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わたしが映画として見た『Tokyo Summer』(脳内で)

最近(脳内で)見た『Tokyo Summer』という映画がとても素晴らしかったので紹介したい。
あらすじの後には予告動画を載せているのでそちらも是非視聴してほしい。

《あらすじ》
一人娘の里香が結婚することになった。
里香が2歳の時に妻の今日子が急逝してから、穣一は一人で娘を育ててきた。
母が居ない家庭で長年寂しい思いをさせてきたが、里香は今日子によく似た明るく元気な娘に育った。
その里香が「お父さん、結婚前に2人でお出掛けしようよ!」と誘う。
「行き先はお父さんの好きなところで」と言われた為、穣一は今日子との思い出の地を巡り、母との思い出を里香に語ってやる事にした。

当日「ジャーン!」と現れた里香は母の若い頃の服を身に纏いいたずらに笑ってみせた。
不思議と性格だけではなく姿までそっくりに育った里香はまるで今日子に瓜二つだった。
こうして家族での最後の“お出掛け”が始まった。

《感想》
この映画の素晴らしいところは2つある。

まず、穣一が錯乱を起こすところだ。
今日子と里香がとても似ている為、思い出の地を巡りながら穣一がふと目を向けると時折里香が今日子に見えてくる。意識を整え今日子との思い出を里香に語り始める穣一だが、お出掛けが進む毎に今一緒に居るのが里香なのか今日子なのか分からなくなってくる…。
この様子は視聴者にも錯乱が起こるように撮影されていて面白かった。里香と今日子の差が「お父さん」「穣くん」という呼び方の違いのみで、2人は言動の仕草まで似ている為、作中で穣一が名前を呼ばれる毎に視聴者もハッとなったり驚くことになる。「あ、今は里香と現実のシーンか」「あ、ここは今日子の回想シーンか」「あ、ここは里香を今日子と間違えてるな」と。ややこしくて少々困惑する視聴者もいるだろうが、私にとっては世界観に引き込まれてとても良かった。

また、夕方まででお出掛けは終了し里香は先に婚約者の元へ帰るのだが、穣一はそのまま夜の街に繰り出し思い出巡りの旅を続けることになる。その際に時折今日子が目の前に居る錯覚を起こすのだが、我に返った時の穣一の憂いを讃えた表情がなんとも切ない…
この、キャストによる表情の演技がこの映画に於ける2つ目の素晴らしい点である。穣一は度々寂しそうな、泣きそうな、愛おしそうな…様々な感情を一度に含んだような表情を魅せるのだが(この表情は予告動画でも拝見出来る)、これが穣一の心情を言葉よりも有弁に伝えてくるようで胸を締め付けられるのだ。
更に、妻を見つめる男としての表情と、娘を見つめる父親としての表情の演じ分けも素晴らしかった。

また、翌日穣一は再び思い出巡りを続けるのだが、翌朝からの穣一は今日子が目の前に居る錯覚がなくなり、里香も一緒ではない。独りになる。
穣一がベッドから出る際、ベッドで眠る今日子の幻が魔法が溶けるようにスッと消えてしまうシーンが入るが、これは昨日という1日が特別な日だった事を示しているのだろう。(※ 夜から見えたり消えたりしていた今日子は、実は穣一に会いに来た幽霊なのでは?と解釈する者もいるだろう。その解釈でも好きだが、私はあくまでも目の前に現れた今日子は錯覚であって実際には居ない、という解釈で捉えたい)
その後は穣一が独りである事が強調されながら話が進んでいくのだが、これがまたストーリーと画に物悲しさを纒っていき、見ていてとても切なかった。

それと、この映画の最後は大きな滝を見つめる穣一のシーンで終了するのだが、滝から流れ落ちる大量の水は、なんだか穣一の中にある数々の思い出が溢れ出ている様子を表現しているのではないかと思った。その思い出は今日子との思い出だけではなく、もちろん里香との思い出も含まれるだろう。そして大滝は愛する妻がこの世に居ない事実や、娘が花嫁として旅立つ事への寂しさに対する慟哭も表現しているのではないだろうか。そう思うと予告動画が滝のシーンから始まる事にさえ自分の中で意味を成し、胸が熱くなってきた。

というわけで、亡き人と娘を大切に思う男の様子を丁寧に描いたこの映画は本当に素晴らしかった。
穣一は素敵な男性であり父親であるな、と思う。
ストーリー然り、この家族と巡った情景はこの先も私の心に残り続けることになるだろう。
是非また視聴したいと思った。

※本作では
“お茶代” 8月課題 by.脱輪氏
『ファスト“すぎる”映画プロジェクト!』
に参加しました。


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