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母が選んだ2曲〜中小路さんちのグラノーラの軌跡〜
先日、母がラジオFMクマガヤに出て、今しがた、その録音を聞いた。
私が今こうしてあるのは、母の軌跡から生まれたものであり、その奇跡に涙を流さずにはいられなかった。
このラジオでは前半と後半に2回、ゲストスピーカーの選んだ曲が流れる。その2曲を中心に、私の母の物語を書き綴る。
1曲め「You Raise Me Up」
1曲目は「You Raise Me Up」。この曲を歌うケルティックウーマンはアイルランドの4人組。
この選曲は、母の人生を変えたカナダでの生活と深く関わっている。
カナダでの暮らし
母は大学卒業後、2年半勤めた会社を辞め、カナダに留学した。
たまたま先日、祖母の実家に泊まっている時、母が会社勤めの間、帰ってきて夜遅くまで電気をつけて勉強をしていたこと、丸の内でのランチを辞めて自分で作ったお弁当を持っていくまでしてお金を貯めていたことを祖母から聞いていた。
そんなふうに自分で掴んだカナダの切符は、母の人生を変えることになる切符だった。
時は、バブル崩壊直前の1989年。インターネットも勿論ない。
24歳の母は、エドモントンの空港で、ホストファミリーに迎えられる。
留学先のホストファミリーは、エドモントン郊外の一軒家で、お父さん、お母さん、10歳と4歳の子どもたちと暮らしていた。
暮らしは、今でいう’丁寧な暮らし’そのもので、週末にはホストマザーのRitaとファーマーズマーケットに行き、チキンスープは出汁を一羽の鶏から作り、ポリ袋は洗って何度も使っていた。
ホストファミリーは、テレビのない家で、夜になると、静かに音楽をかけ、子どもたちは本を読んだりおしゃべりをしていたという。
その時にかかっていた音楽に、アイルランド音楽が多かった。それはホストファザーのJohnはイギリスからの移民で、両親がアイルランドだったからだという。
その音楽を母はどんな気持ちで聞いていたのだろう。
24歳の母が1年間身を置いたRitaたちの暮らしは、母にどれだけの影響を与えたことだろうか。
その数年後に生まれる私達は、20年間、そんな母に育てられるのである。
Ritaのグラノーラとの出会い
それから28年の歳月が経ち、大学生になった娘(私)がカナダに留学する。
(この娘は図々しいので、自分のホストファミリーの如く母のホストファミリーを頼り、何度もエドモントンの家庭にお世話になる。そしてそれが、パラレルに動く別の物語の伏線となる)
母はバンクーバーに住む娘を訪ねた際に、エドモントンに立ち寄り、ホストファミリーとの時間を過ごした。今回は自分の家族抜き、自分ひとりでゆっくりと。
その時に巡り合ったのが、ホストマザーRitaの作るグラノーラである。現在の「中小路さんちにグラノーラ」の原点となるものだ。
母はRitaに教えてもらったグラノーラのレシピを日本に持ち帰り、試作を重ね、商品を作り、工房を借り、グラノーラ屋さんとしての事業をスタートさせた。
小さく、それでも食べた人に確実に喜んでもらえるものを。
顔の分かる生産者のものを作ること、自分が家族を持った時に子供に食べさせたいと思った、体によいものを作ること、自分自身が美味しいと思えるものを作ること。
そんな想いが詰まったグラノーラは、娘の私が太鼓判を押している。
視聴者からは「熊谷には埼玉銘菓にしたいくらい絶品グラノーラがありますよ。こんなに美味しいグラノーラ、食べたことがありません。中小路さんちのグラノーラ、最高です!」との言葉が寄せられた。娘は頷きながら、涙を流していた。
2曲め「You'll never walk alone」
頑張ることを応援する応援歌
この曲は、母の応援歌だった。
母は去年まで3年ほど、東京オリンピックのホッケー女子日本代表「さくらJAPAN」の通訳マネージャーを務めていた。
母は大学時代にホッケーのキャプテンだった縁で、さくらJAPANの監督にオーストラリア人が招聘された時に、通訳兼チームマネジャーとしてこの役に着任した。
コロナ禍でオリンピックが延期になり、監督は退任して国に帰り、母もそのタイミングでチームを離れたが、この曲が母にとってはいつも一緒に頑張ってきたチームメンバーに向けた応援ソングだったそうだ。
「今は暗闇の中にいても、嵐の後には明るい空が出て、鳥が鳴く」という歌詞。
私は、いつもこうして応援されてきた。どんなに難しそうな目標にも決してNoと言わず、勝つことではなく、頑張ることを応援する母だった。
受験の時、私が模試でD判定をとっても、「あおいちゃん、東大が全てじゃないから。例え合格しなくても、それは神様が選ぶことだから。けれど、今こうしてあおいが頑張っていることは、いつか必ず生きるから、だから頑張ること自体が素晴らしいこと」と言われた。
頑張れば必ず夢が叶う。私が今、そう信じて道を突き進めるのは、母の心があったからだと思う。
東京オリンピックで戦った娘ほど歳の離れた彼女たちチームメンバーにも、母の想いが届いているのではないだろうか。
Connected Dots
その後に母の話は「Connected Dots」ということに続く。
スティーブ・ジョブズの有名なスピートは皆さまご存知のことだろう。
カナダでの生活、その後のホストファミリーとの繋がり、子供を育てる中で安全なものを子どもたちに食べさせたいと思ったこと、地域の人との繋がり、色んなものが繋がって、今のグラノーラになっている。
その時には考えたわけではないけれど、目の前のことを一生懸命やっていたことが振り返った時に繋がっている。まさに母の多様なキャリアもグラノーラもこうしたConnected Dotsの具現化されたものだ。
私も、母よりは短い人生だけど、確実にそう思う。その片鱗を見ながら、今、自分の道を作ろうとしている。
グラノーラの軌跡
今も私はグラノーラをつまむ。
このグラノーラは栗とピーカンナッツのグラノーラで、先日、祖母の家からの帰り道、同じ敷地に住むおばちゃんに挨拶に行ったら、おばちゃんが母から買ったグラノーラを私にお土産にくれた。なんとも数奇な運命をたどったグラノーラを食べながら、人生の面白さを感じている。
今年、母の父である祖父がなくなり、私は最愛の祖父を失った事で、立ち直れないのではないかと思うくらい、深い深い悲しみに包まれた。その中で、家族というもの、私の血に流れているものについて、考えさせられることが多かった。
今日の母の話は、まさに今の私の原点を作った軌跡の1つであり、奇跡だと思わずにはいられなかった。
今を楽しんで、前を向いて、一生懸命頑張ること。母から受け継いだ心そのままに、私らしく今日も生きたい。
※写真はジノリのお皿ジュリエッタとコーヒーグラノーラの試作。
オイルをココナッツオイルに変えたり、コーヒーの挽き方を変えたり、はちみつの量を変えたり何度も試作品が送られてきた。
娘は一応料理家なので厳しくクリティカルフィードバックと改善案を繰り返した結果、今は驚くほど美味しいものになっている。