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1番目アタール、アタール・プリジオス(33)神眼教派



 *



月明かりで読む、黒表紙の本のような手帳。

早世した亡き父の形見の品。



ぱらぱらとめくりながら、彼は自分の身に降りかかった約1年前の災厄…あのときの出来事の一部を思い出していた。


先に飲まされた苦酒のせいで、頭がぼんやりとしてはいたのだが…

左胸に押された焼き印の、烈しく波打つような強い痛みと、蒼く燃ゆるような暗い怨念に、心を占められていたのをはっきりと覚えている。




…そして、その後。
 置かれた自分の状況は、


…まったく理解できないものだった。


自分は『贄人』になったはずだったが…



何故か固い板のようなものに囲まれた場所に寝かされていた。


そして…見下ろされている。


知らない、女たちだ。


ぼやけた頭では輪郭がうまく掴めなかったが、若くはないことだけは分かる。



誰、だ?



部屋は明るい。



朝なのか…



この“眼”を見つめている。



「御身は神の化身なり。我が一族に大きな試練を与えたもう。そして、更なる高みへと我らを導きたもう…」


…やはり、儀式の続きなのだろうか。


とうとう、天に、落とされるときが来たのだ。

絶望が真実となって降りてきて、涙に変わる。


ああ。

何もない、

人生だったな…。


彼は眼を閉じ、大きく息を一つ吐いた。
涙がこめかみを伝っていく。



その耳元にぼんやりと複数の声が霞んで聞こえた。


「おお…レミエラス様、なんと神々しい光を湛えた御眼でしょう! 貴方様こそ、現世の神であられます! まさに奇跡です! その聖なる御涙までもお美しい限り!
情けなくも、我らに力が無いばかりに、この大苦難を召される本日までお目にかかることも叶いませなんだ。誠に申し訳ございませぬ!
ですが、その痛々しい傷痕も、やがては癒えて『聖痕』と変わりましょう。今はお辛いでしょうが、しばしのご辛抱です。
必ずや我らが貴方様の尊い御命とその御中で輝く御眼もお守りいたしますゆえ。
どうか、しばらくお声を出さぬようお願いいたします…」


1人がそう言うと、別の女が説明を始めた。
どこかで聞いたことがある声のように思えたが、思い出せない。


「貴方様は今、死人の棺の中におられます。死刑罰を受けた罪人の死体とすり替えました。窮屈かと思いますが、どうかご辛抱下さいませ。
そして、お救い差し上げました暁には、どうか我らの生き神様となり、お導き下さいますよう!」


すると、また先程の声の女が他を代表するように彼に近づいて耳元で囁く。


「何卒我ら《神眼教派》の新たな『神眼の神王』とおなり下さいませ…!」



……何を言っている?


何を! 


まったく理解できなかった。




理解、できなかったが…



…彼女らの画策によって、彼は神都を脱出することに…



成功した、のだった。




「…《神眼教派》とは、特殊眼を信奉する教団で、死者や偶像を対象とせず、生き神『神眼の神王』を拝礼して尊ぶ宗派だ…つまり、アペル家一族の中にいる《神眼教派》の者たちが、間際になって動き、お前を脱出させたのだろう」

そう説明したのは、『幽体』であるアタール・プリジオス博士だった。


ロエーヌは衝立てを隔てた寝台に寝そべっていたが、アタールとアリエルの声を聞いて起き出し、上着を羽織ると、2人のいるほうの机の前の椅子に静かに腰を下ろした。


パルムはというと、既に大きな鼾をかいて、鼻提灯を出して眠っていた。



《神眼教派》。


それは、彼が1年前の逃亡生活の始まりのきっかけとなった鍵の1つとして。
水晶玉から『幽体』に変化した師匠アタールにぽつりぽつりと語り出した言葉の中に出てきたものだった。


パナタトスを主神とする主教の中では少人数の宗派で“特殊眼所持者”を中心とする。


正しくは《神聖特殊眼教統派》。

それを省略して《神眼教派》という。

“特殊眼”を尊ぶ宗派だ。


推測するに、彼らが“特殊眼中の特殊眼”を持つアリエル(かつてのレミエラス・ブラグシャッド・アペル)、を「死なせてはならぬ」として動いたと考えられる。


「『旭光の蒼星眼』であることを確かめた後で、脱出計画を決行したのかもしれない。仔細は分からぬし、お前も朦朧としていたようだから、確証はないが…」


アタールは述べて、冷静な眼差しでアリエルを見つめる。


「不幸中の幸い…などと言ってはならぬが、お前が彼らに助けられたということは間違いないようだな」


「そうだね…」



アリエルの瞳は暗かった。

心の影を宿している。

アタールとロエーヌの目にはそう映った。


「…俺は、ずっと意識を失っていたみたいで。気づいたら…見知らぬ場所に取り残されていた。
廃墟のような、崩れかけた屋敷の中に裸で毛布に包まれて寝かされていた…傍には、数日分の食べ物と、ぼろい服と紙切れが1枚残されていてさ…『幸運を。生き延びて下さい』とだけ書かれていたんだ。
それで、俺は…神への犠牲になることを免れたことを知った…でもさ、これからどうしたらいいのか…まったく見当がつかなくて。ほら、俺って…温室育ちじゃん?」


自分への皮肉を込めて、彼が笑ったとき。


「…ア、ア、アーリェは、いい…いい子、や、やさしい子…だ、だよ!」


その後には、また一定の鼾が続く。

一同はびくりとし、寝言を叫んだパルムを振り返り、肩をすくめて苦笑する。


「また、貴方の夢を見ているみたいですね」


ロエーヌがアリエルに投げかけると、アリエルはパルムのほうを見つめたまま、独り言のように「まったく、子どもみたいだね…」と優しく目を細めて笑う。




父の手記を振り返る。
何度も読み返して、得た父の思いとは…

初めてこの手帳を見たときにも目にした、この文章に集約されていた。



ーレミエラスへ。


この手帳をお前に捧げる。
僕の命はもう長くないようだ。


お前は僕を恨んでもいい。恨んでもいいが、決して死ぬな。怒りは胸に閉じ込めておけ。
お前は涙を流してもいい。流してもいいが、決して死ぬな。悲しみに心を奪われるな。


お前の命はお前のものだ。
みっともないなんて思うな。


逃げろ。


生きることを諦めるな。


そして、決して死ぬな。
生き延びろ。


それが、僕のただ一つの願いだ。ー



ただ、
「生きろ」ということ。


それだけ…。








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