〈19〉放課後児童クラブは療育ではない
発達障がい、今は精神発達症と言われるようになってきていますね。
「そういう子」と見過ごされないためにも、「そういう子」と差別されないためにも、どんな特性でも自分の居心地の良い居場所を探せて、居心地の良い人間関係を構築していける人になってほしいですよね。
そうできるようになるためには、個々の発達段階をアセスメントして、どう介入したら長所を伸ばして短所を引き上げられるか、他の方法でカバーできないかをトライ&エラーで積み上げる必要があります。
それを幼児期にするのが療育です。
幼児期から積み重ねている子どもと、そうでない子どもは、やはり違います。
学童期なると放課後デイサービスといったものがあります。正直私には未知の世界です。
学童期から積み重ねようとしてもなかなか難しいものがあるというのは私の感想です。
そもそも発達の遅れやギフテッドを早期発見して発達支援センターなど必要な機関へつなげることができるのは、乳幼児健診の時の保健師か、保育園や幼稚園の保育士、保護者が気付いて医療機関を受診した時くらいではないでしょうか。
では学童期に入ってからはどうかといえば、学校の先生も放課後児童支援員も指摘してはいけないとされています。
昨今ニュースにもなりますよね。学校の先生が決めつけてしまうケース。
診断は医師しかできないのは当然ですが、そこへつなげる手段や現場の困り感を相談できる場所も無い学校の先生や放課後児童支援員は、本当に困っているのです。
保護者が不安になって相談してくれたら、町の保健師に相談してみてもいいかもしれませんね、病院受診してみてもいいかもしれませんねくらいなら言ってあげられるかもしれません。
そして放課後児童クラブの現場が困っているのは、療育へ通っていた子どもが小学校へ入学すると療育を終了するのか、その後の支援が必要ないと判断されたのか、継続的支援の資源不足なのか、放課後児童クラブや学童保育所に突然入所となる子ども達への対応です。
発達支援センターと連携できていない放課後児童クラブや学童保育所も沢山あると思いますが、その子についての情報がほとんど入ってきません。
療育に通っていた子どもなら、学童へ入った後でも適切な介入を可能な限りしてあげたいのですが、どんなペースでどんな療育をしてきて、どう変化してきて、今後何を望むのか、私の放課後児童クラブでは誰も教えてくれません。
親自身知的障がいや発達障がいがある場合もあり、親からの情報が乏しい場合もあります。
そもそも放課後児童クラブや学童保育所は、放課後デイサービスではありませんし、療育の場でもありません。
多少の発達の凸凹をサポートしてあげることは、きちんとした支援員体制ならできるかもしれませんが、支援体制や労働環境は皆さんもニュースで知るように、厳しいのが現状でしょう。
ただ子どもを見ておけばいいと言う自治体もあるわけですし。
そして発達障がい含め保育の難しいところは、児童支援の観点では情報収集、アセスメント、介入が必要であるのに、逆に事前情報があるとレッテルや足かせになるから目の前にいる子どもを見る方が大事という見方をする支援員もいることです。
実際筆者も働き始めた後、退職した支援員から「子どもの情報は引き継がない。色眼鏡で保育してほしくないから。」と言われました。
一理あるとも思いましたが、強烈な違和感を覚えました。
プロならば色眼鏡で対象者を見るなどということはしないからです。
看護師もそうです。「あの人生活保護だから、あの人独り身だから、あの人認知症だから困った人だよね。」とケアの質を変えるなどということはあり得ません。
保育もそうですよね?
「あの子ADHDだから、あの知的障がいだから、あの子病気だからあんなんなんだわ。」とレッテル貼って保育しないですよね?
ならば、なぜ事前情報不要論が出るのか。
放課後児童支援員に保育や教育のプロでなくてもなれるからです。
無資格の無知の者が入り込むからです。
無知の者は、子どもの表面上しか見ません。そして平然とレッテルを貼り悪口を言います。
だから支援員による人権侵害や暴行暴言がニュースになるのです。
今後発達障がいやグレーゾーン、その他障がい児、病児の放課後児童クラブ、学童保育所利用は増えるとされています。
それならば、きちんとした支援体制を整えなければいけません。でなければ、支援などされずに"ただそこにいる状態"になります。
"ただそこにいる状態"では、療育でせっかくそれまで積み上げてきたものもそこまでか、後退してしまうことだってあり得ます。
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