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「薫」という名前で生きてきて思うこと

ぼくは男性で「薫(かおる)」という名前で生を受けました。振り返ると色々なことがあります。何やら深刻そうなタイトルを付けましたが、あらかじめ申し上げておくとかなりくだらないことを書きたい気分です。


名前の漢字は、母親が命名するときに祖父母から渡された「一文字で」「あ、画数は16しばり」「ラ行の音はマストな」という条件のもとで選んだ漢字だそうです。大正生まれの祖父母が「マストな」なんて言い方絶対してなかったと思いますが、よく見つけ出したと思います。

「薫風」という熟語があるように、若葉の香りを乗せた初夏の風をイメージさせる漢字です。我が親ながら素敵な漢字を選んでくれました。高校時代のサッカー部の友人からは「におう」というポイントを履き違えたあだ名で呼ばれていましたが、それはぼくが練習試合の会場でスパイク履いたまま犬のうんこを踏んだのがいけないのです。断じて名前のせいではありません。

正直、小さい頃は自分の名前があまり好きではありませんでした。「女の子みたい」とからかわれるからです。当時華憐な容姿であったならそのからかいも誇れたのかもしれませんが、スーファミのボンバーマンや64のスマブラをやりながら「ぶっとべ!」とか友人たちと叫び合ってるような典型的な小学男児だったので無理でした。

子どもはイノセントです。女の子みたいってからかうだけじゃ物足りず、「かえる」とか「タオル」とか余計なあだ名まで付けてくるわけです。今なら「タオルならせめて今治とか呼んでくれよ」と上手く返すこともできるのでしょうが、あの頃は直球ストレートの打撃として受け止めることしかできないのでつらい思いもしました。今治って全然上手くないですね。

小学1年生の冬にはクラスの女の子から名前をからかわれて泣いたこともあります。場所は忘れもしない第2音楽室。数か月後のバレンタインデーにぼくはその子からチョコを渡され、音楽室の時空が歪むのを感じました。今振り返ると、あれが人生で初めて反動形成を理解した瞬間でした。


名前の響きに加えてやっかいだったのは漢字の画数の多さ。小学1年生が原稿用紙1マスに収めるにはそこそこの技術を要します。くさかんむり(艹)と「重」を書いたらもうゲームオーバー。最後のれっか(灬)が2マス目に突入します。それが悔しくて何度書き直したかわかりません。

画数の話を続けると、同じ「かおる」と読む漢字に「馨」があります。これね。勝てない。20画もあるんですよ。ぼくより4画も多い。しかも「声」や「香」といったパーツまでカッコいいんだからもう隙がありません。

極めつけはこの字で連想される著名人が明治の元老、井上馨だということ。井上馨といえば近代日本の欧化政策を牽引し、鹿鳴館と帝国ホテルの建設に尽力した人物。なんともエレガントです。「馨」の字の「声」が左下に、「殳」が右下にそれぞれ筆の先を伸ばしているのと調和するようにして「香」の「禾」が華麗に両サイドへと流れていきます。これが井上馨のダンディな口髭とパラレルな曲線を見事に描いているのは偶然でしょうか。偶然です。

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(画像は上記の国立国会図書館のウェブサイトから借用)

どうも漢字のカッコよさについて語り始めると止まらなくなるのでこの辺でやめておきます。続きが気になる人はこちらへどうぞ。


話を戻します。あと、あだ名が付けづらい。高1のクラスは割とみんなあだ名で呼び合う仲だったので、自分だけ名字で呼ばれるのが最初はちょっと寂しかったのをよく覚えています。

「かおるん」とか頑張られたりもしたのですが、やはり小学生の頃に「ぶっとべ!」とか言ってたやつには合わなかったようで定着しませんでした。代わりに「バタバルディ」とか謎の名前を付けられる始末。ちょうどその頃世界史の授業に出てきた19世紀のイタリアの英雄「ジュゼッペ・ガリバルディ」を文字ったらしいのですが、由来が全くわかりません。誰だよ最初に呼んだやつ。

大学に入ったぐらいからは「いい名前だね」と言ってくれる人が増えてきました。入ったサークルの顔合わせでは「かおるちゃん」と名付けられ、まさかの4年間ずっとそう呼ばれ続けることになったのです。

男友達はみんな途中から呼び方を「かおる」に切り替えましたが、女の子の友人からはずっと「かおるちゃん」でいられたので10年前の心の傷はここで完全無敵回復しました。名前の音よりも漢字の字面やイメージを理解してもらえるようになったのかもしれません。何にせよ、この名前でよかったなと思い始めたのはこの頃からでした。


ただ、女性に勘違いされる場面はあとを絶ちません。

成人式の前にはすさまじい数の振袖のDMが届きました。机の上で地層のように連なっていくハガキを見た母親が「男の子を生んだのに振袖の案内がくるなんて…」と意味不明な喜び方をしていたので、親孝行な名前だなと思いました。

一度だけ業者から振袖の営業の電話で「薫様はいらっしゃいますか?」とかかってきたことがありました。「ぼくですけど」と答えたら、業者は2秒ほど考えて「あ、失礼しました。娘様の薫様はいらっしゃいますか?」と返してきたので「薫は息子で、ぼくがそれです」と人生初の二段階自己紹介をしたら「きゃー!すみません!」と電話越しに叫ばれました。すると気まずそうに「は、袴とか成人式でどうですかね」と瀕死の営業を続けようとしたので丁重にお断りしました。

新入社員として入社したときも部署を異動したときも「どうやら女性が来るらしい」と勘違いされていました。一体どんな麗しき美女と仕事することをイメージしていたのかは知りませんが、そんな期待を無慈悲に裏切り「ぶっとべ!」が来るわけです。上司もさぞ落胆したことでしょう。

取引先の方と初めて電話したときも同じ展開になり、「あ、男性の方だったんですね」と呟かれました。メールの文面だけじゃ確かにどっちかわからないかもしれません。今度からメールの最後に「ぶっとべ!」とか書いておこうかと思いましたが、目的が不明すぎるのでやめておきます。


最近は日常生活で自分の名前を見かける機会が増えたように思います。「緑薫る、通り道」みたいに不動産の広告を飾るほか、「薫るルージュ」とビールの名前をあしらったりもしているようです。自分の名前がこんな美しい使われ方をしている。誰かをぶっとばそうとしたり犬のうんこを踏んだりしたことをぼくは末代まで恥じなければなりません。

街中でこの字を見かけると「おいおい誰の許可を得てんだ」と心の中で世界一小さな横柄さを露わにするのですが、実は素直に嬉しいのです。これが本来のこの字のイメージなんだなと思うと、30年と少し生きてきた中で色々あったエピソードもすべて良い思い出に変わる気がします。名付けてくれた親にも感謝しなければと改めて思います。


と無理やりきれいに終わらせようとしましたが今日のnoteの趣旨に反するので困っています。

ああそうだ。名前にまつわる直近のエピソードと言えば、会社の端末に導入されたMicrosoft のTeams が優しいんです。同僚がTeams で通話をかけてきたときにぼくが離席してると「○○(名字)くんは不在です」みたいな自動音声で相手に不在を伝えてくれると聞きました。

くん付けで呼んでくれるなんてすごくないですか。でもどうやら実は「薫」が間違って音読みされてるだけらしいんです。ひどくないですか。何がって、全然オチないこのラストのことです。おやすみなさい。

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