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Naturalis Historia(博物誌)という展示を鑑賞する

先日、お気に入りのギャラリーの一つで始まったばかりのNaturalis Historiaという展示を見に行った。彫刻家と画家の二人展で、「自然」という共通のテーマを探求する二人の異なる芸術的研究の比較・融合が同時に見られる展示だった。

自然と言っても幅が広く漠然としているので、まずは展示案内の意訳を載せよう。


※展示案内

展覧のタイトル「Naturalis Historia」は、「博物誌」と訳され、自然界に関する多くの研究を含む百科全書的な著作である長老プリニウス(紀元23~79年)の有名な論考を指している(※)。
自然界であれ人間界であれ、大宇宙と小宇宙における世界の分析は、現代アートにインスピレーションを与え、情報を与え続け、アーティストがアイデンティティ、つながり、絆、二元性といったより深いテーマを再構築することを可能にしている。

画家のLinda Carraraは、風景と自然に対する私たちの認識を調査し、世界と人間の本性に潜む二重性を詩的な表現で明らかにする。Mikayel Ohanjanyanは、古代の記憶と現代の記憶の具体的な結合によって、目に見えないが現実の人間同士の絆を彫刻で表現している。

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※プリニウス博物誌
全37巻からなる地理学、天文学、動植物や鉱物などあらゆる知識に関して記述した書物。数多くの先行書を参照しており、必ずしも本人が見聞、検証した事柄だけではない。怪獣、巨人、狼人間などの非科学的な内容も多く含まれ、学問的な体系を完全に成してはいない。
特にルネサンス期の15世紀に活版印刷で刊行されて以来、ヨーロッパの知識人たちに愛読・引用されてきた。科学史・技術史上の貴重な記述を含むほか、芸術作品についての記述は古代ローマ芸術についての資料として美術史上も珍重された。また、幻想文学にも影響を与えた。

展示会案内より抜粋・意訳/※はWikipediaより

※プリニウス博物誌に興味のある方は下のリンクを参照

ネットより「Naturalis Historia」

※アーティストのBio

2人のアーティストを簡単に紹介しよう。
前者については小難しい感じがするが、作品への理解を深めるのに役立つと思われるので、さらっと読んでいただけたらと思う。

Linda Carrara(Bergamo, 1984)
ミラノとブリュッセルを拠点に活動する画家。
最近の作品では、彼女の芸術的実践は、現実の「活力主義的」表現へとシフトしている。素材と絵画的行為が作品の焦点となり、純粋に具象的なものから「具象的な絵画的出来事」へと向かっている。この意味で、作家が提示するイメージは、それが描写するものと一致するのではなく、それを生み出した原初的な経験、それを参照する観察、その根源的な側面を呼び起こすことを意図している。

展示案内より

Mikayel Ohanjanyan(Yerevan, Armenia, 1976)
フィレンツェとカッラーラを行き来しながら制作活動を行う彫刻家。
彼の芸術的訓練は、アルメニアからイタリアへと枝分かれする深いルーツを持ち、絶え間なく進化を続ける彼の芸術的実践に集約されている。このつながりは、アルメニア文化や彼自身の風景から受けた影響、そしてイタリアで受けた芸術的訓練の結果であり、彼の作品にはっきりと表れている。

展示案内より

※作品案内(地上階)

まずは地上階のMikayel O.の彫刻作品から行こう。
作品群にはLegami(絆)、そのメインにはRi-cordisというタイトルが付けられている。イタリア語でricordo/iは"記憶"とか"思い出"という意味だが、絵画ならまだしも、彫刻となると説明なしにはアーティストの伝えたいことが伝わらない場合もしばしばあるので、説明ばかりになってしまい申し訳ないが、先に作品づくりに関する説明文の意訳を載せよう。

人間の本性は、時間が刻まれた石の表面のように、一見形がなく調和がとれていないように見えるが、その内部には、私たちの経験と歩む道を構成する記憶と想起の非常に強固なネットワークが保存されている。力強さと結束の真の象徴である石は、その内部の結晶ネットワークの化学的・物理的イメージの中で、多くの記憶を完璧に翻訳している。記憶は人間の魂に、私たち全員の心臓(Cordis)に封印されており、それは識別できない糸で私たちに引っかかっているようだ。
(中略)
Ri-cordisは、様々な大きさの玄武岩のブロックで構成された彫刻的インスタレーションだ。作品の各ブロックは再生の集合体であり、上昇し、溶解し、蒸発し、新たな記憶と生活のためにそれ自身の場所を離れる準備ができているが、それには負担が大きく、不可能なように思われる。各ブロックはスチール製のケーブルで包まれ、地面に固定されている。 ベースとなるブロックの表面にある深いケーブルのくぼみは、その重さにもかかわらず飛ぼうとしている引っ張られた素材と、それを支えるリンクとの間に、強い緊張感を生み出している。

