仲間との至福 -関西シティフィル75回定期レポ
「節目」の演奏会が無事、終演。大きな事故もなく、ゴギさんのハイパワーエネルギーと堀江恵太さんのしなやかなヴァイオリンのおかげで、また私自身初めてのパイプオルガン(それもザ・シンフォニーホールの)で、アマチュアプレーヤーとして、至福を堪能した。
終演後、公式には3年ぶりの打ち上げ!懐かしさを感じつつ、酒と会話に溢れる時間を大いに過ごした。普段あまり話をしない仲間と、演奏の共感を酒の肴に、大いに盛り上がる。こんな素晴らしいことはない。ただただ盛り上がる。酒に飲まれて後半憶えていないが。
かすかな打ち上げの記憶を呼び起こしてみると、みんな各々事情があるし、SNSでの演奏会終了の投稿を見てもそう。納得できる事情もあるし、納得できない事情もある。家庭があるし、生活がある。年齢もあるし、健康もある。同じ演奏会を創り上げる仲間として、事情がない人はいない。私などは、相当のほほんとしている方だろう。そのみんなの事情に触れつつ、演奏会という共同創作を肴に僅かながらの共感を得られたことに、喜びをじわじわと感じる。いや、しみじみと感じる。かすかな記憶から自分に都合の良いように変換されている気もするが。
普段よく話をしていた仲間が、このオケを去った。また、普段よく話をしていた仲間が、今回の演奏会を一緒にできなかった。普段よく話をしていた仲間なので、寂しく、辛い。喪失感、無力感。何もできない、できるのは、話をすることぐらい。それでいいのか?それ以外にできることは、あるのか。普段よく話をしていた仲間は、私と変わらず音楽を傍において人生を歩む、同志だ。それでも、道を違えることもあるのだろう。また道を同じくすることもあるだろう。またいつか。
なんだか演奏会のレポじゃなくなってきた。演奏会は大成功!節目の75回、大曲であり難曲の「ツァラトゥストラはかく語りき」(通称ツァラ)をメインにおき、前プロは「ハイドンの主題による変奏曲」(通称ハイヴァリ)。このハイヴァリが、難敵だった。曲がシンプルで、聴くと心地よいが演奏すると大変。アンサンブル力が問われる。ブラームス教徒の私としては至福の時間である反面、こだわりを木管の皆さまにぶつけ過ぎたかも(反省)。本番はゴギ先生の指揮棒が宙に舞うぐらい、喜ばしい音楽になったのでは。多少のアラは仕方ない。でももう少し、こだわりたかった。ブラームスの曲の中では、木管アンサンブルの醍醐味を味わえる数少ない、佳曲。
さてメインのツァラ。このシーズン、ツァラとともに過ごしたと言っても過言ではないくらい、リヒャルト・シュトラウスと向き合い、ニーチェと向き合い、ツァラと向き合った。解説を書いたのだが、お褒めの言葉をたくさんいただいた。文章褒めてもらえると素直にうれしい。楽器の演奏を褒めてもらうのもうれしいけれど、また全然違う、うれしさ(もっと褒めて笑)。
ツァラの世界は、面白い。その面白さをはじめて知ったのは、今年3月のPACの演奏会。準メルクル率いるPACは素晴らしく、音楽的な解像度がとても高かった。御多分に洩れずというか、あまり真剣に後半(というか冒頭以外)を聴いてこなかったクチだったが、その後半の魅力を大いに感じた。ヴァイオリンのスーパーソロ、ワルツ、絡み合うモティーフ、木管陣なかでもアングレ・ファゴットの活躍、何気に美味しいクラリネット、金管・打楽器ならではの爆発力(難所も多数)、いやでもこれって実は弦楽器のための曲やったんや、など。
今回の演奏会にあたり恐らくメンバーの多くが曲に向き合うまで、私と同じ感覚だったはず。それが仕上がっていく過程が、とてもとても、楽しかった。管楽器には相変わらずハードな(というか無茶な)選曲ではあるにもかかわらず、だんだんと曲を分かっていきながら練習を重ねるプロセス自体が、とてもとても、楽しかった。団長も仰っていたように、練習が楽しいオケって、やっぱり良い。堀江恵太さんという有名な若手実力派プレイヤーをコンサートマスターとご一緒できたのも良かった。ゴギ先生のお弟子さんというのも、良かった。お二人が、絵になる。もちろん、音楽も、しなやかで爽やかで、至福。
リヒャルト・シュトラウスはブラームスほどではなちにしても好きな作曲家。意外と演奏される機会が少ない。アマチュアとなれば尚更。この関西シティフィルというオケは多少ぶっ飛んでいて、リヒャルト演奏歴が多い。ホルン協奏曲1番(2000年)、英雄の生涯(2005年)、「薔薇の騎士」組曲(2009年)、アルプス交響曲(2011年)、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(2012年)、からの今回。残りはドンファンと死と浄化、ドン・キホーテか?まだ高校生くらいのときに、シンフォニーホールで芦屋交響楽団の「ティル」を聴いたのがはじめてのアマチュアオーケストラ体験だった。そのとき、心から「カッコイイ」と思ったし、ここで演奏できたらどれだけ幸せだろう、そんな日が来るのだろうかと憧れていた。
その頃から、リヒャルトは好きだ。リヒャルトは管楽器のための曲を結構書いていて、コンチェルトも素晴らしいし、モーツァルト回帰ともいえるステキなアンサンブル曲も書いている。いつかはやりたいなと思って早や4半世紀以上。はじめてのリヒャルトだったし、はじめてのパイプオルガンだった。はじめてのリヒャルトは、リヒャルトの魅力の入口のドアをやっと開けたくらい。そこに広がる音楽絵巻の1ページを開いたくらい。ワクワク感。ドキドキ感。
マーラーとも、ショスタコーヴィチとも、違う。オーケストラとしての能力をローラーコースターのようにぶん回す。これには技術がいるし、アマチュアにはハードルが高い。ぶん回されて放り投げられてもいたが、結構しがみついて行けた気もする。全体の演奏は弦の奮闘が際立っていて、喜びに満ち溢れていた。そう、闘いというよりも、「嬉しい」ほう。管打も健闘したと思う。ハードルは高かったが。しがみついた結果がどうお客様に伝わったかは分からない。楽しんでいただけたなら、幸い。
ニーチェの深淵とリヒャルトの絢爛を消化したとはいえない。ただ味見はできたし、中身の確認はできた。これからの目標にもなり得る話だ。リヒャルトを演奏する機会が来るとは、思っていなかった。若かりし頃抱いた憧れが、実現したのだ。この上ない喜びを噛み締めつつ、目標を新たに設定しつつ、この幸せな音楽人生を、ゆっくりとしっかりと歩んでいきたいなと、心から思う。普段あまり話をしたりしなかったりする、仲間とともに。
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