「坂口恭平日記」行ってきた。
『土になる』という本に出会ってから一気に魅了されてしまった坂口恭平さん。その方の個展が熊本市現代美術館でやっているとのことで今日行ってきた。
ただ、ひたすらに美しかった。日常の風景がこんなにも輝いてみえるなんて。こんなにも世界は色で溢れているだなんて。リアルでないのにリアルだった。豊かな時間が絵の中に生きてきた。観ている私の目も心も洗われるような美しさだった。
坂口恭平さんの文章が好きだ。絵が好きだ。思考が好きだ。生き方が好きだ。ついついトレーナーや他の本たちも買ってしまった。最高だ。
家に帰ってきてからすぐ本を読み漁った。あっという間に読了した。なんでこんなにもスーッと入ってくるんだろう。
まず読んだのは『独立国家のつくりかた』。
今感想を書き留めておきたい衝動に駆られたのでそそくさと。
まずは大共感の部分から。
この社会のシステムを人の無意識の集合体が作り上げた実体のない「匿名化したシステム」と見る視点はまさにそうだと思った。そしてこのシステムに私たちは組み込まれていてそれを理解したうえで社会、そして自らの生き方を再考すること。それが考えることなのだと私は思う。坂口さんは「自転車にでも乗って、自分なりの方法でそこ無意識世界を有意識でもってドライブする」 というこれまた素敵な表現を使う。ああ素敵。
そして次に、シビれた部分。
う〜ん、シビれた。「やりたいことを見つけなきゃいけない病」にまんまと侵されている自分に気づかされた。「私がやりたいことってなんだろう」と常に問いかける自分への違和感をビシッと言い当てられた気がした。やるべきことをやっていくんだ、そうだ。私の生きる意味はそういうことの中に見出していきたい。改めて思った。
とはいえ、じゃあ私がやるべきことはなんなのか、そんなものどう見つけたらいいんだよ、という私の心の叫びへの回答もちゃーんと坂口恭平さんは書いてくれていた。
これまで私も数々の漠然とした疑問を持って生きてきたのを思い出した。ここ3年の社会人生活で自分のことにいっぱいいっぱいになっていて忘れていたこと。
【私の疑問】
・気軽に歌ったり踊ったりして表現するのに特定の場所に行かないとできないのはなぜか
・踊りたい時に踊るという単純な日常がどうも実行しづらいのはなぜか
・なぜプロになるのに専門の教育や他の人の認定などが必要なのか、お金が必要なのか、そうでなければ名乗っては行けない雰囲気はなんなのか
・なぜ短足などスタイルが悪いと生きづらい世の中なのか
・なぜ人は働かないといけないのか
・本来働くことは喜びであるはず(と信じている)なのになぜそう感じられない世の中なのか。会社員であっても働くことに幸せを見出せる人とそうでない人の違いはなにか。
・なぜ人間都合でいつも動物たちは簡単に処分されてしまうのか
疑問を書いていて、これらは私がやりたいことに自然と繋がってくる。ふとそんな気がした。
早くこれを問いに昇華させていきたい。
会社員を辞めたことでいま、ゆったりいろんなことを考える時間やいろんなことに触れる機会が増えている。どんどんやりたいことがでてきている。
この匿名化した不気味な社会、それでも温かい人たちに溢れているこの社会に希望をもって、私なりの一歩をしっかりと踏み出していきたい。