展示案内より
Legami 24(白), 25(黒)
大理石
反対側から写した24と25
一見どでかい洗濯挟みのようだけれど、このケーブルのくぼみが大理石に、柔らかさというか反発力もようなものを与えているように、角度によっては見えませんか?
Ri-cordis
明るいグレーの玄武岩とスチール・ケーブル
違う角度①
先ほどの大理石の作品よりも躍動感がありますよね?
違う角度②
Legami 49
サイズが小さめなのと腰の高さに台があって全様が見やすかった作品。マシュマロやクッションならまだしも、大理石にこの作業って、一体どれだけの時間と技術が必要なのだろう、と思わせられた作品。
違う角度


※作品案内(1階)

次に1階のLinda Carraraの作品へ移ろう。
彼女の作品は1階と2階に分かれている。
私が1階にいた際、途中でコレクターの初老の男性が上ってき、私と同時にギャラリーに入って待ちぼうけを食らっていた彼の愛人と思われる20代の青年と2人でギャラリーの方に作品の説明を求めたため、少しばかり盗み聞きした🤫1階は「月」、2階は「太陽」をイメージした構成だそうだ。
どうりで1階の方が私好みだったわけだが、特殊技法が使われている作品も多く、長時間見ていても全く飽きることがなかった。技法については、残念ながら、盗み聞きしながら各階を回るわけにはいかないので、気になった作品2つのうちの1つについてしか聞けなかったが、それも併せて紹介したいと思う。

まずは作品づくりに関する説明文の意訳を載せよう。

私は長い間、自然の中での二重について考えてきた。曖昧さ、バランスが取れていること、境界線、常に二面性を提示する「ここ」と「そこ」について考えている。神聖さと悪魔的な側面を維持する二重性とその利用について考える。水鏡に映る自然の姿、水仙が水鏡に映ることで失われるような姿、月のもうひとつの顔、私たちが近づくことのできない太陽、光学的にいう月の反対側、昼、夜、光と闇について考える。生と死にについて考える。
(中略)
知識を持ってこの世界に足を踏み入れる勇気を持つ者は少ない。だから私は、この展覧会を、その重厚で地上的な力強さと、軽やかな夢の均衡を作るために捧げたい。キュベレー(※)に、私たちの二重に、人生とその対極に。笑顔とともに。

※アナトリア半島のプリュギアで崇拝され、古代ギリシア、古代ローマにも信仰が広がった大地母神、「知識の保護者」の意。

展示会案内より/※はWikipediaより
Nero Fumo(黒煙)
特殊技法を使った見惚れた作品の一つ。
まるで煙というか雲というかが頭上で動いて行くようなダイナミックな表現ですよね?途中で吸い込まれそうになり、平衡感覚を失ってしまった😅
Nero Marte(黒い火星)
こちらの方がややおとなしめかな。


次に、10分は有に眺めてしまった傑作だと思う作品へ行こう。
こちらにはフロッタージュという、シュルレアリスムで用いられる技法のうちの一つ、擦る技法が使われているそうだ。

フロッタージュ(frottage) 
フランス語の 「frotter(こする)」に由来。
木の板、石、硬貨など、表面がでこぼこした物の上に紙を置き、鉛筆などでこすると、表面のでこぼこが模様となって紙に写し取られる。このような技法や、その技法により制作された作品を「フロッタージュ」と呼ぶ。
フロッタージュの作品は、制作者のコントロールが部分的には効かず、また、見る者により、何に見えるかが異なる可能性がある。

Wikipediaより
Fasi Lunari(月の満ち欠け)
パスパルトに油性絵の具で描かれた月
近景1
月面写真を見ているような錯覚に陥るのは私だけでしょうか?
近景2
曇り空の日の深夜とか、雪が降りそうな日のピンク色がかった夜空って、たまにこんな感じだったりしますよね?
近景3
もう、こんな世界に飲み込まれてしまいたい😂


次へ行こう。こちらは月というより、自然、湖に映る木々なのかな、と思うが、各々のタイトルは以下の通りだ。

左からCapacità di rappresentazione(表現能力)
/Il funzionamento del pensiero(思考の働き)
/Esame di realtà(現実の検証)

水墨画的な要素がありませんか?
中央

こういう風景を、数年前の夏季休暇に大沼公園でサイクリングした際に見た記憶があり、懐かしさも手伝って見入ってしまった。

折角なので大沼公園のリンクを貼っておこう。四季折々の美しい風景が楽しめる国定公園なので、函館近郊へ行かれる予定のある方にはお勧め。


※作品案内(2階)

2階は全体的に黄色が多い印象で、特に大理石の作品についてはあまり違いがわからなかったが、展示点数が少ないので、大方載せておこうと思う。

Equinozio di settembre(9月の春分)
タイトルがメタファーに満ちていて、くすっとなってしまった。
Un'alba si avvia al tramonto(夜が明ける)
個人的に2階で一番気に入った作品。採光によって石の色が変わって見えてとても美しい。
近景
Il punto focale(焦点)
作品名を忘れてしまったけれど、フロッタージュの技法をここにも使っているのかな、と。
Autoritratto allo specchio(鏡に映る自画像)

知識不足で、彫刻については、いまだに理解も共感も感動もそれほど大きくはできないが、絵画については、吸血鬼のように、その中核にあるエッセンスを取り込めたように思う。
このギャラリーでの次の展示も今から楽しみにしたい。

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シマ子
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