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Novara城で「Boldini, De Nittis et les italiens de Paris」を鑑賞する
先日、Piemonte州でもミラノ寄りのNovaraという町にあるCastello di Novara(Novara城)内で行われている「Boldini, De Nittis et les italiens de Paris」を鑑賞しに行った。展示が始まったのが11月で、間もなく終了、という頃、ちょうどミラノでもDe Nittisの展示が始まり、両方見るかどちらかにするかを悩み(チケットがどちらも然程安くはないのと、その間Cézanneまで始まってしまい、フランス人の友達にはBrassaïがお勧めよ、と言われ、その他、4月中に始まるとわかっている展示でも2,3興味のあるものがあり、非常に、懐が悩ましいのだ…💦)、結局、展示作品数が多く、宣伝の量が半端なかったNovara城の方が見ごたえがあるだろう、と思い、上述した通りの理由で、懐が薄っぺらくなりすぎないよう、Novaraを一撃することに決めた😂
※Novara城について
まずはお城の説明を少ししよう。
ただしここは、以前載せたPavia城のように、出たり入ったりして歩くことで城も幾らか見た気分になる、というタイプではなく、ただ単に少しだけ城の外観を残した美術館なので、もしどなたかがここを訪れることがあったとしても、決して城として見てはいけない。なので、フランスのロワール地方のお城の中の展示をイメージされている方は、まずはそのイメージを取っ払っていただいた方が良いと思う。
Castello di Novara
1272年、Novaraの市政の長であり、ミラノの領主の弟であったFrancesco Torrianiが建設させた街の政治的支配のための要塞目的の塔であったが、その後、Giovanni Visconti司教の手により大幅な整備がされた。城は何度か改修されたが、Novaraの街を支配する軍事・行政施設としての機能は常に維持された。
その後Napoleonの時代には監獄となり、170年もの間、途切れることなく刑務所を収容していたため、建物の損傷は急速に進んだ。そのため、19世紀半ばには新しい工事が行われ、1973年以降、刑務所としての機能を失った後、国の所有から市政に移管され、現在もなお、修復工事が行われている。
現在は城壁で囲まれているViscontiの城壁と、La Torre del Monicioneと呼ばれる四角い塔に守られていた門の跡が残っている。
外観を(この日も雨だったので、写真が暗くてすみません)。
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時期が時期なのでまだ日傘はささないが、4月中旬の晴れた日なら確実に日傘持参できて、遠くから自撮りしていたに違いない😆
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※展示内容の説明
19世紀後半から20世紀初頭にかけてパリで活躍したイタリア人画家たちの作品を、公共および個人のコレクションから約90点展示。
なぜパリなのか、なぜイタリア人がパリに?
よく知られているように、1820年代初頭からフランスは、一方ではアルプスの向こうの具象文化と向き合おうとし、他方では国境を越えて市場を拡大しようとする数多くのイタリア人芸術家たちを惹きつけていた。Verona出身の画家Giuseppe Canella (1788-1847)もその一人で、フランスを故郷に選び、Fontainebleauの鬱蒼とした森の中で生活の中から絵を描くことに没頭し、1827年のサロンで作品を発表した最初の画家の一人であった。
(中略)
言うまでもなく、高級品とファッションの首都では、アート市場は繁栄しているだけでなく、急成長している。
つまり、チャンスに満ちたこの街には、数多くの外国人芸術家たちが永遠に滞在することを決めたのである。
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それでは展示作品へ移ろう。
※展示-セクション① I pittori italiani alla conquista del mercato internazionale(訳: 国際市場を制覇するイタリアの画家たち)
まずはこのセクションの説明文の要点を下にまとめてみた。
Haussmann男爵(1852-1870)によって設計された第二帝政期の近代的様相を呈したパリ。旧市街を貫く広い大通りが開通し、ブルジョワジーの余暇活動を目的とした新しい公園が造成。Lumière邸は強烈な創作熱の中心地となり、偉大な巨匠たちとの対決や新しい流行を求める多くのヨーロッパの芸術家たちを惹きつける魅力的な場所となった。
このセクションでは、70~80年代の厳選した作品を紹介する。
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Concertino all'aperto 1875年(訳: 野外コンサート)
物語画を専門とした画家だそうです。このツルっとした印象を与える作風、個人的には大好き。
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Vecchia canzone 1871-72年(訳: 古い歌)
18世紀の衣装を身にまとった2人の女性が、ロカイユ装飾の部屋で音楽に興じているところを描いた作品
Giovanni Boldini
イタリアの印象派画家。Belle Époque時代のフランス・パリ社交界で肖像画家として名声を得た。
名の知れた画家一族の家系に生まれ、父や義兄から画法を教わる。周囲の勧めで1862年にFirenzeの美術学校に入学し、1868年まで在籍。同校では外光派の画法に傾倒した。
外光派や印象派の技法をさらに探究した結果、彼独自の神経質、スケッチ風、花火を散らしたような画法を確立。
ロンドンに長期滞在後、1872年よりパリに居を定めた。1880年代、パリの紳士貴顕や美女を注文主とする肖像画家として成功を収めた。
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Due signore con pappagallo 1873年(訳: 2人の女性とオウム)
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Mattinata 1878年(訳: 午前中)
田舎の方の漁師か農夫とその家族の海沿いでのある朝の様子、という感じでしょうかね?
