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1番目アタール、アタール・プリジオス(32)オルゴールの村




 *



アスナロンの集落に入ったところで、どこからともなく、音楽が聞こえてきた。


ぜんまい仕掛けの機械が鳴らす、哀愁ある音色…。


これは… “芸術の神”トゥクルを讃える讃美歌の1つ。


『オルガンを奏でよ』だ。



ほかにも『讃美歌を歌え』『輪舞を踊れ』『花の絵を描け』『木像を彫れ』『刺繍せよ』『壺を造れ』など、100曲以上もある。


ちなみに1番少ないのは、主神パナタトスの2曲で、『汝生きよ』と『聖なる死よ』だけである。




「ぼ、ぼくね、ト…トラン、トラン…ペットなら、す、す、少しだけ、ふ、吹ける、ん…だ」


パルムが言った。

大男は恥ずかしそうにモジモジして赤くなっている。

「へぇ、すごいね。意外だな」

アリエルは彼を見つめて微笑む。


「う、うん。ぼ、ぼくのね、お父さんが…ね、ま、町の…がく、楽団でね、ト、トラ、トランペットを、や、やってたんだ…。お、お母さんもね、フ、フルートをね、ふ、吹いてた。でもね、ぼ、ぼくはね…トラ…トランぺ、ペットのほうが、か、かっこいいな…って思って、ね」


「はは、それは…ぜひ聴きたいな、パルムさんのトランペット。ねえ? ロエーヌ姉さん」


「そうですね、私も聴いてみたいです」


ロエーヌも穏やかに笑う。
冬の夜風が冷たい中に、わずかに暖かな空気が漂うが、それはパルムのくしゃみで一旦止まる。
止まるが止まると同時に、明るい笑声になった。




アスナロン村に、夜が透明な青ガラスのような闇を落とし始めていた。
そこに優しく点々と小鳥が声を競うように鳴るオルゴールの音色たち。
『オルガンを奏でよ』のほかにも、『ステップを踏め』とか『太鼓を叩け』など、トゥクルの讃美歌で溢れる。


「ああ、これ…『子守唄を歌え』ですね。実家にもありました」


ロエーヌが耳を澄ます。


「うん。俺も知ってるよ、こっちは『詩を綴れ』だね…よくお祖母様が歌ってて、好きだったな」


アリエルは呟く。


祖母の面影が、ふと蘇る…。


まだ生きているはずだが、数年前から記憶障害が始まり、彼を自分の孫と認識してくれているのか怪しくなってきていた。
それでも、独りでいる彼に時折一生懸命に話しかけてくれた。

彼にはかけがえのない家族であったが、儀式の頃には、もう殆ど何も見ておらず、心がそこにないことも多かった…見ていて、辛かった。


「レミエラス、可愛いね。お父さんにそっくり。可愛いねぇ…」


一族で唯一彼に笑顔を向けてくれる人だった。

頭を撫でてくれた人だった。



こんなことになってしまい、不自由な思いをしていないだろうか…。
あやふやな記憶の片隅に、まだ自分という影は残っているだろうか…。


などと考えたが、今はもうそれを知る由もない。




この村は、町の大きな工場に、オルゴールの部品を納めている下請け工場が多い。
当然ながら、町に納めるだけではない、独自のオルゴール製品も盛んに作られており、こんなふうにオルゴールの音があちこちで流れている。

それに、村といっても、ウラブレル村よりはかなり大きく栄えた村で、もう“町”と呼んでもいいほどである。


ロエーヌは村の中心部からやや外れた、こじんまりとした古い民宿の戸を叩いた。
アタール・プリオジス博士も何も言わないところを見ると、この宿で良いということなのだろう。

周囲にはやはりオルゴールを売る雑貨店が数軒あったが、驚いたのは、そんな店に勝るほどの大小様々なオルゴールが、この民宿『マグナ・トゥクル』の宿帳の机やそこに座る宿主の後ろの棚にみっしりと100個以上は陳列してあることだった。


「すごい数のオルゴールですね…」


思わずロエーヌが漏らすと、宿主は笑った。


「旅の方には、落ち着かないですかな?」


「いえ、こんなたくさんの綺麗なオルゴールを、見たことがなかったもので…」


「ははは、宜しければ、お帰りの際に安くお譲りいたしますよ。兄が趣味で作ったものですので」


「ご主人のお兄様が作られたものなのですか? どれも魅力的で目移りいたしますね、曲もそれぞれ違うのでしょうし…選ぶとなると迷いそうです」


うっとりとオルゴールたちを眺めるロエーヌを、主人は嬉しそうに見つめた。


「お客様、…オットー様とおっしゃいますか。ご興味がお有りであれば、明日は兄の工房にぜひお立ち寄りください。無論、ご都合が良ければですが。きっと、兄も喜びます」


「はい。ありがとうございます、都合がつくようでしたら、お伺いいたしますわ」


にっこりと美しい笑みを主人に捧げると、ロエーヌは案内された2階の部屋へとアリエルとパルムを引き連れて向かった。


「…アリエルさん、大丈夫ですか?」


部屋の中に入ると、荷物を床に置き、彼女は下を向き口をつぐんだままの義弟に声をかけた。


「…ああ、心配しなくていいよ。はは」


パルムが寄り添って、彼の肩に優しく触れる。


「アーリェ…さみし? さみし、なっちゃったの? だい、だいじょ、ぶ?」


彼の顔を覗き込み、パルムが訊ねる。
アリエルは肩に置かれたその大きな手にそっと触れて呟く。


「ああ…どうしてるかな、って…はは…俺を可愛いがってくれてた、唯一の人をね。
年老いて、もう朦朧としてたから、俺のことなんかとうに忘れてるかもしれないけど」


「さっき、言っていた『詩を綴れ』をお歌いになっていたお祖母様ですね…?」


「うん…はは、ちょっと思い出しただけだよ。大丈夫だよ」


「覚えていらっしゃいますよ」


「だと、いいけどね…」


軽く目をこすって、アリエルは荷物の中の物を取り出した。

水晶玉は壁際のテーブルの上に置いた。
それからパルムから譲り受けた黒い手帳を抱え、窓辺の椅子に腰掛けた。


「今夜は、これをちゃんと読みたいんだ…」



周囲は夜の静寂に包まれていたが、耳にはまだオルゴールの残響が張り付いている。

祖母の『詩を綴れ』の歌声を思い起こしながら、アリエルはページをゆっくりと、めくった。










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