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【マーラー書きたい4】ゴギ先生との束の間の会話

いよいよ2週間を切った。仕上がっているところは仕上がっているし、ダメなところはダメ。でも、これもまた、シティフィルの持ち味。良きに解釈して、心地よく本番を迎えたい。

さて前回の練習終わりに、ゴギ先生ことマエストロ・ギオルギ・バブアゼと光栄なことに電車でご一緒させてもらった。同じ某沿線とのことで、お疲れのところを、少しながら、しかし大変ありがたい会話をさせてもらった。

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ゴギ先生が何で「ゴギ」先生なのか、聞きそびれた。今度聞いておく。それよりも気になること、いくつかの質問をした。アマチュアらしいといえば聞こえが良いが、つまらない、しょうもない質問かもしれない。

「先生はなぜあまり細かいところを指摘されないのですか?」

これはゴギ先生の呼び名の由来よりも、ずっと気になっていたことだ。音楽の専門教育を受けていない私でさえ、音程やらリズムやらがヒドイ部分はいくらでも見つかるのに、それをほとんど指摘しない。気づいていないのかと疑うくらい。しかし、それにはどうも訳があった。

「できてないところを(トゥッティで)何回もやっても、もっとできなくなったりするんですよ。それよりもポジティブに、できるところをもっと良くする方が良いでしょう?」

これは確かにそうだ。それでも日本の吹奏楽的な教育を存分に受けてきた私としては、気になるところは気になるし、いつになっても良くならないこともある。でもたまに、ゴギ先生の指揮で物凄い音が鳴る時がある。本番もだ。マラ9のときが、そうだった。凄い、音楽空間。これを創り出せる指揮者は、そうはいない。

もう一つ、聞いた。これも、私はいろんな指揮者に教えてもらったが、真っ二つに別れるところ。

「先生は『ここは悲しく』とか『ここは嬉しく』とかあまり仰らないのはなぜですか?」

指揮者によっては、比喩的な表現などを交えて欲しい音を要求する。いまいち分かりにくいこともあれば、なるほど!と思うこともある。しかし、ゴギ先生はほとんど仰らない。どちらかと言うと音楽の技術で要求するケースがほとんどだ。ヴァイオリンの名手なので弓の使い方やアップダウンなどで要求したり、管楽器には基本的にザッツと音量、ぐらいしか仰らない。

「それはね、私も演奏家だから、悲しいとか嬉しいとか言われても分からないのですよ。分からないことは言っても伝わらない。どういう音が欲しいかは弾き方で創れます」

ちょっと記憶が曖昧だが、こういった趣旨の話。要は感情表現はテクニックだ、ということ。確かにどこかでそういったことが書いてあるのを見た気もする。なるほど。それがプロフェッショナルの所以か。それを如何に真似事ながら近づけられるか。

さて、マーラーの話。ゴギ先生はジョージアという国の生まれ。黒海の東、トルコとロシアに挟まれた小国。かつてはソ連邦の一国であったが30年前の1991年に独立した、人口370万人の小国。マーラーの出身国であるボヘミアよりも小さな国。でも、ヨーロッパの辺境という共通点。マーラーの持つ農村臭がバッチリ似合う。やはり、彼らの音楽なのだ。

前回も書いたが、もちろん前回のみならず、2楽章アンダンテ(注: 今回我々はアンダンテを先にやります)の泣きが入る部分、特に練習番号61 Nicht Schleppenからの、本当に素晴らしいこと。練習の回を重ねるごとに弦楽器が弾く、弾きまくる。管も負けじと鳴らす。それでも破綻しない。ゴギ先生はもっと求める。音の渦。音の洪水。

ゴギ先生を見ていると、音楽が自然に溢れ出てくる。吸い込まれるような、呑み込まれるような、それでいて心地よい不思議な感覚。ああ、そういえば佐渡裕さんに一度だけアルメニを振ってもらったときも、そんな感覚あったなぁ。なんか、中央アジアつながりで。

前回のマーラー、マラ9のときの最後は、物凄い静寂だった。会場が静まりかえった。今回そういう終わり方はしないマラ6だが、ゴギ先生ワールドに、必ずや連れて行ってくれるだろう。楽しみであること、この上ない。

さてさて皆さま、ご来場の心の準備は出来ました?

関西シティフィル 第70回定期演奏会
■日時:2021年2月28日(日)14:00開演
■会場:ザ・シンフォニーホール
■指揮:ギオルギ・バブアゼ
■曲目:マーラー / 交響曲第6番「悲劇的」
■入場料(全席指定):¥2,000 (座席指定料金¥500含む)
■チケット発売:チケットぴあ ✆0570-02-9999
(音声自動応答 / Pコード 192-074)

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