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僕は君になりたい。 第35話「Moon Water 満月水で乙女になる僕?」



 #35




2月。


写真集のタイトルが告げられた。


『Moon Water』


日本語では「満月水」という意味だという。正確には「フルムーンウォーター」らしいが、それは「新月水」で「ニュームーンウォーター」というのもあり、それと合わせて「ムーンウォーター」というためだという。ただ、どちらも「ムーンウォーター」なので、「満月水」と訳しても良いのだそうだ。
何でも、青いガラス瓶に水を入れ、それを月光浴させて浄化した水のことらしい。

なぜ、そんなタイトルなのか。
「ムーンウォーカー」の間違いじゃないかと僕は思った。そのほうがまだ耳に馴染みがある。


「“満月水”だけじゃなく、“月”と“水”って、それぞれの意味もあるらしい。WaterのWが大文字になってるのは、そういう意味だって聞いた」


「…へぇ」


誠さんの説明に、僕はただうなずくしかなかった。



『月』は分かる。
STAR☆CANDLEの "月城琉唯”なのだから。

『水』は何なんだ?
こんな真冬に水浴びたりさせられるのか?


とりあえず、公式発表されるまでタイトルなど絶対口外するなと言われ、家族にもメンバーにも言えないまま、僕は悶々としていた。


撮影は、2月14日からだと告げられた。

バレンタインデー…深い意味はないと思うが、あの猛烈な柳生至成氏のどアップとなんか女っぽい喋り方がちらついて、少しだけ不安だった。


「琉唯ちゃーん! いよいよねぇ〜♪ オジサン楽しみでしょうがなくて、遊びにきちゃった。驚かせて、ごめんねー!」


今日は2月3日。
節分の豆まきで、赤鬼が来たのかと思った。


柳生至成。有名なプロの写真家。

そんな威厳、どこにも感じられない。


また真冬にも関わらず、いつもの赤いアロハシャツを着て、1人だけ真夏のように額に汗を滲ませている。



しんどい…会っただけで、もうしんどい。



僕は誠さんと一緒に、面談室で柳生氏と向かい合って座った。

「早速なんだけど、琉唯ちゃんにはこれからボクのことは『シセイさん』て呼んでもらいたいのと、あとお願いがあって…」

そう言って、彼はカバンの中からガサゴソと何かを取り出した。

「コレね、ムーンウォーター。ムーンウォーカーじゃないからね!…って、あはは、通じないか、親父ギャグだった!
ところでね、琉唯ちゃんにはコレを飲んで欲しいんだわ。顔や姿は元々美しい琉唯ちゃんだけど、身体の中までもっとキレイになっちゃうらしいのよ。つまりね、心の緊張も解けてね、最高のキミができちゃうってわけ! 
それはもう…アイドル界の『ヴィーナス誕生』ねー!」



目の前に置かれた1本の青いガラス瓶…。



ヴィーナス?



何させる気だよ、僕に。


めちゃくちゃ不安なんですけど…


あと、『ムーンウォーカー』って親父ギャグなの?


マイケル・ジャクソン、ですよね?
知ってますけど? オレ。



「この水を、今夜と明日の夜までに飲み切ってくれる? 何でも効力があるのは48時間以内らしいの…それと、あなたを『乙女』として撮るのが条件だから、コレを『自分は美しい乙女だ』と念じながら飲んで欲しいの。私生活で女子っぽくするのは、難しいだろうけど、毎日夜の15分だけ、女の子になってみて。仕事モードじゃないときよ? この水は、ご自宅に1日置きに配送させてもらうから、撮影終わるまで続けてね」


「今日から毎晩…撮影終わるまで、ですか?」


「そう、終わるまで、毎晩ね」


「…えと。女の子の心って、どうすれば?」


「女の子の心の内を、想像してみるだけでもいいわ。自分が女子だったら、どんな男子を好きになるかとか…どんな服装をするかとか…好きになりそうなスイーツ、とかね」



「どうしても、ですか?」



僕は食い下がる。


ドラマや映画ならば役作りとかあるだろうけれど、写真を撮るために、そこまでしなくてはならないのかと、疑問だった。




「…ええ、どうしてもよ」



彼はそのギョロ目をまっすぐに僕に向けて、ぐっと圧をかけてきた。



「あなたなりのやり方でいいのよ!
女性アイドルとして、成功しているあなただもの、きっと上手くやれるとボクは信じてる。
期待してるわよ、琉唯ちゃん!」



出来ないの? と思われるのも何だか悔しかった。
仕方なく僕は息を吐きながら言った。



「……寝る前に水を飲んで、自分が女の子だったらと思えばいいんですよね?」



僕は声を低めて言うと、ぐっと奥歯を噛み締めて感情がこぼれぬようこらえた。



…アイドルなんて、やはり中身の薄い外ヅラだけのハリボテだと。

…中2男子なんて、言われたこともまともに出来ないガキなんだと。



そんなことを思われては、

アイドルにも、
中2男子にも、


悪い。


何より、今までの「自分」に。


悪い。



「そうそう、さすが琉唯ちゃん! 理解が早くて助かるー。よろしくお願いね!」




シセイさんは手を一打ちし、汗だくなギョロ目のデカい顔に満面の笑みを浮かべた。




 ☆




僕のアイドル卒業に関する公式発表は、月城琉唯の15歳の誕生日である5月5日を過ぎた、ゴールデンウィークを明けて、すぐの大安日と決まった。

それに合わせて、写真集の発売日も発表するとのことだが、今のところ卒業1か月前の7月31日が最有力だという。
なので、夏を意識した写真集になる可能性が高いな、と誠さんは言った。

