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#289【日記】かくいう自分も差別する側だったと気づかされた話

今日もお読みくださってありがとうございます!
性懲りもせず差別の話です。

「性犯罪なんてしょうがない」と言う人間がいる限り何も改善されない。
「男性vs女性」になっている限り何も改善されない。
「まともな考えを持った人間vs性犯罪者」であるべき。
まともな考えを持った人間が声をあげていかないといけない。

休職中であるからこそ、自分のトラウマや社会問題にリソースを割ける面も多分にあると思います。
あとで自分の首を絞める気がするが、復職前にいっぱい考えておきたい。

たとえばグッドマンは、スイスの精神分析医アリス・ミラーの研究を参照しつつ、次のように述べています。<意識に上っていない過去の傷と向き合い、検証する機会を持たないかぎり、他者の苦しみを認めることはできない
自分を変えていくには、知性(認知)と感情(情緒)の両面が必要です。差別やマイノリティの現実を単に理性的に理解して、自分の認識の正しさを主張するのではなく、感情的な抵抗を通して、情緒や欲望を変革して、そのことによってマイノリティのアライ(ally、仲間の意。マイノリティを理解し支援する立場のこと)になっていくこと

マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち /杉田 俊介 | 集英社 ― SHUEISHA ―

自分の過去の傷と向き合うことが、他者の苦しみを認めることにつながるのか……。
自分がいまもんどりうって取り組んでいることが適切なことなのかわからなくなりかけていましたが、あながち筋違いでもないのかもしれない……。


マクラ:保育園での失敗談

5〜6歳のころ、仲良しの同級生の弟の双子(2〜3歳)がまだうまく喋れなくて何を言っているのかわからなかったので「どうして◯◯くんたちはうまくお話しできないの?」と聞いてしまいました。
保育園の先生が割って入ってくれました。
そのとき事後的に「自分がとても失礼なことをしてしまったのだ」と気がつきましたが、幼稚だったので、本人に謝ることはできなかったと記憶しています。
申し訳なく思うものの、弟くんたちが何を言っているのか直ちに理解できるようになるわけでもなく、どうしたらいいかわからない居心地の悪さがありました。

居心地の悪さを感じたときは、成長していることを意味する
(グッドマンの言葉)

マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち /杉田 俊介 | 集英社 ― SHUEISHA ―

「当時それは差別ではなかった」を疑え

さて、いまSNSでは、阪神淡路大震災から30年を機に、大災害が起きるたびに被災地で起こる性暴力被害のこと、それを黙殺してきた報道機関への批判が話題になっています。息子の喘息の薬を同じ避難所のおじさんに分けてもらえないか頼んだら、引き換えに性行為を要求されたというエピソードもありました。ヘルジャパン。

そうした記事が大量に流れていくなかで、あるnote記事が目に止まりました。

<上記リンク記事概要>
昔の作品について『当時それは差別ではなかった』とする言説があるが、『当時から差別だったけど、してもいい差別だった』だけなのではないか。
だから今この社会で「してもいい差別」とされているものを、未来の人間に向かって「当時から差別だったし、暴力だったぞ」と声を上げておきたい。過去の作品についても「当時も差別であった」可能性をきちん疑った上で表現を受け取っていきたい。

表現作品の受け取り手として、誠実な信念の表明。
背筋の伸びる思いがします。ぜひ原文をお読みください。

また、「してもいい差別」という表現にドキッとしました。
切れ味の鋭い言葉ですね。

「性犯罪するなら風俗へ行け」は正義ではない

柊さんは、今この社会で「してもいい差別」とされているものとして「性犯罪するなら風俗へ行け」という言葉に代表される、風俗嬢への差別を挙げていらっしゃいます。

「性被害サバイバーというマイノリティ」ではあるけれど「風俗嬢経験はないマジョリティ」であるわたしは、いつかどこかで、「性犯罪するなら風俗へ行け」って、差別の自覚を全くなく、言ったことがある……。

「性犯罪とされるような行為を、風俗嬢ならされてもよい」というかたちで考えたことはない。
でも、実質同じことです。

性欲が管理できないなら風俗に行って解消しろ、くらいにしか考えていなかった。
でも、性犯罪をするような人間が風俗に行ってルールを守る人間とは限らない(性犯罪は性欲だけでなく加害欲もあるから、ルールを守らない可能性も高い)。
ていうか現在風俗で定められているルールがどんなものかも知らない。
風俗のルールが適正だったとて、そしてそれを順守したとて、そこで私的関係のない性行為が行われることには、性犯罪と何ら変わりがない。

