早起きは手段であり目的ではない
早起きそのものを目的にすると、つらいだけになりがち。
言い換えると「早起きしたいから早起きする」と考えるのは苦しいということ。
だって、眠いし。
それに、早起きできなければ、それだけで目的不達成の罪悪感がくる。
そして、起きるために起きるから、ただ純粋に眠気と正面から戦うしかなくなる。
これは苦しい。
だから、あくまで、早起きは手段であって欲しい。
何かをするために早起きをする。
たとえば、早起きして、その分の朝の時間にしたいことをする。
そのための早起きにすぎない。
そう考えれば、早起き自体を苦に感じることは少なくなるのではないか。
とくに、「何をするのか」に、とびきり楽しいことを用意すると、とてもうまくいく。
早起きは三文の得というが、何が得するのかわかっていなければ、得したことにならないのである。