「胃が合う」そんな視点があったんだな〜
先日図書館で借りてきた千早茜さんと新井見枝香さんの共同エッセイの
『胃が合うふたり』を読みました。
最近私は千早さんの小説を読むことにハマっており、読みたい本が渋滞しているという大変幸せな状況です。(千早さんの小説の魅力もまた改めて書きたい)
『胃が合うふたり』はエッセイということで千早さん作品では私にとって初めて読むジャンルでした。
そもそも「気が合う」じゃなく「胃が合う」なんだ😳?と不意をつかれたようなタイトルが気になって手にとったのですがまぁ面白い。
友人関係において一緒に出かけるとなると食事をする機会は大抵あると思います。
その関係を構築する上で、確かに食事に対する姿勢やキャパが似ていると「気が合う」という条件に加えて、より濃密な時間が過ごせるのかなと自分自身の体験を振り返って感じました。
私の場合は胃のキャパがそこまで大きくないのですが、よく一緒に旅行に行っていた友人も同じタイプで懐石料理のメインの頃にはお互いだんだん満腹気味になり、ご飯ものが入らない、なんてこともありました。
そんな時には2人して「我々の胃の小ささを悔やむ、、、」などと言いながらも分かり合える人がいる安心感を抱きつつ楽しく食事をしていたのを覚えています。
また、若かった学生時代には食べ放題にハマっていた時があり前日の夜は食事をしないで気合いを入れて行くスタイルを友人とともにこなしていました。
今考えるとあまり身体には良くないですが、食事に対する気合いの入り方が同じ友人にシンパシーを覚えていました。今でも笑える懐かしい思い出話です。
そういうことが気軽にできる関係は心地よく、お互い食事に行くハードルが下がるのでまた共に出かける運びになりやすいと思います。
生きる上で欠かせない食事という行為を分かり合える、許し合える存在は「気が合う」と同じレベルで重要な項目なのだとこのエッセイを読んで新しい認識ができました。
読むと美味しいものを食べに行きたくなるような作品です。