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マタイ福音書「幸いの詞」と宇宙の法則

3 幸だ、心の貧しき者たち、
天の王国は、その彼らのものである。

4 幸だ、悲嘆にくれる者たち、
その彼らこそ慰められるであろう。

5幸だ、柔和な者たち、
その彼らこそ、満ち足りるようにされるであろう。

6幸だ、義に飢え渇く者たち、
その彼らこそ、満ち足りるようにされるであろう。

7 幸だ、憐れみ深い者たち、
その彼らこそ、哀れみを受けるであろう。

8 幸だ、心の清い者たち、
その彼らこそ、神を見るであろう。

9 幸だ、平和を造り出す者たち、
その彼らこそ、神の子らと呼ばれるだろう。

10 幸だ、義のゆえに迫害されてきた者たち、
天の王国は、その彼らのものである。(5:3ー10)

マルコによる福音書 マタイによる福音書/岩波書店

イエスは
心の貧しい者たち
悲嘆にくれる者たち
義に飢え渇く者たち
を幸いだと伝えてくれています

この「幸いの詞」は私達は今自分がこの状態で苦しんでいる自覚が必要なのだということを伝えてくれているだと思います
私達は皆、恐れの夢に彷徨い助けを求めています

この世界にいる誰もが
自我思考により自由な意思は束縛されている状態です
幸せそうな、悟っていそうに見えている人であってもその状態に変わりはありません

自分自身でその状態に気づいてしまったなら
心に何重にも纏っている防衛という鎧を脱ぐ覚悟が必要なことが理解されます
とても恐ろしく怖いことです
自我はやりたくありません
鎧など脱がず今の自分のまま何とかなると思っています
そしてこれまでの人生自分を守る為、世界や他者をコントロールし何とかやってきました

キリストのヴィジョンとは「相手に罪を見ない」視点からの理解
それだけです
それだけと言っても、それはやはり奇跡で素晴らしい体験ではあります

これが壮大なビジョンや覚醒、幸せにはすぐに繋がりません
何故なら私達の間違った心はとんでもなく多くの間違った考えや見方がまだそのまま残っていて、その思考に翻弄されているからです
どう表現するかはもちろん自由ですが
キリストのビジョンを誇張し大袈裟な表現をするということはその本質をわかっていないという宣言です

霊的成長とは自身の防衛を解くことが何より必要なことなのだと理解された者にイエスは

幸だ、柔和な者たち
幸だ、心の清い人達
幸だ、平和を造り出す者たち
その彼らこそ神の子らと呼ばれるだろうとメッセージを伝えてくれています

その心積りができた者に
キリストの祝福がもたらされます

神は彼らに特別な贈り物を授ける
(教師のためのマニュアル4.1:4)

奇跡講座下巻/中央アート出版社

この特別な贈り物とは受け取った者は何を受け取ったか明確に理解することができます
曖昧なものではありません

これをまだ受け取っていないのであれば
まずは自分はどのように自己防衛しているのか自分自身との対話が何よりも大切なものになります
赦しに取り組む以前に自己観察、自己対話を疎かにはできません

これができて自分は生き方を変えなければならないという気づきが起こるかもしれません

その勇気を持つ者にキリストは「幸いな者」として見守ってくれています
そして自身を守ってきた防衛を取り払う覚悟ができた者は「特別な贈り物」を受け取ることになっています
いずれ私達は自我的な生き方から方向転換をすることは決まっています
これは全ての人に与えられる贈り物です

この贈り物は世界の法則では説明がつきません
「真理」は執着を手放した時に与えられると同じ原理で
宇宙の法則(神の法則)として私たちに窺い知ることはできない
けれどもそうなっていると私は理解しています

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