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#33【忘れ得ぬ名文】6 ラプンツェル「輝く未来」と百人一首の共通項

【忘れ得ぬ名文】とは?

言葉を読んだり書いたりすることが好きなくらたが、忘れられない名文を備忘録的にコレクションしていく記事です。

前回のレリゴーに続いてまたディズニー主題歌モノですみません。

『塔の上のラプンツェル』の名曲「輝く未来」

『塔の上のラプンツェル』の名曲「輝く未来」。ランタンが夜空に上がっていくのをラプンツェルとユージーンが小舟から見上げる美しいシーンが思い出されます。
かがやーいーてーいるー みらい てらーすひかりー♪
文字どおり二人の輝く未来が予見される、ハーモニーの美しい歌ですね。

しかし、もとの英語詞「I See The Light」にあたってみたらびっくり、本当は「未来」を歌った歌ではないのですね。

いくつか英語詞の和訳をしたものを読んでみて、くせがなく忠実だと思ったものはこちら↓↓↓(何様)

もとは、「あなたと出会った瞬間に世界の見え方が変わった」という歌なのです。光は「未来照らす光」ではなく、今・突然気が付いた、今・わたしが見ている光です。言われてみれば、夜空に浮かぶランタンの光に、何かを照らすほどの光量はありません。
加えて「see the light」という英語には、「事の真理を知る、やっと分かる」という意味もあるのですね(上記リンク参照)。
それはまるで空が新しくなったかのような、今・あなたと出会って世界のすべてが違って見える、という目覚めた瞬間、今の感動が歌われているのです。
「今ここ」の感慨は、未来を見つめる視線よりもずっと限定的で繊細です。

「あなたと出会った瞬間に世界の見え方が変わった」

「〇〇と出会った瞬間に世界の見え方が変わった」
ひとでも作品でもモノでも、こういう経験をできたとき、生きていてよかったな、と思うことがあります。
早稲田メンタルクリニック益田先生は、「主観2.0」という言葉を掲げていらっしゃいます。ここでは、メンタル治療の大きな流れとして、認知のゆがみを補正して、新しい捉え方・考え方に少しずつアップデートしていくことを指しています。
メンタル治療に限らず、人間の成長・成熟はそうして新しい視点を手に入れていく試みなのだと思います。
現在一般的に用いられている西暦も、紀元前・紀元後(キリスト以前・以後)で分けられています。

原詞は「今」、日本語訳詞は「未来」を歌っている

現代の日本人はよきにつけ悪しきにつけ、未来のことを語るのが好きなのかもしれませんね。
確かに、今見え方が変われば未来もその延長線上にあるのだから「未来照らす光」と言い換えてもいいのかもしれません。ひとりのはずだった未来がふたりに変わることを強調する効果もあるでしょう。加えて、日本語詞においても「世界がまるで昨日とは違う」という英詞に近いフレーズも入っており、ちゃんと原詞の世界観は残っている。ただ、タイトルを「輝く未来」としたことで決定的に軸足が未来に変わっているとくらたは思います。

小倉百人一首にも似た感慨を詠んだ歌がある

では「今」より「未来」を語ることが古今日本人の特性なのか?というと、そうとも言い切れません。いやそうかもしれないが、日本にも、似た感慨を詠んだ歌があります。

あひ見ての 後(のち)の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

権中納言敦忠 小倉百人一首43番/出典『拾遺集』恋二

大意としては、「今つらいんだよ、あなたに会うまではこんな感情は知らなかった」みたいなことです。日本の古典なのでプラトニックな歌ではありませんが、これも「あひ見ての後の心」と「昔」をくらべてその違いについて語っているという意味では、「I See The Light」に近い。

ディズニー映画の名曲の日本語訳は毎回、作品の世界はギリギリ守りながらも大幅に「日本ナライズ」(馬瓜エブリンがPodcastで使用した造語)して、日本ウケするように変えています。この飛躍とそれを許すディズニーの懐の深さにこそ日本語訳詞のすごさがあると思います。
ちなみに、くらたは、より繊細に今をとらえている原詞が好きです。

余談:ラプンツェルと言えば、思い出すこと

ここから先の話は、ラプンツェル好きの良い子の皆さんは読まないほうがいいかも?
まあでも、言い尽くされた話だから書きます。

『塔の上のラプンツェル』が公開されたときはすでに大人だったので、劇場には観に行きませんでした。また、もともとの昔話も寡聞にして知りませんでした。
でも、アラサーのころに仲良かったD友(4歳年下のディズニーファン友達)のピュアガールがプリンセスと言えばラプンツェル推しだったので、DVDを借りて観ました。上記のとおり昔話も未読だったので塔の上のプリンセスに関する話は完全にこれが初見でした。しょこたんの声も相まって、塔の外に出る・出ないの場面なんか特に、不器用な愛らしいプリンセスだなと思っていたら、ラストに驚きました。

OH!ディズニーが処女喪失の話か!すごいな!
考えてみればそうかー、そもそも塔に監禁されたお姫様、切ると魔力を失う髪の毛だもんね……とても象徴的です。
原題も『Tangled』からまった、もつれた、といった意味ですよね。ラプンツェルの豊かな長い髪を表現するにしても、絡まりやもつれの言葉を持ってくる。
もちろん、拉致され監禁されていたこと、継母のことなど、たくさんのもつれ、最後にはマジカルなパワーからも解放されていく彼女の成長譚は純粋に現代的なプリンセス像として魅力的です。
ディズニー文化の深さというか……なんかすごい。『リメンバーミー』の原題も『COCO』(ひいばあちゃんの名前)ですし、英語圏の映画タイトル文化からしてかなわないなーと思わされます。
ちなみにこの話は件のラプンツェル推しピュアガールにはいまだにしていません。

大学生のころ、夏休みに5日間朝から晩まで授業を受ければ単位が取れるという、きついんだか楽なんだかよくわからない夏期講習で、古い映画をテーマにした授業がありました。哲学だったか美学だったか忘れましたが、人文学系の科目でした。
「フランケンシュタイン」シリーズや「フリークス」などを見た気がします。映画における異形とされるものの表現に関する講義だったのかなあ。
うろ覚えで恐縮ですが、「フランケンシュタイン」シリーズの映画のどこかで、塔が落ちて壊れる場面があって教授が、「映画に出てくる『塔』はぜんぶ男性器のメタファーなんで」とさらっと断言したのを今でも鮮明に覚えています。だからこの塔が崩れて終わる場面は父権の終了だとか父殺しだとか、そんなような話だったようなそうでもなかったような……。
その授業、同じ演劇サークルのすんごい頭の切れる先輩(男性)も受けていて、アングラ演劇や舞踏なども学んでいた人でしたが、珍しく授業後に話しかけてくれて、「あれは言いすぎじゃない?」と二人で困惑したのでした。
今思えばそのときの我々の反応も若かったのかもしれないけど、もしそういう符号が文化人の間では了解されているなら、『ラプンツェル』に『塔の上の』とつけた意図はなんなのだろうなぁ、『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』『崖の上のポニョ』的な感じでつけたとしたらイノセントすぎやしないだろうか、と思うのでした。

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