#222-2【劇評・賛】劇団四季『キャッツ』……猫と人間への限りない愛(後編)
今日もお読みくださってありがとうございます!
昨日の続きです。
この日の静岡は大変暑くて、39度あったそうです。
何それ体温にしても高熱じゃん!
毎度お馴染み「とんでもないパフォーマンス」
まず特筆すべきは、劇団四季のとんでもないパフォーマンスです。毎回書いている気もするが、だってそうなんだもん。
こちとら、このとんでもないパフォーマンスにぶん殴られに静岡まで行っているんだから仕方ない。
歌もいくつもの音色があって、ハーモニーには裏声ハモらせ・地声ハモらせがあり、ソロにも声楽的・オペラ的な歌唱があればキャラクターイメージを守った地声歌唱もあって、何種類もいろんな音楽が楽しめる!
また、ダンスも、猫のような身体運用もあれば、群舞もあれば、バレエっぽいのも、モダンダンスっぽいのもある(解像度が劇的に低くてすみません)。
"ミストフェリーズ"(耳と胸元と足が白く、ほかは黒い雄猫)が無限かと思うほどくるくる回る姿や、"ヴィクトリア"(美しい白銀の雌猫)がソロでゆったりと優雅に踊る姿が特に素敵だった……!
研鑽に裏打ちされた圧倒的な技量に圧倒されるのは大変にすがすがしいものです。
猫への愛
T.S.エリオットの詩が原作だと知らずに観ていたのですが、この戯曲を書いた人は、猫への愛にあふれていると感じました。
個性豊かに描かれたそれぞれの猫のキャラクターがとても多彩で自由で生き生きとしていて魅力的。合間合間の猫の身体運用表現も素晴らしかったし、衣装も猫の愛らしさや多様性や、男女ともにセクシーさが出ていました。
この「セクシーさ」、社会生活の上で取り扱い注意なセンシティブなものだと思うのですが、芸術と切っても切り離せないと改めて思いました。
名曲「メモリー」
一番の見どころは、最終盤にグリザベラが歌い上げる「メモリー」です。
「メモリー」は、"シラバブ"(純粋で好奇心旺盛な雌猫)の無邪気でかわいい歌声と"グリザベラ"(皆に忌み嫌われる元娼婦猫)の圧巻の声量で歌われます。
シラバブはその無邪気さゆえにグリザベラへ他の猫のような警戒心を持たず、歌で共鳴していきます。それをきっかけに次第に猫の輪の中にグリザベラが入っていく表現が素晴らしかったです。
この一連の中で最後に"グリザベラ"の圧巻の歌唱シーンがあります。
まずは、過ぎた過去を惜しみ振り返る詞が歌われます。
『レ・ミゼラブル』の『夢破れて』(ファンティーヌが「今地獄に堕ちて夢は二度と自分には戻ってこない」と歌う歌)に似ています。
『レミゼ』のパリ初演が1980年、『キャッツ』のロンドン初演が1981年だそうです(原作出版は『レミゼ』が1862年、『キャッツ』が1939年)。
なお、ミュージカルというジャンルの成立は1943年とのこと。ジャンル成立から40年ほど、おそらくそのジャンルの隆盛と成熟の時期だったのではないでしょうか。
"グリザベラ"の圧巻の歌声
この『メモリー』、全般的にサビなんですが最後の大サビがこちら。
「私にさわって」ってすごく根源的な、むき出しの、切実な言葉。
この間、母が医療ケアを受けたり、自分が整体通い始めたりと、何かと「触れる」「触れられる」機会が増えました。
また、先日少し書いた『すぐやる!「後回し」をやめる"科学的な"方法』(作業療法士 菅原洋平/文響社)でも、「触覚は五感で唯一遮断できないため触覚で感じたことを脳は無条件に信じてしまう」と書かれていました。
その特別な「触れる」ことを他者に求める「私にさわって」という言葉を、切実で、か弱いものだとわたしは感じました。
他者に求める時点で自分は(自分が欲するようには)さわられていないからです。さわられていないことを受け入れ、率直に他者に欲しいと表明する。
これはとても切実で、むき出しで、切実です。
だからこそ、この部分のパフォーマンスが全編で一番力強かったのだと思います。
この動画の1:27からがグリザベラの圧巻歌唱ですぜひ。ぜひ。
これYoutubeで観れちゃうのすごいなあ……。
(劇団四季公式チャンネル>キャッツナンバー集)
この動画よりももっと、もう悲鳴みたいな歌声でした。
聞いたとたんに圧倒されて勝手に涙がボワァーーー!!!!です。
こういうのにぶん殴られにいくのです!
こういう、卓越した圧倒的な身体の力をを見せつけられに行くのっ!!
暴力的なまでのカタルシスにガツンガツン殴られるのは大変にすがすがしい。このワンフレーズに出会えただけで、もう100億点(ライムスター宇多丸さんがよく使う言葉)です。
メモリーの日本語詞はとても詩的で細かいニュアンスを受け取り間違えているといけないので、英語版も探してみました。
こちらも大変すばらしい。アメイジング。オーサム。
ほわー、調べてみて知ったのですが、国や公演によって登場する猫自体が異なったり、同じ名前でも柄や役割が異なるみたいです。
日本の劇団四季版キャッツではグリザベラとともに歌うのはシラバブですが、海外ではジェミマが一般的だとのこと。
上記リンクの英語版では、グリザベラをエレン・ペイジ、ジェミマをサラ・ブライトマンが演じているそうです。どおりでジェミマの高音聞いたことあるはずだ。美しい。ただただすげえ美しい。
英語版の歌詞は、全体に日本語よりも主体性が強く、自分が行動しなければならないという意思を感じました。「日が昇るのを待たなければ」「新しい人生を考えなければ」とか。
同じ個所を日本語版は、「歩いて行けば新しい明日があるわ」くらいの柔らかい表現にとどめていますが、くらたは英語らしい強さに心を打たれました。
さて最終盤の「私にさわって」の部分。
英語ってすべてちゃんと説明するんですね。
「私をひとりぼっちで輝いた思い出の中に置き去りにするのは簡単だけど、私に触れたらきっと幸せが何かってあなたにもわかるわ」
日本語はそれに比べたらわかりにくいけれど、"Look A new day has begun"を「ほら見て 明日が」と訳したのはすごいと思う。
英語に比べたら少し物足りない感は否めないものの、助詞「が」の力をここまで信じ切って歌い納めを任せたのはすごい。
ファンサたっぷりのカテコ
静岡千穐楽が近かったためか、カーテンコールも素晴らしかった!
グリザベラがすぐ横まで来てくれた!
なんか気後れして握手してもらえなかったの惜しかった!!
納得のロングラン!
いやああああああ、これは1983年からの超ロングランも納得です。
開演前にも寄った物販コーナーに帰りにも寄って、静岡県庁の展望台で富士山を眺めて帰りました。
楽しかったです!