ラフシモンズと人生のターニングポイント
人生のターニングポイントに、刺激的なファッションとの出会いがありました。
私は高校卒業後、生まれ故郷の田舎を出て、
少しだけ都会の近県の大学に進学させてもらいました。一人暮らしです。
友達と遊ぶため、そして高校時代から興味を持ち始めた洋服を買うため、アルバイトも始めます。
時代は90年代末。
ファッションは裏原ブーム全盛。
回りのお洒落な人は大半がストリート系でしたが、どういう訳か自分はモードに傾倒して行きます。
きっかけはとあるセレクトショップとの出会い。
大通り沿いの路面店。
天井が高く、ガラス張りで店内全体が外から見渡せ、
50坪位あって結構広め。
最小限の什器、白で統一された店内に黒い服が並ぶ。
いかにも敷居高そうなモードっぽいショップ。
このショップにえらく興味をそそられ、時間を見つけては通うようになりました。
黒い服の正体は、RAF SIMONS(ラフシモンズ)というブランド。雑誌ではよく見ていて、カッコいいなと思っていたブランド。初めてお店で見たのは、98年春夏頃だったので今思えばBlack Palms(ブラックパームス)というコレクションのシーズンだったと思います。
現代のラフシモンズは、時代を追うごとに進化を続け、芸術的観点から見ても本当に素晴らしいと思います。しかしそういったクリエイティビティを抜きにして、この当時のラフシモンズは圧倒的にセンセーショナルでした。彼が通っていたカトリックの制服、ロックミュージック、建築などカルチャーを背景にしたインテリジェンスなファッションに、私は直ぐに虜になってしまいました。
黒いテーラード、黒いワイドパンツ、白いタートル、ノースリーブのシャツ、コンバースのスニーカー‥といった具合にアイコンを揃え始め、冬頃までにはトータルコーディネートが3体ほど組めるくらいになっていました。
お店のスタッフの方はデザイナーの哲学や世界観、コレクションのテーマなどを熱心に語ってくれ、洋服屋の販売員とは本来こうあるべきなんだな、と感じさせてくれるとても情熱的な方でした。全身ラフシモンズで店頭に。とても影響を受けました。
懐かしいフォトやルック、ランウェイの映像を見ると、当時の記憶がいまだ鮮明に蘇ります。
結論を言いますと、私はこのお店でアルバイトを始め、(親には大変迷惑を掛けましたが)大学を中退。そのまま社員として働き、その後15年近くお世話になりました。
国内外でバイイングの経験もさせて頂き、今の今までファッションの世界で仕事が出来るきっかけを作って頂きました。
本当に感謝しかありません。
最後に、昨年行われたラフシモンズのインタビューより、印象的だったコメントを抜粋して終わりにします。
このインタビューでは、カルバンクラインの退任劇などもあってか、色々と考えさせられるような強い発言もありました。
その一方で年齢を重ね、クリエイションもビジネスも大きく成長した中で、あのデビュー当時から少しも変わらない純粋なラフシモンズの一面を目の当たりにすることができ、私はとても嬉しい気持ちになりました。
「成功の定義が“いかに事業を成長させたか”という経済的な視点ばかりになってしまった。とてもいら立たしいし、ひどい話だと思う。クリエイティブな人間を、ブランドの店舗数や売り上げ、会社の成長率などで測るべきではない。クリエイティブ面ではひどい出来のコレクションなのに、売り上げがいいからと称賛されるのは間違っている。とはいえ、褒めるところがないから売り上げを褒めているのかもしれないが」
「私がキャリアをスタートさせた当時、マルタン・マルジェラ、ヘルムート・ラング(Helmut Lang)、川久保玲がアバンギャルドで新しい作品を次々に発表していた。最近はファッション業界でそうした新しい風を感じることがなくて寂しく思う。むしろ、映画やテレビドラマなどで挑戦的なテーマの作品が増えていて、スタッフと毎日ドラマについて話している」
「私は精神的にいつまでも若々しくありたい。最初はとても面白かったのに、いつの間にか商業主義に染まってしまい、とがった部分がなくなるようなブランドにはしたくない。私は感情を揺さぶるようなものを作りたいと思うし、そうすると(ブランド側が)受け入れる準備ができてない作品になることもある。しかし、そうした作品は変化の波を生み出すだろうし、未来を予兆させるものであるはずだ」
「メジャーブランドや大企業で仕事をすることなど考えたこともなかった。アントワープにいるデザイナーたちのように、私はただ服を作りたいだけだ」
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