身体は所詮、”入れ物”でしかない
「1ヶ月で−○kg減!」
「デブは甘え」
「あの子、すごい太ったよね(笑)」
このような言葉を見聞きすると、瞬間的にフェードアウトしてしまう。なぜなら、私は摂食障害だからだ。
1.摂食障害と私
摂食障害という言葉を聞いてどのようなイメージをもつかは人それぞれだと思われるが、私は食べる量を極端に少なくする「拒食症」だ。きっかけは、無理なダイエット。心配を通り越した両親に連れられ、心療内科での治療を始めた。治療が功を奏し(?)体重はダイエット前よりも増えた。どのくらい体重が増えたかというと
、私の愛犬(中型犬)が一匹、私の身体に住み着いた、と言えば多少理解していただけるだろうか。現在も治療を継続しており、徐々に食べ物への恐怖や体重が増えることへの恐怖はなくなりつつある。
2.手放したものと、手に入れたもの
寛解に近づいていくなかで、私には手放したものと、手に入れたものがある。手放したものは「痩せ」、手に入れたものは「心からの幸せ」だ。痩せていた頃は、常に体重が増える恐怖、カロリーオーバーしてしまう恐怖に縛られ、笑う余裕などなかった。だが現在は痩せを手放した代わりに、美味しいものを食べ、心の底から笑うというごく普通な「幸せ」を手に入れたのである。
私は確かに、その「幸せ」を噛み締め、手放してやるものか、と強く握りしめている。だがいまだに、無性に「痩せ」を再び手にしたくなる瞬間が突然襲ってくる。今後も私は摂食障害と戦っていかなければならないのだ。
3.「1ヶ月で−○kg!」「痩せたら人生は変わる」
今やインターネットやテレビ、時には電車の広告によって、私たちは痩せていなければならないという刷り込みを受ける。これらの言葉は、私が足掻いてなんとか手に入れた「幸せ」を奪おうと、そして、再び「痩せ」を与えようとしてくる。「痩せ」と「幸せ」の間でジレンマを感じている私にとってそれらは悪魔の囁きでしかなく、フェードアウトすることで痩せに引き戻されそうになることを防ぐのである。
4.食べ物が中心の生活
ここで、私の食生活、というよりは、食事をするときに私の脳内を説明させていただきたい。毎食同じことを脳内で繰り返しているため、例として朝食時の私の脳内だけ紹介させていただきたい。
朝食時の私の脳内
「焼きおにぎりひとつだとやっぱりお腹が膨れないし、カロリーも少ない・・・もう少し食べよう。納豆と、昨日のおかずと・・・うん。糖質も脂質も食べられるのはこれが限界だから、ここでやめておこう。いや、でもまだお腹空いてる・・?これも美味しそうだから食べちゃおう。あぁ、こんなに食べてしまった。なんで我慢できないんだろう、食べてしまうのだろう。太った、死にたい」
このように、私は普通の人のように、お腹具合で食事をすることができなくなったのである。空腹感、満腹感が分からない。全ての動物が持ち合わせている「食欲」に従って食事ができない。頭で食事をしているのだ。
そして、上記のような行動を毎食繰り返していたところ、身体に大きな犬が一匹住み着いたのである。
5.体重が増えたときにもらった言葉
体重が増え、悶々とした日々を過ごしているなかで、私の病気を知っている親友がこんな言葉をかけてくれた。
「あなたがどんな体型でも、私はあなたという存在が好きなんだよ。痩せてガリガリでも、太ってボールみたいでも、そんなの関係なくあなたが好きだよ。」
私はこの言葉にハッとした。友人は目に見えるものではなく、私の中身を見てくれていたのだ。言い換えれば、私の体型なんぞ、目にも入ってこないということだろう。
6.体型を気にしない、心掛けている考え方
痩せている人、普通体型の人、ふくよかな人。これらの言葉では括れないほど、世の中にはあらゆる体型、骨格の人々がいる。だがそれらは所詮、人間の大切な中身、例えば、素敵な感性や培ってきた経験など、これらを入れる”入れ物”にすぎない。入れ物というと語弊が生じるが、いわば、人が痩せようと太ろうと、その人の人間的素質や能力には変化がないのである。私はこの考え方を心掛けるようになってから、「痩せ」を手にしていたあの頃に戻りたいと思うことが少なくなった。
7.どんな体型であろうと、素敵な存在
そして悲しいことに、人間はわかりやすい判断材料で他人を判断しがちだ。体型もそのひとつである。人々は他人から悪い判断をされまいと、懸命に努力する。時には行き過ぎなほど。
そんなときにふと目に入る「ダイエット」を促す言葉。自分を変えたいと願う人々は、藁にもすがる思いでその言葉に飛びつくだろう。だが、決して忘れないでいただきたいのは、”どんな体型であろうと、あなたはあなたである”ということだ。万が一、体型で人を判断する人が周囲にいるのであれば、すぐさま距離を取り、自分の気持ちと体の幸せを優先してほしい。
いまだに体型を気にしてしまう私だが、ここまでご一読いただいた方々に私は宣言する。”目に見えるものでなく、相手の中核にある部分に意識を向けられる、そんな人間に私はなる”