ことほどさように、わたしの「風俗嬢と彼女たちの周囲の環境に存在する現実」に対する理解の解像度がとんでもなく低かったしたぶん今も低い。

問題そのものに無知で無自覚で無関心でいられるということ、それがマジョリティの最大の特権なのです。(中略)
特権集団は、自分たちの特権に対する認識が弱く、特権という事実自体をつねに否定しようとする傾向が強いのです。偏見や差別の被害を訴える人に対しては、それは過剰反応だとか、あの人はトラブルメーカーだというレッテルを貼ります。特権集団の人々には、社会の不公正に気づいたとしても、黙っていたり、行動を起こさずにやりすごす、という選択肢が許されています。

マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち /杉田 俊介 | 集英社 ― SHUEISHA ―

性産業従事者の女性に対する無理解

先日来、性産業従事者の女性に対する無理解について書いてきましたが、おりしも、昨日買ったと書いた『地球と書いて<ほし>って読むな』の本に、筆者の苦学生時代、「水商売的なアルバイト」をしていたエピソードがありました。

(Aちゃんという大学の同級生の女子に筆者が陰口として吹聴された)さまざまな罵詈雑言の中で、例えば「水商売みたいなバイトしやがって本当に下品だ」というようなことを言っていたらしい。確かに母子家庭の苦学生だったこともあり、奨学金を満額借りた上でメイド喫茶やイベントコンパニオンなど、水商売的なアルバイトを私はしていた。それは普通の飲食店などに比べ割が良く、そのお金で家賃や生活費、制作費などを賄っていたのだ。一方Aちゃんは幼稚園のころから私立に通っていたほどのお金持ちで、実家の太さを自慢するような振る舞いも度々見受けられた。そんなAちゃんだけには、下品だなんて言われたくなかった。
お金がないのは私のせいじゃないし、お金があるのもAちゃんのおかげじゃないのに。

新世代歌人によるパンチライン炸裂エッセイ『地球と書いて〈ほし〉って読むな』上坂あゆ美 | 単行本 - 文藝春秋

わたしは「水商売みたいなバイトしやがって本当に下品だ」というふうに考えたことは全くありません。
ただ、「性犯罪するなら風俗へ行け」と言っていたときの自分の、風俗への無理解度合いは、このAちゃんとそれほど大差ないと自戒を込めて思います。

「マジョリティの内側から社会的正義を欲望する」

そこでわたしが考えたことは、せめて、「無知で無自覚で無関心」という状態からは脱したい、ということです。

グッドマンは、<特権や抑圧について学びなおす喜び(joy)>が大事だと言っています。つまり、マジョリティであるがゆえに感じていた葛藤や罪悪感、麻痺、無力感から自分を解き放ち、自家中毒を解毒し、今まで自分の内部で浪費されていたエネルギーを外なる社会へ向け直すこと。マジョリティの内側から社会的正義(social justice)を欲望するということ。

マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち /杉田 俊介 | 集英社 ― SHUEISHA ―

「マジョリティの内側から社会的正義を欲望する」……それはわたしの「女性」や「性被害サバイバー」というマイノリティ的な側面からすれば、マジョリティ側の方々に望む姿勢であり行動です。

現在「してもいい差別」とされているものに、「これは差別だ」と声を上げ続ける

であるからには、自分がマジョリティ側に立つ側面では、その姿勢や行動を示したい。
柊木さんと同様に、現在「してもいい差別」とされているものに、「これは差別だ」と声を上げ続けたい。

内田樹師と同じく「売春はよくないもの」かつ「セックスワーカーの安全は絶対に保護されるべき」と考えるし、同じように考える人を増やしたい。

「セックスワークイズワーク」とは、「彼女たちは好きでやっているんだ」とは、わたしはぜったいに言えないし、同じように考える人を増やしたい。

日本の異常な価値観の再生産を止めるために、女性蔑視はじめ差別的な表現、過度に性的な表現などについて学び続けたいし、気づいてリジェクトできるようになりたいし、同じように考える人を増やしたい。(それがどれだけ個人に良い感情をもたらしてきたとしても、ダメなものはダメ)

と、思う。

そのための文章や作品を見聞きし、紹介し、読んでくれと懇請し、文章を書き続けたいと思うのでした。

やっぱり、どれだけ男性フォロワーが減ろうとも、男性から「あなたに男性は必要なさそうに見える」などと言われても、

星野源の『地獄でなぜ悪い』の歌詞や『蘇える変態』の初版は、は女性蔑視の差別的表現を含んでいる(それを個人の受け取り方の問題のように矮小化し、加害者側が「自分はそうは思わない」「そのつもりはない」と言うのは、黒塗りにした芸人が「差別のつもりはなかった」というのとなんら変わりがない)。

NHK大河『べらぼう』第一話のAV女優裸体転がしも、第二話のルッキズム表現も差別。

性風俗はその産業構造自体が性搾取であり人身売買であり差別である。

ということは、何度でも主張していきたいと思うのでした。


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