【映画感想】つなぎ目として生きる男 『JOINT』
2020年製作/118分/G/日本
配給:イーチタイム
監督:小島央大
脚本:HVMR
エグゼクティブプロデューサー:キム・チャンバ
撮影監督:寺本慎太朗
照明:渡邊大和
録音:五十嵐猛吏
出演:山本一賢、キム・ジンチョル、キム・チャンバ、三井啓資、樋口想現、尚玄、平山久能、鐘ヶ江佳太、林田隆志
刑務所から出所し、地方で一年間肉体労働をしてクリーンな資金を作った石神武司(山本一賢)は、カタギの友人ヤス(三井啓資)の援助で東京へ戻り、詐欺用の名簿ビジネスを再開する。
その後、ヤスの勧めでベンチャー企業に出資してカタギを目指すが、取引先に過去を調べられ、手を引かざるを得なくなる。
一方、武闘派を破門にした関東最大の暴力団・大島会と、破門された者たちが作った壱川組との抗争が激化し、大島会とつながりのある石神もその渦に巻き込まれて行く…
公式サイトのあらすじにも半グレと記載されている石神だが、彼のような“フリーの”半グレという職業(?)は存在するのだろうか。
半グレという表現は通常「半グレ集団」というように複数の人間に対して使用され、暴力団に指定はされていない犯罪集団を指す。どの集団にも属していない石神は、半グレというより、後輩の渡辺佑(鐘ヶ江佳太)が所属する暴力団・大山会の電話詐欺部門(?)のいわば下請けだ。一見カタギの友人ジュンギ(キム・ジンチョル)からデータを仕入れて使えるものに加工して佑に卸すのである。
あえていうなら、飛ばし携帯の売買や中古携帯からのデータ抜きなど行なっているジュンギとイルヨン(キム・チャンバ)と、彼らが取りまとめる他の韓国人たちこそ半グレなのかも知れない。しかしジュンギが経営する焼肉屋は偽装でなく本当の商売なので、やはり半グレとは言い切れない気もする。カタギが裏で闇商売をしている、というのが一番近いだろう。
石神は、大島会(ヤクザ)とつながる一方、ヤス(カタギの友人)にも要所要所で助けられつつ交友を続ける。カタギを騙す仕事に加担しながらベンチャー企業に出資しカタギになろうとする。そのありようはヤクザとカタギをつなぐジョイントであり、ジュンギを通して外国人犯罪組織リュードともつながることで日本と海外の犯罪世界をつなぐジョイントにもなっている。
電話で行ういわゆる特殊詐欺が半グレの代名詞となっているので、我々観客は本作で半グレの生態を垣間見たような気になる。しかし実はそうではなく、どこにも属さずジョイントとして生きる男が、どこにも根付くことができないまま世界を浮遊する様子を見たのだ。
このような男が現実に存在できるかどうかはわからない。
実際、石神と今村(林田隆志)と佑との関係性はどうにも不自然だ。ヤクザである今村が組に属さない石神に、佑のことを「面倒見てやってくれよ」と託すが、実際にこんなことはあり得ないだろう。普通は組に属する者にそれをさせるか、石神を組に引き込むかどちらかではないだろうか。今村は石神を組に誘うことはするが、“一応言ってみる”程度の弱い勧誘しかしない。自分たちのシマで、“下請け”という形でフリーのまま商売をさせているのである。
どこにも属さず、かつそれぞれの世界に協力者や好意を持ってくれる人を持つことができる人物はフィクションにはよく登場する。これは相当な人たらしでなければ成り立たない。石神の人たらし的側面のエピソードや描写があれば、作品のリアリティは増しただろう。
リアリティの面で描いて欲しかった点はまだある。
飛ばし携帯の手配や中古携帯からのデータ抜きを依頼していたジュンギに「もう来月からいいから」と突然簡単に切り捨てる石神もどうかと思うが、なによりも「情」を大事にする韓国人のジュンギがあのような切り捨てられ方をしたあと簡単に石神を許すことはちょっと考えられない。ましてやジュンギよりも熱い性格が見て取れるイルヨンが、ヒョンニム(アニキ)と呼ぶ仲になった石神の冷徹な仕打ちを許すだろうか。まあでも、ジュンギから言われたなら従うだろうとは思う。しかしジュンギが石神を許すならば、二人は相当な絆を持つ仲であるはずであり、であるならその部分をどこかで描かなければならなかった。(余談だが「ヒョンニム」より「ヒョン」の方が親密度はやはり高いのだろうか。そうだとすると、イルヨンが石神を「ヒョン」でなく「ヒョンニム」と呼んだことはリアリティがあるように思う)
色々と疑問な点はあったが、ともすればそれらに気づかずじまいになるくらい、映画としての感触が良い作品だった。感触とは、画面の色合いや明暗、カメラの動きや画角、それによって醸し出される雰囲気や空気感、世界観のようなもののことだ。たいへん曖昧な言い方になってしまうが、本作自体曖昧なところをたくさん含んでいる作品なので、曖昧な感想でも勘弁して欲しい。
技術的な面では、音楽とセリフの音量のバランスがよくないところがあり、音楽がナレーションも含むセリフの邪魔をしている場面が多々あった。音楽なしの場面でもよく聞き取れないセリフも多く、そのためによくわからない場面もあった。個人的には聞き取れないセリフはあってもいいと思う。ナレーションは全て不要と思った。
本作では「映画の不思議」を体験した気がする。たとえば本作の主要キャストが、ヤクザ映画で名を轟かせている俳優たちだったらどうなっていただろうか。おそらく全く別の作品になっていただろう。映画においては、演技は上手ければいいというものでもないのかもしれない。映画における俳優の役割というものについて改めて考えさせられた。
カメラはかなり動き、カットも頻繁に入る。始終動くカメラは画面を落ち着かないものにする。それはまさに“落ち着かない石神”の人生そのものだ。そういう画面を重ねて来た後のラストシーン、車のフロントガラス越しの石神の顔のロングショットは印象的である。
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