〈88〉子育ての責任は誰にあるのか
責任論は、それこそ道徳心とか倫理観をきちんと持った上で語らないと、相手も、時に自分も追い詰めるものになりやすいので注意が必要です。安易に戦わせるものではありませんよね。
それを肝に銘じながら、敢えて書いてみたいと思います。
子どもを産み、育てることの責任はやはり親にあります。
重い、重い責任です。
子どもの命や人権は全く軽くありません。
子どもを生むってそういうことです。
だからこそ、命って何だ?生きる意味って何だ?妊娠するって、妊娠させるってどういうことだ?経済的、社会的責任って何だ?と考えることができる人間にならねばいけないのです。
そのための"教育"なんですよ。だから性教育が必要なのですよ。
知的障がいや神経発達症(発達障がい)の場合は、その理解力に合わせて、より丁寧に教育しなければいけません。
そして、ここからが大事。
親としての責任とは別に、社会としての責任が親でない大人達にもあるということです。
親が親としての責務を全うできるような経済状況や保育環境、教育環境、社会システムをきちんと構築できているかということです。
例えば子どもが不登校になったとして、親が子どものために何ができるか考えるのは当たり前なのです。
そこだけ切り取って、不登校は親の責任だと言うのはあまりに短絡的で無責任なものです。
頑張る親の相談先はどこに作るかとか、どんな職種が関わるかとか、不登校に至る様々な背景を改善するための手段をどれだけ作れるか、フリースクールなどどれだけ教育や社会生活を途切れさせない方法を準備できるか、そもそも学校教育が今後どうあるべきか考えるとか。
これらについて取り組むことは、子どもがいようがいまいが、子育て中だろうが遠い昔のことだろうが、大人である者全てに責任があるのです。
また、子どもと向き合えない、学校なんて行かなくていいと言う親も実際いますから、そういったケースでいかに子どもの権利を守るか、介入できるかといった別の視点での支援策も必要です。
不登校だけでなく、神経発達症(発達障がい)や困窮世帯、片親世帯などの子ども達がどう生存権を守り、どう教育を受ける権利を守り、どう社会と繋がりを持ちながら生きていくかは、親はもちろん、大人全員の責任なのです。
子どもを産み育てる責任は親にある。
ただ、これだけ非正規雇用ばかりの労働環境を作り、夫婦共働きでなければ生活していけない環境を作り、子どもを親の手元から離す方向ばかりの議論がされるこの世の中で、親だけに責任を押し付けるのはさすがに無理がありますよ。