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1番目アタール、アタール・プリジオス(31)投石




 *




時折、のんびりと馬車が通り過ぎる道。

日が傾いて、眩しいと思っていると、不意にヒュッという短い風を感じて、アリエルはサッとしゃがんだ。

その上を丸い小さい何かが通過していき、正面の少し離れた所に立つ太い果樹の幹に、カツンと当たって、ころりと落ちた。


「アリエルさん!」


ロエーヌは剣の柄を握りしめ、鋭い眼光を放つ。


「何者!?」


ロエーヌの声の先にいたのは、若い長身の男だった。後方から笑みを浮かべて近づいてくる。


「避けるか、あれを避けるか! まともじゃない…やはり神がかっている! 元《神王家》と『神の烙印』は伊達じゃないな!」


「貴方は!」



「…久しぶりですね、ガロ聖司祭。こんなところにいらしたのですか? レッカスール大寺院に、つい先日司教と訪問した際、失踪したと言われ、心配しておりました」


「…ディアル・ノボー・デック聖司祭!」


彼が投げたのは、親指の先くらいの小さな丸い石ころだった。
当たったところで大怪我をするほどではないが、悪質ないたずらであることは確かだ。


「…私たちを、尾けていたのですか?」

「いえ。たまたまですよ、麗しいあなたと従者殿を馬車の窓から見かけて、1人下車して参ったのです」


言いながら、デックは大男に視線をやる。
パルムは気持ち背を丸めて身を縮め、しょぼんと俯く。

彼女が従事していた、レッカスール大寺院の使用人として住込みで雇われていた彼を、デックは知っていた。ガロと同じく失踪したと聞いた。


「…しかし、まあ得心しました。従者殿はともかく…聡明で美しい『祝福の蒼』の瞳を持つあなたがなぜ今そのような旅の剣士に身を窶し、こんなところにおられるのか…」


そう言って、デックはまだしゃがんだまま、地面を見つめる少年の赤茶の髪を見下ろした。


「…アペル家の、逃げた『贄人』殿ではないですかな?」


細い目を更に細めて、長身の男は少年に問う。


「違います! 彼はアリエル・オットー、私の遠い縁戚です」


ロエーヌ、ことファンダミーア・ガロが叫ぶ。


「僕は、彼に訊いています」

「答えは同じです!」

「本人の口から聞かせていただきたい」

「デック聖司祭!」


2人のやり取りを頭上で聴きながら、アリエルはようやく呟いた。


「…ははは。大丈夫だよ。姉さん…」


ゆっくりと立ち上がり、男のほうに向き直ると、柔和な笑みを浮かべ、アリエルは首を傾げた。


「…俺は、アリエル・オットー。それ以外の何者でもない。俺の大事な人たちを困らせないでくれないかなぁ…デックさんだっけ? もう、俺本人が名乗ったんだから、気が済んだでしょ?」



口元は微笑んだまま。


ただその眼の力は、デックに顎を引かせた。


…表面は澄んでいるのに、ちょっとでも足を入れたら最後、底無しの泥沼のような深い闇の奥へ吸い込まれてしまいそうだった。


彼は、己が恐怖していることに気づく。


デックは額に脂汗を滲ませながら、心の中で必死に聖典の文言を唱え続けた。


「…そうですか。失礼しました、アリエル・オットー殿」


そう言うのが、やっとだった。


『旭光の蒼星眼』という世にも稀な聖なる特殊眼を生まれ持つ者、当主の15歳になる孫息子を儀式の『贄人』として神に捧げると話題になった。

だが、その《神王家》3家のうち最も古い名家だったアペル家は失墜した。
その『贄人』の少年が、儀式の直前に姿を消したからだ。
左胸に《蝶》の烙印…主神パナタトスの御印を受けた後だったという。

本来なら、その苦痛で動けるはずなどないのに、

消えた。

本人以外の意志も働いたと考えられるが、一族は沈黙し、伝統ある《神王家》からの降格も異論なく受け入れたという。



ゆえに、世間は今も不思議がっている。



なぜ、アペルは “彼” を逃がした?…と。




「なぜ、俺に石を投げたの?」


夕闇に妖しく揺らめく栗色の目が問う。

デックは声を震わせながら、正直に言った。


「…ええ、ああ。信じてくれないかもしれないが、僕には人の本性を『影』として視る力がある。あなたの後ろ姿を見て、この目に映ったのは、神の恩恵を人々から奪った “罪人” の幻影…たまにある誤作動です。殺す気は無かったが、害意が全く無かったとは言えない。このとおりです。反省しています。許してください」


デックはその場にひざまずいて、静かに頭を下げ、額を地面の土に擦り付けた。

彼の家も代々聖職者の家であるが、アペルとは比すべくもない。
そして、この少年は、間違いなく例のアペルの『贄人』だ。


年若いからと、見くびっていた。

最初から、自分とは、格が違うのだ。

…これが《神王家》の、『聖血』の者。



「そう。じゃ…俺の口元を見てくれるかな」


言霊に『聖韻』を含ませて言う。

『聖韻』とは、言霊に特殊な韻律を加える発声法だ。古くからアペル家に秘伝として伝わる。
一時的に相手の動きを止め、意識を己の支配下に置く一種の催眠術だった。

占い師モーロ・クヤメルに拾われる前、これを使って難を逃れたこともある…。


デックは我を失った顔を上げる。


「…目覚めたら、この出会いを忘れて、東へ行け。誰にも何も言うな」


あくまで一時的で、3日もすれば暗示は解けるが、時間稼ぎにはなった。


「…御意」


アリエルの言葉の後、デックは頭を垂れ、その一言だけ呟いて、そのまま意識を失った。

それにしても、この男。
本性を『影』として視る、とは恐ろしい能力を持っている。

特殊眼ではないのか?


デックの身体をパルムが担ぎ、道の脇へと移す。

夜が近い。

彼らは足を早め、道中を急ぐ。




…アスナロン。


不意に、アリエルの脳裏に言葉が響いた。


「…先生?」


荷物の中に入っている水晶玉の声に、彼は反応する。


…アスナロン、に滞在せよ。星が告げている。


「アスナロン、…分かった」


彼は、ロエーヌと顔を見合わせ、頷き合った。








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