『危険な情事』よりもっと危険 『ただ離婚してないだけ』
エイドリアン・ライン監督『危険な情事』(1987)は主人公ダン(マイケル・ダグラス)の浮気相手アレックス(グレン・クローズ)が消えることで情事に終止符が打たれ、映画としても結末を迎えます。当時は十分怖い話だったし、今見ても、同じような状況には陥りたくないと誰もが思うでしょう。
本作も、愛人が家庭を壊しにやってくるところは同じで、愛人は事故のような形で死にますが、『危険な情事』と違って、そこからがむしろ物語の始まりなんですね。
フリーライターの柿野正隆(北山宏光)と、小学校教師の柿野雪映(中村ゆり)は、結婚7年目となる夫婦。お互いへの恋心はなく、関係は「ただ離婚してないだけ」。しかも正隆には萌という不倫相手がいて――。
ちょっとした出来心・遊び心が招いた最悪の事態…いつ自分の身に起こっても不思議ではない、罪が罪を招く、史上最も恐ろしい“衝撃の不倫サスペンス”ここに開幕!!(公式サイトより)
あまり幸せでない少年時代を送った柿野正隆は、義父(母の再婚相手)の経営する製薬会社で働く有能な青年となり、自分も周囲の人々も次期社長となるだろうと見込んでいたが、義父が指名したのは義父と血の繋がりのある弟の方だった。そのことに深く傷つき、自暴自棄な状態の時に萌(萩原みのり)と出会い、不倫関係になる。妻の雪映は正隆から冷たくされながらも耐え、冷え切った夫婦関係をかろうじて続けている。
妻に弱いところを見せられない、見せたくない男性って多いみたいですね。正隆もそうで、優しく大人しい妻・雪映に傷ついた自分を見せられず、外に逃げて愛人を作ります。ここが踏み外しの第一歩です。
愛人の萌に対して正隆は全然優しくなく、時に暴力的で、思いのままに振る舞います。非常に嫌な奴ですが、萌は全てを受け入れます。それは萌が、やはりあまり幸福でない人生を送ってきて、今も寂しいからで、正隆が自分を愛してなどいないことに目をつぶり、傷ついた可哀想な正隆を理解し癒してあげられるのは自分だけだと思ってしまうんですね。依存しあう関係です。
私見ですが、“ここまではっきりした形じゃないけどこのパターンの男女関係”って、日本には結構多いんじゃないかと思います。
よく「男は永遠の子ども」とか「女は男を手のひらの上で遊ばせるくらいがいい」みたいなことが言われますけど、要は「女は男の甘えを受け入れろ」ということですよね。それは別にいいんですけど、それなら逆もやってちょうだいね、というのが女の言い分です。しかし多くの男女関係で、なかなかそうは行っていない気がします。うまく行っている夫婦であっても、公平に見たらいつも女の方が多く我慢している、というのが実情なんじゃないでしょうか。
そんな正隆の甘えから始まった事件の後始末を、率先してしていくのが雪映です。いつも不機嫌に押し黙り、時には怒鳴ることもあった正隆に怯えながら耐えてきた雪映ですが、妊娠したことによって、子を守りたい一心で強くなったというわけです。三人での幸福な暮らしを得るためにはなんでもするという気持ちになるのですね。
弱々しかった雪映が追い詰められるごとにどんどん強くなり、正隆をリードしていくようになります。正隆はそれに驚きつつも、雪映に従っていくしかない。かつての関係とは立場が逆転してしまうわけですが、二人の絆は強まって行きます。しかしこの絆は愛なのでしょうか。あるいは単に共犯者同士の結びつきなのでしょうか。
萩原みのりさんは『RISKY』(2021)で、姉の復讐に体当たりで挑む広瀬ひなた役で知りましたが、本作でも鬼気迫る演技でした。目の下のクマ、そんなに?っていうメイクではありましたが、本当にあんな風になっちゃうこともあるのかな。何れにせよ可愛らしさと怖さをしっかり演じてくれました。
佐野役の深水元基さんも、深夜ドラマでここまでやるのか、と驚くほどの役作りで、あのガリガリに痩せた姿は本当にすごい。撮影前に10kg、撮影に入ってから6kg、計16kg痩せたそうです。あの見るも不快な監禁場面に拷問場面、オムツ姿で公道を走るなど、気持ちを保つのは大変だったでしょうね… たとえ役柄とはいえ、あれはかなり精神的にきつかったであろうことは容易に想像がつきます。拍手。
ヤクザに証拠を握られ、二人がいよいよ追い詰められた最終回は、サスペンスフルな展開となりました。
弟から義父の遺言を伝えられた正隆は、最終的に魂に安らぎを得られるような解決方法を選びます。これまでして来たことを振り返れば、どう転んでもそう簡単に魂の救済など得られるわけはないですけれども…
お前の本当の父でありたかった、お前の苦悩は私のせいだ、という義父の遺言も、今それ言われてもどう受け止めたらいいのよ、ってところですが、正隆の胸には沁みたんですね。愛されたくて仕方なかったけれども愛してくれなかった義父が、それは偽りの姿だったと、そして「お前は偽りなく生きてくれ」という言葉を遺した。それがまっすぐに胸に刺さったのです。
血を尊ぶ家風だからというだけの理由で、義父が自らを偽ってきた(=継子・正隆を冷遇してきた)というのがちょっと理解できなくはあるのですが、家族経営から出発した老舗の家柄というのはそういうものなのかもしれません。
冷え切った「ただ離婚してないだけ」だった夫婦、正隆と雪映は、「それでも離婚しない」夫婦となり、愛なのかなんなのかよくわからない結びつきによって、別々の道を一緒に歩いていくことになります。矛盾する表現ですが、そうとしか言えない気がするのです。