見出し画像

リアリズムを表現する場合、時代感をフィットさせる按配をどのように考えるか、様々な媒体のクリエイターに訊いてみたいと思うときがあります。

そう思う一つに言葉遣い、口調について、特に映画とテレビドラマで若者が登場する団欒風景と戦闘(アクション)風景でのやりとりに概ね私はやや引く傾向にあるのです。
総じて輩(やから)口調と呼ばれる、くだいてルーツは元はローカルでしかなかったヤンキー言語に由来しつつ、人気テレビタレントから派生してそのうち蔓延し切られた日常化した口語表現に正直、今だに馴染めません。
もはや世間一般的に常態化している風景に、そう思う人こそ違和感だと指摘されても不思議ではないにせよ、私には場の格が落ちているように映ります。

『シン・仮面ライダー』を先日鑑賞したのですが、前述したポイントについて気になる鑑賞者はあまりいないとは思われますが、この傾向はスタンダードです。
ベビーフェイスとヒールの区別に言葉遣いと口調は問われるものではないという不文律はいつからか定着したものと理解します。
例えば現在シーンのプロレスにおけるマイクパフォーマンスは少年ジャンプの漫画キャラクター同士のようでもあり、輩口調全開です。会場は大いに盛り上がります。

私は‘美的感覚’の変化がこうした時代性を捉える一つの要素と推察します。
観客や視聴者、ユーザーにこうなりたいと思わせる偶像提示を、作る側は言葉遣いとシンクロさせたキャラクターを生み出します。
‘美的感覚’イコール‘格好良い’の構図が輩なんだけどインテリとか、例えば金髪弁護士や革ジャン検事みたいな、ギャップの魅力がある種の美的感覚に直結しているとの解釈も考えるのです。

品格という捉え方に口語の仕様が、教養とセンスに裏打ちされている故に格好良いと断言できる私の感覚は古いとされても、とどのつまりそれで良いと思っています。
というのは、現在の‘格好良い’が田舎臭く見えて仕方がないからです。
例えば此処で比較対象にすべきかではありますが、YMOの御三方は全員東京出身の身のこなしと知的さが軽やかさに昇華されています。嫌味がありません。
決して東京賛辞ではないのですが、普遍性にはソフィスティケートな収斂はあって不思議でない要素があります。

元来、こうしたメディアから受ける感覚は個人的な趣向性で収めるものだと思います。但しメディア自体も原則論が瓦解して、動画投稿サイトの再生回数が多い人が影響力をもち、取り上げられる時代において、品格は二の次に置かれる現状は、普遍性ある良質なコンテンツは生まれ難いと推察します。
完全消費型の大ヒット映画を手掛けた日本のある映画監督は公然と、
「ゴダールを良いとか言っている人は格好付けたいだけだと思う」
そうした言葉を臆面もなく発せる時代環境にあるのです。

観点が少し異なるかもしれませんが、添付したサイトのコラムが興味深かったので、お手隙の時に読まれてください。

https://wi-dream.co.jp/blog/blog58/

勤勉さの低下なのか、一重にこれまでの論を集約すると、ある形があったはずの日本人の姿勢が幼稚化している向きを考えます。確かに独特なまでの前例なき云々は認めない等、硬直化しやすい組織や考え方の改善は必要だと思います。
夏目漱石が有名な講演で語った‘日本人は影響されやすい’という視点は130年以上経っても本質は変わらず、幼稚化観点もエコノミックアニマルと揶揄された海外基準との差異を埋める為に仕組まれた勤勉さの否定からの現象の一端と読み取れなくもありません。

添付したサイトには給与という形で日本の何かが映ります。
小津安二郎監督の好きな言葉があります。
安物を粗末に使うな。良いものを大事に使え。
頷く姿勢、その要諦が詰まっています。

【私のオススメの一枚】

『good evening tokyo』矢野顕子 1988年リリース

1987年の東京厚生年金会館でのLIVE盤。
坂本龍一を始めとした豪華バックによる名演なのですが、高橋幸宏のドラムを通しで聴きたくて棚から聴き直しました。歌を立てる音使い、鼓動に近いタイミング。幸宏氏の敲くスネアドラム、その魅力をまた認識させられる一枚です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?