となると、肌露出度はやはり高そうだ。

CGは使わずに、と豪語していたシセイさんの腕を信じないわけではないが、男とばれる心配と、単に真冬に薄着は嫌だなという自愛の意思がよぎる。


今、僕の机の上には、例の青い瓶がある。


「満月水」…。


身体の中から、心まで、すっきりきれいにしてくれるという神聖な浄化水。


それを煮沸洗浄したコップに注ぎ、ひと口味わってみる。


…普通の、水、の味だ。


高柳や綾香が言うには、僕はガキ舌なので、水の味など分かるわけもなかったが。



「えっと…自分が、女子だったらって、考えてみるんだったよな」



月城琉唯の格好をしていても、僕は特別女子であろうとは思っていなかった。

スカートをはいたときガニ股にならないようにしたり言葉遣いには気をつけているが、それは単に「男であること」を隠すためであり、「女であること」を意識してのことではなかった。
それに、衣装に合わせてそれなりの様子をしていれば、だれも僕に女子としての不自然さを唱えてこなかった。

つまり、アイドルとしてやっているだけならば、特別に女っぽさなど必要ないのだ。
かわいい顔と良い歌と良い踊りができれば、それで良いのだ。あえて付け加えるならば、愛らしいウィンクとスマイルができれば、なおバッチリというわけで、僕は、それらを一応クリアしていると思っている。

だから、彼の要望さえなければ、今のままで何の補足も必要ないはずなのだ。


それなのに、写真を撮るうえで「乙女の心」が必要だという。


何のために?


女装でバレてないのに、それ以上の意識改革をする必要性が、僕にはよく分からなかった。



でも、仕方ない。



やれと言われて、やれないなんて…やっぱりカッコ悪い。


「えーと、オレが女子だったら、どんな男子を好きになるか…そうだな、やっぱり勉強はできるほうがいいよな、運動もダントツビリな奴じゃイヤだし、顔もできれば整ってて、当然だけど、意地悪なヤツより、優しいヤツのほうがいい。身長は、自分より少しでも高ければいいかな…デブは嫌だな。ほかには…好き嫌いが少なくて、真面目な人。宿題は自分でやる人。忘れ物をしないとか…常識的なタイプだよなー、普通すぎるけど、やっぱり普通って、良いから普通になってるもんだろうし。うーん…あとは、好きなスイーツか。これ、オレの好みじゃダメなわけ?」


1人でぶつぶつ呟いていると、姉が神妙な顔をして、僕の顔を覗き込んできた。



「あんた、何言ってるの? どんな男子を好きになるかって…なに? まさか、あんた! 本気でそういう趣味だったの? べつにね、全否定するわけじゃないわよ…だから、お姉ちゃんにだけ、真実を言ってごらん? 親には黙っとくからさ…」



「…はあ? 勘違いすんなよ。これは写真集撮るための、役作り! シセイさんにやれって言われて、しょーがなくやってんだよ! 大体さ知ってるだろ! オレが綾香と付き合ってんの」


「そうだけどさ…」


姉は、僕の机の「満月水」の入ったボトルとコップを見下ろす。


僕は「満月水」の話を説明してやった。


「そうなんだ…へえ、浄化の水ね」


「理系の姉貴には、興味ないだろ」


「まあ、専門外ではあるけどね。でも、心理的な効果が期待できるっていうことなら、心理学分野にはなるわね」


僕は、ふと思いついて訊いた。


「…姉貴ってさ、そもそもなんで医者になりたいの? 天才外科医でも目指してるの?」



所謂『神の手』とか呼ばれるような外科手術の執刀医に憧れているのだろうか?



「違うわよ! 内科医よ、岸本先生みたいな…」


ん、岸本?


まさか、あの近所のおじいちゃん先生?


岸本内科医院の院長先生?


え?


そうだったの?



「あんたは、赤ちゃんだったから覚えてないでしょうけどね。私は小学校に上がる少し前にね、重症のインフルエンザにかかっちゃったの。そのとき岸本先生の的確な判断と処置で何とか命を取り留めたの。苦しかったけど、覚えてる。先生が神様に見えた。だからね、私も町医者になって、周辺の人たちの命を助けてあげられたらなって思ってるのよ」


つまり、あのおじいちゃん、姉貴の命の恩人なんだ。ヒーローなんだ。



なんか…意外だけど、そういう理由だったのか。


「へえ…そうなんだ。初めて知ったよ。じゃ姉貴の憧れの医者って、『岸本先生』なんだ」


「バカにしてない?」


「まさか。逆に、見直したよ、姉貴のことも、先生のことも」


僕は姉を見返って、淡く微笑んだ。


姉は頬を赤くして「あらそう?」などと慌てたように呟きながら、僕の部屋を出ていった。



恥ずかしかったのか、褒められて。



僕はまた静かになった夜の中、
「満月水」の注がれたコップに口をつけた。








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