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〈36〉学童保育が発達支援センターに繋がれない①

発達障がい(神経発達症)に正しい理解のある大人ってどれほどいるのでしょうね…。

筆者も看護や保健の学びの中で知識は0ではありませんでしたが、放課後児童クラブで目の当たりにすると無知だと痛感する日々でした。

子ども達に関わる職業であっても親であっても、人によって認識が違いすぎて、どれが正しい認識なのか、何を目指せばよいのか、さっぱりわかりません。

わからないのだから、見識のある者から学べばよいはずなのに、放課後児童支援員にその機会はほとんど与えられていません。

任意参加の研修に積極的に参加する者もいれば、全く参加しない者もいる。

発達支援センターと連携している所もあれば、全くしていないところもある。連携したいといくら現場が言っても自治体が首を縦に振らない所もある。

本当にその放課後児童クラブや学童保育所に勤める支援員の質、そして自治体が学童保育の重要性をどのように捉えているかによってその方針は大きく左右されます。

同じ自治体内にある公立の学童保育ならば、自治体が設置者の責任として必要機関との連携は必須にすればよいのに、しません。

統一しなくてよいことは統一するするのに。統一するものを完全に見誤っています。


前回の記事では、学童保育の現場から不登校支援という福祉へ繋げる例を上げましたが、現実的により需要が高いのは発達支援センターとの連携でしょう。

小学校では各学年ごとに支援級などが設けられているかと思いますが、放課後児童クラブや学童保育所にそんなものはありません。

異年齢の子ども達が、支援級に属していようがいまいが密集します。

利用児童数の50%が何らかの介入を必要としても、放課後児童支援員の数は慢性的に不足していて加配をつけられない所も多々あります。

放課後児童支援員には保育士や教員の免許を所持した者もいれば、ただ見ることしか出来ない無資格者もいます。

有資格者だからといって、発達支援が出来るとも限りません。

結果、現場は毎日混乱と疲弊、傍観の繰り返しです。


既に幼児期に療育へ繋がっていたとしても、様々な理由で就学を機に支援が途切れるケースも多々あります。

療育で安定と言われる状態まで引き上げられたとしても、放課後デイサービスなどへ繋がれているとしても、放課後児童クラブで毎日を何もなく過ごせるということもありません。

環境の変化は、大人が想像する以上に子ども達に負担をかけます。

発達障がいのある個人への介入も難しいですが、その集団への介入はさらに高い知識と介入技術を要します。

揉めたり喧嘩すること自体はよいのですが、自己主張が止まれない、話が聞けない通じない、気持ちの切り替えが出来ないをいっぺんに披露してくれると、個別対応したくてもそもそも人手が無くて出来なかったりします。

また、そのような場面で「なんであの子はちゃんと話を聞いてくれないの?」「すぐルール破って何なの?!」などと思ったり言ったりする定型発達児へ、どう言えば語弊無く対象児を理解し許容できるか。

突然周囲の人や物へ当たり散らす場面に驚き、時に当たられ傷つく子どもへのフォロー。

出来ますか?

難しいですよね。

それぞれの特性を丁寧にアセスメントして、他の支援員と介入方法を検討したり、実際に起こった後にフィードバックしながらでないと出来ないのです。

それらを頑張ってしていても、お手上げの状態は必ずあります。

学童保育は療育ではないとよく言われますが、現場の現実はもはや療育そのものです。

ちょっとの工夫でどうにかできるレベルではありません。

だからより深く、適切に対応するために発達支援センターから助言をもらいたいのです。

放課後デイサービスに通所しているのなら、そこでどんな介入がされているのか聞きたいのです。介入方法を参考にして、少しでも継続支援したいのです。

だけど、どんなにその必要性を説いても、筆者がいる現場を自治体はそれらに繋げてくれません。


特性があることは悪いことではありません。発達が遅れていることは悪いことではありません。

ただ、放課後児童クラブや学童保育所で子ども達は、学校よりもより過酷な集団生活の中に身を置いているのです。

ガヤガヤザワザワしている環境が苦手な子どもにとって、そこは地獄でしかないと思います。

じっとしていられない子どもが、限られた空間にいなければいけないなんて、苦痛以外の何ものでもありません。

マンツーマンが必要な子どもが、集団の中にいなければいけない。他者と関わるのが苦手な子どもにとって、そこは居場所となれるのでしょうか。

毎日奇声や喧嘩にさらされる子ども達のメンタルヘルスが健康に保たれるとは到底思えないのですが。

無理にみんなと同じことをさせる必要は無いのだから別行動をとらせてあげたいのに、そこに割く人員がいないために、結局目の届く範囲内に留めておかねばいけない。こうなったらもはや子どものためになっていませんよね。

定型発達を前提とした設置基準のままで、支援員をぞんざいに扱うままで、これらが改善するわけもありません。

学びや助言なく適切な保育ができるはずがありません。

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