アラサー女性、ふたり暮らし
「私たちさ、もし30歳を超えて、そのときお互い独身だったら一緒に住まない?」
友人から言われたこの言葉に、心が軽くなった自分がいた。
歳を重ねるたび、将来のことを考える回数が増える
私はいま25歳。
大学のゼミのクリスマスパーティ、ケンタッキーのフライドチキンを笑い合って食べていた友人たちも、いまや半分ぐらいが結婚している。
見た目はそこまで変わっていないのに、子どもを抱っこした友人の姿には、どこかにちゃんとお母さんの雰囲気が漂う。
大学生のときは、みんな同じ池で一緒に浮かんでいるようなイメージだったのに。
社会人になってからはウォータースライダーのような、川の流れのように、それぞれが人生の流れに乗って遠くへいってしまった。
寂しいわけじゃない。
でも心のどこかで、その本流には合流できないだろうと察している自分がいる。
おそらく私は、結婚しない(できない)だろう
私は、大学を卒業した年(22歳)あたりから「自分は結婚しないだろうなぁ」とまるで他人事のように思っています。
厳密にいうと「結婚できないだろうなぁ」に近いかも知れない。
理由はここに書きたくないので、適当に想像してください。
でもやっぱり何度も現実的に想像してみても、みんなが思い描くような一般的な結婚はしないだろう、というのが現時点での私の結論です。
そうなると、将来どうしようか、なんて考えがよぎってくる。
結婚はしたくない、でも一生 「おひとりさま」 も寂しい
結婚はしたくないけれど、一生「おひとりさま」として一人暮らしするのも寂しいなぁなんて考える。
個人事業だから、仕事も自宅で一人。
職場で直接会う人もいない(ましてや新型コロナ以降、やりとりはすべてオンライン)。
じゃあ友人は? と聞かれると、
高校や大学時代からの親しい友人は何人かいる。
ただ、休日にわざわざプランを立てて、友人と丸一日遊ぶのに本腰を入れるようなものを求めているわけではない。
平日の朝でも夜でも、一緒にご飯を食べたり、仕事終わりの気分転換の散歩にフラッと誘えるような、そんな付き合いがいい。
どんなに親しい友人であっても、さすがに平日の夜に「今から小諸そば行かない?」なんて何回も誘ったら断られるし、嫌がられると思う。
ましてや新婚ホヤホヤの友人を引っ張り出して、そんなこといえない。
家での仕事も、生活も買い物も外食も、1人よりやっぱり誰かといくほうが楽しいと私は感じるから。
目的のみを果たす行動じゃなくて、それに付随する会話だったり、自分以外の人を想ったりする瞬間があったほうが、何かしら感情への刺激があって好きなのかも知れない。
だから生涯「おひとりさま」で生きていくのも寂しくて嫌だと思っている。
結婚はしたくない、でもずっと一人で暮らしていくのはいやだ。
これは「矛盾」ではないと思う。
「もう私、結婚しなくていいかも」 と話す友人
冒頭の提案をしてくれた友人(ここでは仮にAちゃん)は、親から結婚相手をそろそろ見つけないと、と言われ、社会人になってからいろんな婚活をしていたらしい。
でも相手男性とのデートや食事会を重ねても気は重くなる一方で、全然楽しくない、結婚したら今後これが続くんだ……と思ったらお先真っ暗というぐらい心にきてしまったとのこと。
ただ一人暮らしは寂しいんだよねぇ、と私と同じことを語るAちゃん。
仕事から帰ってきたとき、静まりかえった真っ暗な部屋はいやだ。
日常で、他愛ない会話をしたい。
家にいるとき、誰かが淹れたコーヒーの匂いがしてほしい。
自分以外の存在が家にいたら、とにかく安心する。
2人だったら買い出しや食事など、生活の効率が良い。
足りない部分はおたがいで補えばいい。
一緒にいて楽しいと思う人と暮らしたい。
こんな話をするなかで、「私たちさ、もし30歳を超えて、そのときお互い独身だったら一緒に住まない?」という提案をしてきたのです。
そこからは、どんどん具体的な話へとなっていき
・どんな間取りの部屋を借りるか、家賃は? 駅近?
(実際に審査が通るかなどの話はとりあえず置いておいて)
・共同生活をするうえでの決まりごと
・これだけは いやだからね! ということ(例えば、洗いもの放置とか)
こんなことを真剣に話し合う、その時間までもが楽しくて楽しくて。
もちろん、実際に共同生活をすると価値観の違いや合わない点、妥協点などいろんなことが出てくるのは、百も承知だけど(実際にわたしも少しだけ経験がある)。
でもメリットがあればデメリットもあるものだから、そこはそのたびに絶対ちゃんと話し合おう、と決め? ました。
結婚以外の選択肢
「結婚」という枠組みにどうしても添えない人(いろんな事情で)って一定数いるはずだから、それ以外の選択肢もありだよね、と思えて気楽になったという話でした。
最近では、それこそ
NHKドラマ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』
が話題になっていました。
そうそう、こんな生活の仕方も楽しくて良いよね、と素直に思います。
無理に結婚しなくても、「結婚」という謎の通過儀式に当てはまらなくても、こういった自由な選択も取って良いよね? と考えたら、ずいぶんと気が楽に、救われた部分がありました。
さらにこんな本も。
書店で見かけて購入し、読みながら軽やかで楽しく明るい気持ちに。
『女ふたり、暮らしています。』
〜 2024年11月1日 追記 〜
最近ではこんな本がベストセラーになりドラマ化! さらには第二弾も発売されていますね! 私も早速、購入して読みました。
最後に
「結婚制度」に対して意見を述べたいのでは決してなくって。
そうではなくて、「結婚」にまつわる押し付けに苦しむ、私のような人が実は多くいるということを書きたかったのです。
結婚にまつわる強制
・「結婚」を強制してくる人
「早く結婚しなさい」「お見合いでもいいからしなさい」「もう若くないんだから早く結婚しなさい」etc...
・「結婚」を不躾に押し付けてくる人
「いい人、紹介してあげようか?」「〇〇さんのところの息子さん、たしかまだ独身だよ」「子どもが産めなくなるよ」etc...
・「結婚」している or していないでジャッジする人
「あの人は結婚もしてないからね」「○○ちゃんは結婚してるのに、あなたは」「良い歳して結婚してないなんてみっともない」etc...
上記のようなことを耳にすることは、この21世紀になった今でも まだまだある。
そういったことを押し付けてくる人とは、生きてきた時代や価値観が違う、それも理解している。
でも言われ続けるこちらは苦しい。息苦しい。
多くの人が考える「当たり前」に添えない人は、一定多数 存在している。
そんな人たちは認識されにくい。それは見えにくいから。
この社会で周りとうまくやっていこうと、内心では孤独に苦しさを抱えながら、でも表面では笑ってサラリさらりと、上記のような声を日々かわしているから。
それに少しずつでも良いから、気がついてもらえるのは、いつになるだろう。
結婚できない人だっている。結婚という選択肢を取らない、取れない人もいる。
そもそも、結婚したくないと思う人だっている。
そんな人は「結婚」以外の選択肢を取っても良いよね、と思うのです。
アラサー女性、ふたり暮らし、ぜったい楽しいだろうなぁ!