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‘ヴェールに包まれる’
‘ミステリアスな’
といったキャラクター設定を商品企画する際、安易に考えがちな理由として、短期寿命にしない戦略がまず挙がります。
そのもの自体が分かってしまうと飽きられる運命にあると衆目一致する点が大きいのです。
しかし、商品の本質とは全容が分かってからの息の長い耐久性があるクオリティか否かに拠ります。
この観点は人間自身に置き換えると非常に分かりやすく捉えられます。寡黙やスタイルに固執することで或るイメージが纏われ、‘この人はこういう人’だというキャラクター付けには確かに有効だと思われるでしょう。一方で誤解も生じやすくなるのも然りです。
現代社会におけるコミュニケーションについて、比較的大事と考える理由には伝えない方法論と伝える方法論から発生するリスク度合いが異なることにより、仮に商品としての自分自身をキャラクターに見立てると、信頼へのクオリティに大きく直結します。
この信頼こそ、商品力の源と言ってよく、培ってできるにはかなりの時間を要するものだと考えます。

これは十人十色、多種多様な考え方もあるので一概にコレだという事ではありませんが、私自身のケースとしたならば、できるだけ自分自身を説明できる機会の生じたシチュエーションが与えられたと仮定して、努めて思うのは脚色を入れ込まないようにするという点です。

仏教に「観」という教えがあります。
或る事象を見方によっては様々な捉え方ができる、つまり置かれた立場や角度の違い、加えてその人がこれまで蓄積された教養と読解力で事実認識は異なるので、様々な見方がある事を当事者であっても別の視点で考えてみる事の大切さを意味します。

ですので自身の事実の伝え方には客観性がなるべく伴うように考えます。
伝える理由を信頼構築の観点から、有効だと決して打算的に思うのではなく、何らか信頼関係には胸襟を開くつもりが無ければ、相手も同様だと私が感じる点が大きいのかもしれません。無論のべつ幕無しに饒舌りまくるという意味ではありませんが、信頼関係を構築したい人間関係には自分を伝える意識を持っておく必要がある事は確かなのだと。
その際の脚色は信頼醸成の足枷になりかねない点もあるのです。

好きな曲に泉谷しげるが1988年に発表した曲で『長い友との始まりに』というナンバーがあります。
吉田建、村上ポンタ、下山淳、仲井戸麗市から構成された“LOSER”を率いていた頃の泉谷しげるが大好きでよく聴いていたものです。
Aメロの詞のフレーズが印象的で、

都会では誰もが匿名希望者
このオレも誰かに化けたがる
すべてをふせて差し出すプライバシー
また顔を変えたお前に会う

本論の内容と詞の世界観とは多少意味合いが異なるかもしれませんが、自分を偽る術だけはある意味、変わらない時代性があるのかもしれません。

【インフォメーション/御礼】
下関市立美術館特別展『ビアズリーの系譜』展特別イベント
ファッションショー&トーク「19世紀末美術とファッション」

当日ファッションショー模様

MC等諸々お手伝いさせていただき、無事盛会に滞りなく終えることができました。応援等誠に有難う御座いました!
お声掛けいただきました服飾デザイナーの浜井弘治さん、下関市立美術館の渡邉さんに心より感謝申し上げます。


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