映画題材、テーマについて考えてみると、やはり事件についての考察から行間的な脚色も織り交ぜながら作られるケースが後を絶ちません。
事件はイコール犯罪。社会的な動揺、犯罪者の心理的背景を描き出す事が軸となります。いわゆる負の側面、影の世界に人間の本質があるとした共感を求める要素もあるのです。よく言われる「一歩間違えば」です。
私見として昨今の日本のリアルな犯罪について、意外と創作をモデルに具現化しやすい状況の一端があるのかもしれないと感じています。
やはりSNSの存在、ツールとして悪用されることで偶発性によって起こる事件性の確率はかなり低下し、その昔ではあり得ない徒党の組み方、大胆な実行パターンが生まれる要因になっています。
創作の観点で事象を捉えたとき、入念なアリバイや人が結びつく因果、加えてアナーキーな思考回路も垣間見えたりと、欲にとり憑かれた人間の様を表現することに苦心します。
しかしながら、SNSの容易なまでのアプローチでゲーム感覚に近いプロセスが、あまりに社会性を背景に物語るには味気無く、ベルトコンベアで梱包される商品の淡々とした流れを見させられているかの如く、情緒を感じることはありません。逆に恐怖でしかないのですが、一方では個人情報の意図的な流出も存在します。
SNSを利用する方には良くお馴染みの’ツリ’と言われる容姿端麗の美女美男からの友達申請や投稿に何らかのリアクションをしてしまい情報取得をされてしまう可能性があります。そもそもSNSの特徴は敢えて個人情報をさらけ出す事によるコミュニケーションの創出なので、悪用は大いにあり得て不思議は無いのです。
のめり込む程、自己承認欲求が付帯していく点も避けられない為、私的に考える利用理由は自己プロデュースをする必要が無ければ極端なハナシ、やらなくても良いのではと思う処はあります。
それだけ犯罪が最上位に、トラブルに巻き込まれる可能性が誰しも高いのがSNSです。メディアリテラシーも知らずに行う点も懸念とされます。
解析していくと、人間関係の希薄な現状が輪を掛けているようにも思えてなりません。
松本清張作品や横溝正史作品にあった情念が織り成す犯罪の色彩ではなく、至って検索エンジンでの入力作業を繰り返すように感動の無い答えを右から左に流す作業に明け暮れる虚無感に気付く事がない犯罪事象を含めた現在に映ります。
つまりは多様性を重んじる社会とは一重に無関係を装う事の増長なのではないかと、倫理観も気付けば古き概念に過ぎないと一笑に付されるケースもあるでしょう。
SNSを総称して安全な場所から石を投げる行為だと蔑視する見方もあります。
人間ドラマが正直、作り難い世の中だと思う今日この頃です。
【インフォメーション①】
来週22日(土)開催、下関名画座のご案内です。
次回は36歳で早世したジェラール・フィリップの晩年の代表作。共演にジャンヌ・モロー、監督にロジェ・ヴァディム、音楽にセロニアス・モンク、演奏にアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズと豪華スタッフィングによる、これぞフランス映画の決定版と言って良いでしょう。
【インフォメーション②】
映画『マゴーネ 土田康彦「運命の交差点」についての研究』
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