![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158052981/rectangle_large_type_2_1c9043f17808f9ef979357a2ceb814e7.jpeg?width=1200)
#242【虎に翼語り】第2週(3)怒ることをやめないと決めたよねさん
今日もお読みくださってありがとうございます!
今日のタイトル画像も、明治大学博物館で開催中の「虎に翼展」で展示されていた伊藤沙莉さん(たぶん直筆)の寅子イラストです。
第2週 2nd stage "vs Yone Yamada"
虎に翼第8回嫁入り道具取り戻し裁判
初めて寅子が傍聴した裁判は、女性が元夫に自分が嫁入り道具として持参した祖母の形見の着物と鏡台等の家財道具の返還請求裁判。
戦前の民法では妻の財産は夫が管理することになっており、彼女は夫の暴力が原因で離婚請求裁判を起こし勝訴したにもかかわらず、夫の嫌がらせの控訴で婚姻関係を解消できていない状態にあるため、大変不利な裁判です。
どんな対応をされても相手を「語るに足る人物」として想定できる寅子
閉廷後、「尾行けてきたのか」とよねさんに怒られた寅子が、
「心配で。あなたも法改正の延期でがっかりされているかと思って」
(女性が弁護士資格を取れるようになる法改正が延期された)
と答えます。
よねさんを怖がらず、そういうふうに解釈できる寅ちゃんって、大人というか、なんかすごい子だなあ……。
よねからどんな対応をされても、「語るに足る相手」と想定して想像力を傾けられるのは、寅子がよねの尊敬すべきところをちゃんと見抜いているからこそ。
これは彼女の生育環境で、優秀な母はると、父権的でない父親、ちょっと的外れだけどおおらかな兄、周囲が信頼に足る人たちであったことの影響が大きいのではないでしょうか。
怒ることをやめないと決めたよねさん
ここでよねさんから、寅子が先日言った「法とは規則」という意見に対する疑問が提起されます。
よね「法がお前の言う『規則』なのだとしたら、着物は返ってこない。着物は夫のものだから。女は常に虐げられ馬鹿にされている。その怒りを忘れないために、わたしはここにきている。」
よねは、寅子より先に女性がいかに権利を奪われているかを知っていて、先に「怒ることをやめない」と決めている。
その姿が寅子にも影響を与える。
それが描かれたのがこのシーンでした。
これについては次回また詳しく考えます。
二重の「女を怒らせない」仕組み
さて、家に帰って優三にこの話をしても、「着物を取り返すのは難しそうだね」とのこと。
「今の日本では、結婚するというのはそういうことなんだよ。」と。
これを聞いた寅子は猛然とリビングに向かい、くつろぐ両親と兄夫婦に、
「結婚て罠だよ!結婚すると女は全部権利を奪われて、離婚もさせてもらえないって誰かに教えてもらった?!」
と叫びます(あわてて追いかける優三さんあわれ)。
寅子の勢いとは対照的に、ぽかんとする母はる・兄嫁花江。
女性は結婚によって法的にどうなるか(無能力者とされ財産管理権も奪われる)を知らされず、「結婚=幸せ」と教えられていた時代。
権利を奪われたことも知らされず、その結果怒ることも奪われていることが、よく表現されていたと思います。
(ただ、ここで改めて書いておきたいのは、知らずに結婚した女性が直ちに不幸だ、と言っているわけではないということです。
はると花江の現在が不幸なわけでは決してない。寅子 vs はる・花江という対立構造であるわけではない。)
この場面を見てもやはり、第5回の母はる vs 桂場の場面で、桂場に「わたしに感情的になられても……」と言わせたのは絶妙でした。
そもそも、女性が権利を奪われていることを女性に知らせないことで、女性が怒らないように仕組まれていて
さらにもし怒りを感じたとしても、「女は感情的だ」「感情的になるな」などの言説により、女性が怒りを表明することをタブー化する。
という二重の「女を怒らせない」仕組みが働いていたことが、ここまでで可視化されています。
受け入れるしかないから考えるのをやめる
ここで思い出されるのは、第2回の稲(田中真弓)の台詞です。
稲「受け入れちゃいなさい、何も考えずに」
また、母はるも、同じ意味のことを言っていました。
はる「頭のいい女が、確実に幸せになるためには、
頭の悪い女の振りをするしかないの!」
女性が権利を奪われていることを知り、考えれば、怒りがわく。
怒れば直ちに「女は感情的だ」「感情的になるな」警察がやってくる。
そうでなくても怒ることにはパワーが必要です。休職したくらたが実感をもって言いますが、疲れ切った人間は怒ることもできません。
さらに、怒りの相手の数・持つ力・権力が強大であると、自分ひとりでは到底太刀打ちできない。
だから、あきらめる。
受け入れるしかないなら、考えるのをやめる(=頭の悪い女の振りをする)しかない。
ストレスの解消法をアレコレと調べていたときに、「問題を解決しようとしない」と明言している本がありました。
それを実践してきたのがこの時代の女性たちだったのでしょう。
この点を考えても、よねさんの怒りを忘れまいとする姿勢が、どれだけ異質で、どれだけ難しいことかがわかります。
ひとりでそれに立ち向かっているから、よねさんはあんなにも厳しく、孤独なのでしょう。
小鼻演技炸裂!沙莉寅子のわくわく笑顔
この裁判に関する見解を寅子が穂高先生に求めると、
法廷に正解と言うものはないからね
とのらりくらり。
ここで、頼りになるんだかならないんだか、今一つ先行き不安な穂高先生の「のらりくらり」な一面が初めて明るみに出ます。
ただ、寅子の質問を受けた穂高先生の一声で、この裁判について有志で考える機会が与えられます。
このときの沙莉寅子のわくわくしたようすの笑顔と言ったら!
見てくれこの小鼻演技を!
![](https://assets.st-note.com/img/1728985360-n7fWsD8lhmRZHEqA9rXeFS0t.jpg?width=1200)
寅子にとっては、この問題について考える機会を得られたことが、「空腹で倒れそうな時に、目の前にクッキーが現れて、それをむさぼるようなもの」(『ギフテッドの光と影』(阿部朋美・伊藤和行著/朝日新聞出版))なのだと伝わってくる一コマです。
さて、着物を取り返す方法は見つかるのか?!