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Giardino d'acclimatazione, Parigi 1884年(訳: 順応の庭、パリ)
補足説明がないので、何が順応なのかわからないけれど、、、そういうタイトルだそうです。
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Passegiata sul Bosforo 1879年(訳: ボスポラス海峡の散歩)
トルコのヨーロッパ部分とアジア部分を隔てる海峡を散歩する女性だけあって、今見てもハッと思わせるのだから、当時は相当エキゾチックだったでしょうね。
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Giapponese 1874年(訳: 日本人)
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この手指、どうですか?エロスですね、エロス(笑)
※展示-セクション② De Nittis e Boldini tête- à- tête
(訳: De NittisとBoldiniの直接対決)
タイトルからして、De NittisとBoldiniしか出てこないのは明らかだが、一応、このセクションの説明文の要点を下にまとめてみた。
1867年、ユニバーシアード博覧会を機に初めてパリを訪れた2人の画家、De NittisとBoldini。男性としても芸術家としても全く違う2人の画家が最も成功した、1970年代初期から1980年代中期にかけての詩学と言語の変遷を示す油彩画とパステル画の作品の数々を展示。
Boldiniの絵画の中には、画家のモデルであり、約10年間恋人であったBertheに捧げられたシリーズがある。若い金髪のBertheの姿は、やがて黒髪の官能的な姿に取って代わられる。黒髪で官能的なGabrielle de Rastyは、Constantin de Rasty伯爵の妻で、Boldiniとは1990年代後半まで愛人関係にあった。
一方、De Nittisは、Boulogneの森の近くに購入した小さなお屋敷で、1869年に結婚したLéontineを描いた作品を制作していたが、1884年にDe Nittisの突然の死により、2人の直接対決は突然終わりを告げる。
要するに、Boldiniは女たらしで長寿、De Nittisは純愛で薄命だったわけだ。
既にBoldiniのBioは紹介したので、作品へ移る前に、De Nittisの紹介をしておこう。
Giuseppe Gaetano De Nittis (Barletta 1846 - Saint-Germain-en-Laye 1884)
ヴェリスムと印象派の芸術潮流に近いイタリアの画家。
幼少期から孤児で、父方の祖父母のもとで育ち、Barlettaの画家に弟子入りした後、1861年に家族の反対を押し切ってナポリの美術アカデミーに入学。
しかし独立心が旺盛で、どんな計画にも寛容だった彼は、学問的な観念や練習にあまり興味を示さず、2年後に規律を欠いたという理由で追放された。
1867年にパリに移り、2年後にLéontineと結婚。
1884年、脳溢血で倒れ死去。
いざ、作品へ。
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Suzanne e Madeleine Boussod in Giardino 1874年(訳: 庭にいるSuzanneとMadeleine Boussod)
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Sulle rive della Senna 1874年(訳: セーヌ河岸にて)
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Passeggiata con i cagnolini 1874年(訳: 子犬たちとの散歩)
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Berthe esce per la passeggiata 1874年(訳: 散歩に出かけるBerthe)
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Bertheさん、ゴージャス。白いドレスに青い靴下を併せるところがなかなか粋ですね。赤だと娼婦になるけれど、青は文芸趣味や学識のある女性の意味ですからね。しかしどうも、彼女は単なるモデルにすぎず、教養や学識の有無については触れられておらず、Boldiniが熱を上げていて、それ相応に描いたということのようですね。
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Berthe che legge la dedica sul ventaglio 1878年(訳: 扇子に書かれた献辞を読むBerthe)
当時の解放された、特に博学なパリの女性世界の繊細なエレガンスを、並外れた想像力で美しいBertheの上に表現した作品だそうです。
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Léontine in canotto 1874年(訳: ディンギーに乗るLéontine)
妻への愛が感じられるのと、Léontineは、お屋敷で教養のある人々を招き文学等に関するサロンを開いていたようなので、博識な女性だったのでしょうね。
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Dans les blé 1873年(訳: 小麦畑で)
有名な作品ですよね。本当に優雅で美しい。
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In attesa 1874年(訳: 待ち時間)
