②地下鉄で幼い兄弟。お兄ちゃんが弟にこそこそ。(お母さんは反対側に座って見守っている)
兄「お母さんの日ってくるから一緒にプレゼントを作ろうね。」
弟「うん・紙飛行機でいい?」
兄「うん、そうしよう。お母さんが好きな黄色い折り紙でたくさんつくろうね」
弟「うん!」
お母さんに紙飛行機、黄色いって・・・んもう!
泣けるよぉ・・・うう♡
③地下鉄に乗ってこの二人の隣になった奇跡がたまらない。