おやすみ前の3分間☆彡一緒に旅をしませんか。エリザベス女王と別れの時がやってきた。
こんばんは!モモです。また、1日遅れましたごめんなさい。
ソーシャルワークに恋をしてともに旅する世界ー序章ー
初めての方はようこそ!
リピータの方、心からありがとうございます。
今夜も一緒にゆったりゆったり旅をしていきましょう。
今夜も理想は「アナザースカイ」のような感じで。
(いまのところそうはなっていませんが…)
そして、始める前に、旅のアテンション♪
・連載ですが、初めてでも大丈夫。この旅だけ参加でも大丈夫。
眠いから途中で寝ますも大丈夫。むしろ先にお伝えしておきます。
「おやすみなさい^^」
・ゆーっくり、眠たくなりそうでオッケーです^^
それではよろしくお願いします!旅のスタート!
旅の舞台は、17世紀、1600年代超最高級の格差社会イギリス。
エリザベス女王の死後も約200年間、格差社会は続きました。イギリスがどこの国よりも早く産業革命と近代化の一途をたどったというのはとても有名な話。人々は自由を手に入れたと同時に、競争に負けた人々は、貧困に陥りました。
それにしても200年は長いですね。。。といっても、さすがに200年何もしていなかったわけではないんです。
ギルバート法やスピナームランド制度という制度があり、ワークハウスというところで貧民救済を試みたり、逆に、施設には収容しないで自宅で生活してもらう代わりに、就職のあっせんや家賃補助をしてみたりと・・・
「なんだ現代と同じような支援をしてるじゃん」
そう思いませんか?
確かに文字だけ見るとそう思えます。
しかし、実際は、強制的に施設に収容したり、最低限の生活費のみの支給だったり、働けない人(例えば、子供や障がい者や高齢者…)の救済が後回しになっていたり、そもそもの貧困を減らす根本対策にはなっていなかったようです・・・
突っ込みどころ満載で、解決どころか貧困と格差はどんどん拡大していったんですね。これには、女王も困りました…。(このころは女王ではありませんが、王政については、いつかスピンオフにしますね。たしか、ジョージ2世やジョージ3世が跡を継いでいたかと・・・)
そして、この状況を変えなければということで、満を持しして登場したのが、
1834年 新救貧法(別名マルサス救貧法)=エリザベス救貧法の改正Ver.
というものです。さて新救貧法!期待できますね!一体どんな魅力的な取り組みが行われてのでしょう・・・
気になるところで続きは・・・なんと!また来週!
来週の旅は、舞台はイギリスのまま、期待の新救貧法について紹介します!そして、別名に登場した人物、マルサス氏のもとに少し寄り道したいと思います。
ソーシャルワークの旅、今のところイギリスの福祉の歴史だけど…この先大丈夫なのだろうか…大丈夫です。確実に近づいていってます。
そして、この旅の時間は、知識を詰め込む時間ではなくおやすみ前のやさしい時間。覚えようと思わず、へーそうなんだーくらいの感覚で。その方が心地がよいのではないでしょうか。そして、ゆーったりでも止まらずに次の場所まで歩いていきます。
最後に、今夜の旅のおみやげを♪
(今夜の旅のおみやげ)
近代化するイギリスで格差と貧困の時代に生まれた政策は、根本解決につながらなかった…。
それでは、今夜はここまで。旅の続きは、次の週末。それまで皆さん、各自フリースタイルで、各自いろいろ進めていきましょう。最後までお付き合いいただきありがとうございます。次の旅でお会いできるのを楽しみにしています!
それではみなさんおやすみなさい☆彡
また、この旅って何一体?と思った方は、こちらをご参照いただけますととっても嬉しいです。
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