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Al Bois de Boulogne 1873年(訳: Boulogneの森で)
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Ritratto di Mme X 1880年(訳: X夫人の肖像)
18世紀後半からフランスで流行した軽騎兵部隊の制服の一部だったという、毛皮の縁取りが施された赤いハンガリー風ジャケットが掛けられた椅子に寄りかかるMme X。暗い背景にジャケットの赤色とマダムの白い肌が際立ち何とも妖艶な一作。
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La lezione di pattinaggio 1875年(訳: スケートのレッスン)
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Alla scuola di ballo 1879-1880年(訳: ダンス教室にて)
随分と恰幅のいい踊り子に見えますね。バレリーナっぽくない体つき。。。私はドガの踊り子の方が断然好きです。
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La contessa de Rasty seduta sul divano 1878-1879年(訳: ソファーに座るRasty伯爵夫人)
1874年末にこの高貴な夫人と出会い、パリの貴族の集いに参加するようになったBoldini。1878年からは夫人と愛人関係になり、彼女を描いた作品を数点残している模様。色彩の幅はかつての華麗な色彩よりも抑えられ、暗い色のトーンで勝負している、という説明があります。
※展示-セクション③ Zandomeneghi. Un “breve soggiorno” lungo una vita(訳: Zandomeneghi 生涯における短期滞在)
次のセクションへ行こう。本当は③⑤⑦としての作品もあったが、タイプではないので飛ばし、繰り上げて紹介することにする。
まずはこのセクションの説明文の要点からどうぞ。
1970年代半ばから20世紀初頭にかけてのヴェネツィア出身のFederico Zandomeneghi(1841-1917)の絵画の変遷を紹介。
1874年、短期留学の予定で33歳でパリへ渡ったが、彼がパリを離れることは二度となかった。生活に困窮していた頃、ファッション誌のフィギュア・デザイナーとして生計を立てながら、ピガール広場にあるCafé de la Nouvelle Athènesへ通う。ここは1874年のサロンで落選した作家、音楽家、批評家、若い独立画家たちが集う場所であった。
既にフランスの自然主義絵画から離れていたZandomeneghiは、特にManetとDegasの研究に取り組み、1879年には第4回印象派展に参加。彼のキャンバスには、非常に個人的な色彩の使用、構図のカットの無頓着さ、緊密なフレーミングによる彼の絵画の更なる発展が見て取れる。その証が、最も繊細なパステル画である。
作品の紹介へ移ろう。
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若い女性が母親に髪を整えるのを手伝われている様子。
人物は逆光の中に配置され、Degasが採用した手法に近い、微細な糸状の筆跡で構成された色彩のテクスチャーで表現されている、という説明があります。
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女同士の密やかな会話は尽きない、というやつでしょうか。
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※展示-セクション④ Attimi rubati: l’universo privato
(訳: Zandomeneghi 盗まれた瞬間:私的世界)
遂に、お待ちかね(?!)のエロスを醸し出している作品群へ移ろう。
タイトルからも見ての通り、、、
あまりにも美しいからちょっと覗き見してみた
→→→ちょっとだけと思ったのについつい目が離せなくなってしまった
→→→そして夜になっても彼女たちの美しさが脳裏をよぎり、その思いに浸ってしまう
というような作品たちだ。女だからとか男だからとかいう問題ではなく、誰が見ても掛け値なしに美しい作品なので、是非能いただきたい。
その前に説明文をどうぞ。
展覧会は、城の小さな「独房」の部屋で親密な雰囲気に包まれたヌードや女性の被写体を厳選し、それぞれのアーティストの個性や感性の違い、被写体へのアプローチの違いを深く反映させながら続く。
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Giovane in déshabillé con specchio(La Toilette) 1879-80年(訳: 鏡を持つネグリジェ姿の若い女性)
Bertheの甘くいたずら好きな美しさを呼び起こすかのような体つきの若い女性を描くことで、Boldiniは、絹の大きなパステル画に描かれた主人公の官能性と魅惑的な力により感情移入している、加えて、やんちゃでやや奔放な現代のヴィーナス、という説明もついています。
若くて白い艶のあるなめらかそうな肌、この流し目、この首の傾げ方、クロスした両手首など、本当に1つ1つ計算し尽くされたかのような美しさですよね。
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Nudo di schiena 1879-80年(訳: バックヌード)
柔らかく繊細な雰囲気がNittisの裸婦像を背後から包み込み、画家の視線はそこに注がれ、洗練された色光の関係を研究し、真珠肌のような効果を生み出している、という説明付きです。
やっぱり、エロスとしてはBoldiniに軍配が上がるかな、と個人的には思いますがいかがでしょう?
