加工自撮りに並々ならぬ敵意を抱く人間とこんにゃくが食べられない人の恐るべき共通点
まず前提として、人間とは嫌いあい、いがみあう生き物である。
人の歴史とは争いの歴史。
トロイア戦争より始まった争いの螺旋はその姿形を変えながらも、今日まで社会に長い根を張っている。
人が増えれば心も増える。心が増えれば憎しみも増える。
宗教戦争・革命戦争・国際紛争など…。
世界各地で起こる紛争は、当事者こそ違えど、その姿かたちはそっくりである…。
世界各地でいがみ合い、争い合う。
戦場は陸から始まり、山、川、海洋、湾岸、大空へと手を伸ばした。
ではインターネットはどうだろう?
ここは安全な楽園か?争いとは無縁の桃源郷か?
否。ここも現世と何ら変わりない。象牙の塔などありはしないのだ。
むしろ、強制力を持った規範がないぶん争いは苛烈だ。ホッブズは正しかった。コモンウェルスがなければ万人は万人と争うのだ。
高度情報化社会society5.0への移行が進む現代。
筆者は、その中で産まれたちっぽけだが、根深い紛争に、焦点を合わせた。
それは……
加工自撮り叩きである…!!
SNSで気軽にメディアをシェアできる時代、自身の容姿を投稿する人間が出現するのは想像に難くない。
では、自撮り市場は美形たちが独占したのか?
「否。」
顔を加工して美しく見せるアプリが台頭するのは早かった。
その手のことに詳しくない筆者も、snowなどは知ってる。流石にね?
しかし、それをよく思わないユーザーも多かった。
加工自撮りのツイートを叩くアニメアイコン勢力があらわれたのだ。
彼らは加工された写真を不徳として、侮蔑した。
しかし、筆者は思う。
容姿に自信がなくとも、写真の中の自分くらい美しくありたいと願うのは、強欲だろうか?
誰しも美しい自分になりたい。かわいいと言われたい。かっこいいと言われたい。それは当然の感情である。
そこの逆張り野郎、素直に認めろ。
誰かに認められるということは、嬉しいことなのだ。喜ばしいことなのだ。
だが、加工を嫌う人間の気持ちが、全く分からないかといえば嘘になる。
浅ましく見えるのだろう。虚飾であることは間違いないだろう。
それを嫌うのもまた、個人差はあれど当然の感情なのだろう。
まあ、そんなことはどうでもいいが、こっちについて考えて見てほしい。
カブトムシが嫌いな奴は、まあゴキブリやカナブンも嫌いだろう。
バターが嫌いな奴は、だいたいマーガリンも嫌いだろう。
ソーセージが嫌いな奴が、フランクフルトを頬張れるはずがない。
筆者が何を言いたいかお分かりかね?
つまり…
加工叩きをする人はこんにゃくに対しても同様に憎しみを抱く……!!!!
これが今回の本題である。
落ち着いて聞いてほしい。
加工自撮りとはこんにゃくなのだ。
まず、こんにゃくの原料であるこんにゃく芋はシュウ酸カルシウムという毒を大量に含んでおり生食は不可能。
しかし、そんなこんにゃく芋を無毒化し、食べれるようにしたのがこんにゃくなのである!!!
本来容姿が整っていないこんにゃく芋も、加工の手順を経るによって、美しいこんにゃくへと変身することができるのである!!!
ここまで来たら、察しの悪いこんにゃく芋でも理解できるだろう。
「なんだ、加工自撮りって、こんにゃくじゃないか」
その通りだ。加工自撮りはこんにゃくだ。
それでは、話を戻そう。
「カブトムシが…」のくだりと、
「加工自撮り=こんにゃく」を基に考えたとき、ひとつの真理が得られるだろう。
そうだ……
加工が嫌いな人はこんにゃくが嫌い……!!!!
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こんにゃくが嫌いな人は加工が嫌い……????
ここまではこんにゃく芋でも行き着く自明の結論であって、特筆すべきことは何もない。
しかし、本記事ではさらに踏み込んだ結論を世に放つ。
加工が嫌いな人はこんにゃくが嫌い……!!!!
||
こんにゃくが嫌いな人は加工が嫌い……????
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こんにゃくが嫌いな奴はアニメアイコン……!?!?
世の中には
という至言がある。
つまり、アニメアイコンがこんにゃく食わねえというのはごく自然な論理展開である。
これは当然であるからこそ残酷かつ救いのない結論である。
正しい言葉は、その正しさを以て人の心に暗い影を落とす。
残酷な真実とは、概念そのものが残虐性をはらんだ兵器となりうる。
そう、まだ終わりではないのだ。
先ほどの理論は、ただの理論でしかない。
私がこれから話すのは、実際に社会で起こるであろう動乱と、紛争のシナリオだ。←これ書いた瞬間地球にいなかった!!w(執筆時0:00)
まず、この理論を知った世間の動向を考えよう。
世論は加工擁護派と否定派に二分されるだろう。
しかし、現時点では否定派は下火で、逆に陰キャ(アニメアイコンの大半は陰キャオタクである)叩きが苛烈になっている。
この記事では加工自撮りを叩く人間にたいしては言及しているが、加工自撮り自体には何も言及していない。
つまり、現在否定派は劣勢であるにも関わらず、再び窮地に立たされることになる。
もはや均衡は保たれていない。
今後、令和の時代ではこんにゃくは食物繊維が多いだけの食品以上の意味を持つことになる。
人々はこんにゃくを食べない者を不道徳とし、迫害するだろう。
闘争は終わらない。こんにゃくが嫌いな人間が絶滅するまで続くだろう。
闘争の根源を紐解けば、また闘争が生まれる。
私は争いの種を生んだ責任から、逃げてはならない。
もはや、腹を切るほかない。
介錯はいらない。これは私の罪なのだ。
ぐおおおおおおおおおおおおお!!!…(切腹中)
おおぉ…^^(余韻)
これが、人類の歴史の中で最後の流血となることを祈っている。