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#293【劇評・絶賛】『インサイドヘッド2』(3/3)

今日もお読みくださってありがとうございます!

『インサイドヘッド2』のラスト、公開時に観てからすっかり忘れてたのですが、今回改めて観てみて、めちゃくちゃ良かったです。
やっぱりわたしたちはライリーが大好き。
めっっっちゃくちゃよかった。号泣。
まだの方、ぜひ観てください。


思春期大暴走!

ライリー、閻魔帳を見てしまう

結局、シンパイに支配されたライリーは、コーチの閻魔帳を覗き見てしまいます。
そこには「アンダーセン:実力不足」という内容が。
(アンダーセンはライリーのこと)

どうすればホッケーチームに入れる?
いよいよ眠れなくなったライリーは、考えた挙句(脳内の嵐として描かれている。ブレインストーミング)、強い意志を示すために髪を赤く染めます。

あああ、こういう思春期的なふるまいって、誰しも身に覚えの一つやふたつあるよね……。

「臭いものには蓋!」で出来た「臭いもの」の山

一方、ヨロコビたち旧来の感情たちは、記憶のはずれにたどり着きます。
そこはこれまで、ヨロコビたちが「こんな思い出ライリーに必要ない」「最高の思い出以外は全部飛んでけ!」と嫌な思い出を捨てていた場所。
おばあちゃんの大事なお皿を割ったときのことなど、「必要ない」と判断された思い出が山のように詰みあがっています。

「こんなにたくさん送った覚えはないのに……」
とかくわれわれは自分に都合の悪いことを忘れがちだということを突き付けてくる場面です。

ヨロコビたちは、シンパイによってこの場所に捨てられた、ライリーの旧来の「自分らしさの花」=「わたしはいい人という自己認識」を探し出し、司令部に帰ろうと試みます。

新しい「自分らしさの花」

そのころ司令部では、シンパイによって突貫工事で作られた新しい「自分らしさの花」が出現します。どんな素晴らしい自己認識が、と思いきや……

ライリーの新しい自分らしさの花「わたしは、全然ダメ」
シンパイ「???なんで???」

思春期の頃ってこういう自己否定あったかもしれない。
いや、今も。

ヨロコビが直面する自分の限界

シンパイによってパイプを破壊されてしまい、記憶のはずれから司令部に帰る術を失って茫然とするヨロコビたち。

ムカムカ「ヨロコビ、それで……これからどうする?」
ヨロコビ「わからない……どうしたらシンパイを止められるのか……無理なのかもしれない。成長するって、こういうことなのかも……ヨロコビが、少なくなる……」

ヨロコビが初めて口にする「わからない」「無理なのかもしれない」。

考えて見れば、前作「1」では、ヨロコビが「自分だけがライリーに必要な感情である」という思い込みから脱し「すべての感情はライリーのためになる」ことを学ぶ話でした。ライリーの成長とともに、ヨロコビ自身もマッチョな自分から降り、成長していく。

今作「2」ではさらに進んで、「いよいよ、自分がライリーにこれまでほど必要とされなくなってゆく」ことをヨロコビが受け入れていく過程になっているのだと感じました。
なるほど、子離れの話と解されているのもうなずけます。

「ライリーらしさ」とは何か?

茫然としていたヨロコビですが、やがて意を決した表情でこういいます。

ヨロコビ「でもこれだけは言える。この花を持って帰らないとライリーがライリーらしくなくなる。急ごう」

「この花」とは、旧来の「自分らしさの花」。すなわち「わたしはいい人という旧来の自己認識」です。
のちにこのときのヨロコビが考えていた「ライリーらしさ」も正しくなかったとわかるのですが、ここではヨロコビを奮い立たせる動機はこの花でした。

自分を「いい子」「いい人」と認識していたところから、”「いい子」「いい人」じゃやってられないのが現実だぜ!”みたいな認識に変わってそれがリアリストと見なされる傾向って、思春期あるあるですよね。
大人の世界でもそういうことが散見されるけど、思春期っぽい。

このときのライリーのもどかしさ・あせり・混乱は、現実パートでのホッケーの練習試合で、思うようにシュートを決められずいらだち周りが見えなくなり、ペナルティを受けるライリーの姿として表現されます。

さすがピクサー、ヨロコビたち=ライリーはこの構造を乗り越えていきます。
思春期の内面を描くとともに、大人の世界に存在する幼稚な思春期的思考への批判にもなっているとわたしは勝手に思いました。

悪いところも含めて、多面的な自分をまるごと受け入れる

「臭いものに蓋」では成熟できない

ヨロコビたちは、「必要ない」と判断された思い出の山を爆破し、雪崩を作ってそれに乗って司令部へ帰ることにします。

その結果、「必要ない」と判断された嫌な記憶がすべて、ライリーの「自分らしさ」を形成する源である「信念の泉」に流れ込んでしまいます。
(これまでヨロコビたちは、「必要ない」・嫌な記憶を、ライリーの「自分らしさ」に関与させないために、記憶のはずれに捨てていたにもかかわらず、です)

信念の泉から司令部に戻ったヨロコビたち。
暴走し自分を止められなくなって文字通り嵐と化していたシンパイを、ヨロコビがひとりその嵐の中に飛び込んで語り掛け、止めます。

シンパイもヨロコビも、「自分がライリーのライリーらしさを決める」と思い込んでいた点では同じでした。また、「ライリーのことを思って」いたことも。

シンパイは自分が間違っていたことを認め、謝罪して言います。
「ライリーらしさはわたしたち感情が決めるものじゃない。」

多面的な自分を、感情全体が受け止める

そうして、嫌な記憶とも向き合い、新しく構築されたライリーの「自分らしさの花」は、「わたしはいい人」だけでも「わたしはぜんぜんダメ」だけでもなく、それらすべてを包含した、その時々によってさまざまな面を見せる、これまでよりずっとずっと美しい花になりました。

感情全員が、新しいライリーの「自分らしさの花」を抱きしめる場面、とってもよかったです。

現実世界では、ライリーは親友二人に謝罪し、本当の気持ちを吐露します。
友達との和解、そこへ差す神々しい陽光。

ただでさえいいシーンなのに、このあとのライリーの頭の中のシーン、カナシミがヨロコビに向かって言う台詞がまたダメ押しに!!
うおおおお(号泣)

ライリーの頭の中では引き続き「ヨロコビ」がリーダーなのもよかった。

心配性なすべての人に見てほしい映画

シンパイも含めて自分を抱きしめたくなる

ライリーとヨロコビの成長譚であることはもちろんですが、やはり今作のもう一人の主人公はシンパイ。

クライマックス、シンパイの暴走で過呼吸になるライリーや、シンパイが暴走しすぎてフリーズし、シンパイの実態が失われる表現も、とても納得感がありました。

また、後日譚で示される、ヨロコビがシンパイとどう付き合っているか、の描写も、とても勉強になります。「わかったわかった、でもそれって今の話じゃないでしょ?特別な椅子に座って落ち着こう!」などのように。

こうしてキャラクターとして描かれると、シンパイが愛おしくなります。
また、自分の感情を客観視する一助にもなる作品だと思いました。

まだの方はぜひ!

ここまでお読みくださってありがとうございました!!

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