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La contessa de Rasty coricata 1880年(訳: 横たわるRasty伯爵夫人)
愛人の伯爵夫人が、「Giovanni、あなた眺めてばかりいないで、さぁ早くこちらへいらっしゃい」とでも言っているような姿。薄絹のお召し物を取ると、そこからは濃密な花の香りが…みたいな感じでしょうかね😂
エロティックな意味合いを持つこの作品では、非常に洗練された色彩の技巧が、ドローイングの透明感と組み合わされても、ルノワールの作品との親和性を示している、という補足説明付きです。
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Dopo il bagno 1888年(訳: 入浴後)
虎の敷物と乱れたソファーや家具を見やりながら、入用後の身体を拭く伯爵夫人。
「Giovanni、今日の私いかがだったかしら?」と問われ、彼女の背中とヒップラインに釘付けになり、家具の乱れなどにはもはや目もくれないほどに高揚するBoldini、というシチュエーション。
もしくは、、、
「Giovanni、大変よっ、あなたも早く着替えて。伯爵が戻ってきたわよ!!」と急かされ、慌てふためくBoldini、というシチュエーション。
さぁ、あなたはどちらだと思いますか?
溢れ出るエロスに妄想も膨らむというもの。
こういった作品を見ながら創作活動を3,4人でして、発表し合うのも楽しそう。。。どなたかシマ子と創作ごっこされたい方、挙手を、な~んてね😂
※展示-セクション⑤ Il ritratto mondano(訳: 世俗的な肖像)
なんだかんだ言っているうちに、最後のセクションへ来てしまった。
ここはあまり気に入った作品はないのでササっと行こうと思う。
まずは説明文から。
最後のセクションは、BoldiniとVittorio Matteo Corcosによって描かれた「世俗的な肖像画」である。このタイプの肖像画は、同時代の画家たちの間で彼らを非常に人気のあるものにし、並外れた筆致によりキャンバスに描かれた高名な人物と同じくらい有名なものにした。
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Ritratto di Lina Cavalieri(※) 1902年(訳: Lina Cavalieriの肖像)
※イタリアのソプラノ歌手、映画女優
画家の内面世界の最も親密な側面を把握できるようなファム・ファタルのポーズを取り、という説明があるので、恐らく、画家の強い片思いか一目惚れが描かせた作品なのでしょうね。
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Signora adagiata su bergère(※) 1905年(訳: ベルジェールの上に横たわる女性)
※布張りの背もたれと布張りのフレームに肘掛けが付いたフランス製アームチェア
この胸元の深い開き、余裕の微笑み、リラックスしたポーズ、なんとも優雅ですよね。21世紀をせかせかとフルタイムで生き、懐の中身をしばしば確認する私を含めた女性たちにはない構え😂
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Ritratto di Elena Concha y Subercaseaux 1888年(訳: Elena Concha y Subercaseauxの肖像)
Elenaさんが妹で、下のEmilianaさんがお姉さんのようです。
Emilianaさんの方が有名なようで、「チリの富豪の女子相続人、19世紀後半のパリ社交界の花形の1人」とありますが、美人姉妹だったことには違いないでしょう。
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Ritratto di Emiliana Concha y Subercaseaux(Pastello bianco) 1888年(訳: Emiliana Concha y Subercaseauxの肖像)(通称 白いパステル画)
確かに、Emilianaさんの方がチャーミングですね。しかしElenaさんの顔の小ささも負けず劣らずだな。やはり甲乙つけがたい美人姉妹ですね。
以上で、この展示の紹介およびつぶやき的感想は終了する。
3セクションを省き、その他の5セクションでも好みでない作品はバサバサと落としてみたが、それでもかなりの分量になった。
ここへきて、やっぱり、懐が悩ましくても、De Nittisの展示も見るべきか、などと思い始めている自分がいる。しかしBoldiniのエロスの方が個人的には好きだし、う~む。。。展示は6月までやっているから、まずはCézanneを見て考えよう、そうだ、それがいい、そうしよう。
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どこかの学校(高校かな?)の生徒さんが作ったようです、上手ですね。
【後日談】
実はその翌週にCézanneを見、あまり展示内容がぱっとしなかったので、その勢いでBrassaïも見てしまった。後者の方が断然よかったが、撮影禁止だったため、紹介することがかなわないことが発覚した。
ゆえに、もしうまくまとめられたら、近いうちにCézanneは紹介できれば、とは思っている。
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