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#275【日記】「言葉つむぐデモ」に行ってホッとした話

今日もお読みくださってありがとうございます!
今年もお世話になりました。
来年もよかったら読んでいただけたら嬉しいです!

さて、2024年最後の記事は、昨日、東京駅の丸の内駅前広場で行われた「言葉つむぐデモ」に行ってきたレポです。

アイコン画像を、当日かぶっていた帽子のイラストに変えました!当日お話ししてくださった方、ぜひコメントやXでお声かけください。


なぜ行こうと思ったか

きっかけは能條桃子さんのツイート

きっかけは、呼びかけ人のひとり、一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN代表理事の能條桃子さんの下記のツイートを読んだことです。

初デモ!……口先だけでなく、行動を

メディア評論家・荻上チキさんは、「実際に見てから物を言え」(映画の話だけど)と学生に教えているそうです(シンゴジラのときにセッションで言ってた)。
わたしも、口先だけというのはイヤなので、できるだけ行動したいと考えています。(ときにそのプリンシプルが自分のメンタルより強いから適応障害休職なんかしている)。

レインボープライドに今年初めて行ったのもそういう気持ちからです。
かつては年越し派遣村とか、SEALDSの集会とかにも参加してきました。

だから今回も、ここで「連帯します」と表明したり、ついったでつぶやいたりするだけでなく、何か行動したいと思っていた。
↓ 連帯表明記事はこちら

ただ、デモと銘打ったものにはあまり行ったことがなくて、今回「ひとりでデモに行く」のは初めてでした。

なぜかというと……

先行世代の抗議行動はいい印象がなかった

先行世代の抗議運動には、なんとなく、いい印象がなかったのです。

子どものころ、親に連れられて行った労働社会運動団体は、主宰だった言論インテリ(故人)のひとの志は良かったのだろうとは思うけれど、なんかそこに集って居る人は玉石混交と言う感じでした。

くらたの最初のWeb制作会社(ブラック)は労働組合がなくて、同期に自タヒ者が出るようなありさまだったので、転職して今の会社で労組があると知ってすぐに加入して、いまも加入しています。

だけど、かつて職場の労組の集会に当番で参加したとき、なんだかなあと思ってしまったのでした。
通常、管理職等のいわゆる「当局」と労組の代表者ではよく見る対立構造が、労組内部で、労組の代表団と平場の組合員でも起きていたからです。
え、仲間内でもそれやるの?みたいな。
(まあ労組の執行部もいろいろとやらかしがあったんだが……。)

しかも、その集会では、やいのやいの紛糾した挙句にはかばかしい合意形成がなされることもなく予定された時間が過ぎていきました。
最後には「団結だ、団結だ、団結だー!」みたいな謎の三唱(しかも拳を突き上げる動作付き)を全員でやるとか言われて、「え、なにそれ、やりたくない」としか思えなかった。

加えて、くらたが動員関係でいちばん好きじゃないのが、解散時にみんなが動員費を受け取るために執行部のスタッフに群がる光景。
いや、労組の活動は業務時間外に行われるから、動員費が組合からちゃんと支払われるのは当たり前で、それはいいんだけど……。

でもなんか、ふてくされた態度でやって来て、執行部を苛烈な言葉で責め立てて、群がってお金を受け取ってさっさと帰っていくって、なんだかなあ。

かように先行世代の抗議行動の現状には懐疑的であったくらたの目には、今回の「言葉つむぐデモ」はとても新しく映ったのです。

性暴力被害者に寄り添い、ザワザワした気持ちをケアしあう

今回特に惹かれたのは、「ニュースやSNSを見て、ザワザワした気持ちが消えない人たちで集まってケアしあう」という文言です。
(↓再掲)

まさにザワザワしていたよ、わたしは。

こんなにタイムリーに、多くの人が言語化できないでいる感情にぴったりくる言葉を発信し、こういう場をちゃんと起こして形にする人がいるんだ、と希望を感じました。

また、メインイメージのデザインもとてもいいですよね。
あたたかい黄みのピンクに、信頼や誠実さを表すダークグリーン。
融和的なイメージの配色で、ピクトグラム的な図像もわかりやすい。
呼びかけ人の一人、宮越さんはデザイナーさんだそうです。

一人ひとりが出せるなにかを持ち寄って力を合わせるの、いいなあ。
だからわたしも、そこで受け取ったなにかをここで書く。

行動して受け取ったもの

わたしが会場に着いたのは14時過ぎ。
そこには寒空の中、若い人も年配の人もたくさんの人が集まっていて、そこここで、みんながわいわい話していました。
歩くわけでもなく、スピーチやコールがあるわけでもなく。
みながそれぞれの問題意識をもって集って、そこここで「おかしいよね」って話しあって、つむいだ言葉をポストイットに託し、またそれを見て、話しあう。

女性だけでなく男性も、また外国人の方も参加していました。

驚いたのは、これだけの短い期間に、デモの場の企画立案実施だけでもすごいと思うのに、「STATEMENT(声明)」「憲章」「呼びかけ」と、これだけの内容を言語化・文章化して表明していること。
このスピード感でここまでの準備がなされたのには、運営の方々のこれまでの活動の積み上げがあるのだろうと感じ、敬意を抱きました。

言葉をつむぐデモ STATEMENT

  1. 大阪高裁の滋賀医大生2人への逆転無罪判決に抗議します。

  2. 裁判官をはじめ、司法に携わるすべての人に、性暴力と被害者心理に関する知識の体得を求めます。

  3. すべての性暴力被害者に寄り添い、連帯します。

言葉をつむぐデモ 憲章

細かく配慮されていて、すごく真摯な「憲章」。

  1. あらゆる属性の尊重

  2. 相互理解

  3. フェアな発言と場づくりの意識

  4. 個人情報の保護

  5. 異議

  6. トラブルについて

言葉をつむぐデモ 呼びかけ

ポストイットで言葉をつむぐ

わたしが着いたころには、ポストイットのボードが満杯になっていました。

ポストイットで言葉を募る試み(ポストイットアクション)はこれまでも見たことがありましたが、今回ほど、真剣な、真面目な、熱い、真摯な、ポストイットボードは見たことがありません。

ボードは3枚あり、それぞれにテーマが決められていました。

テーマ(1)この場に参加した理由は?

ポストイットって紙幅の限界がすぐに来るので必然的に簡潔になるし思いが凝縮されていて、グイグイ引き込まれて読んでしまう……。

お隣で同じボードを見ていた方が「これ、ほんとうにそうよね」と涙ぐみながら話しかけてくださいました。
その指さす先には「怒っている人の姿を見たかったから」と書かれたポストイット。

わたしの怒りはおかしくない、怒っているのはわたしだけじゃないはず。
でも、自分の生活圏ではそれを感じることができない。
だから、怒っている人の姿を見たい。

言われてみれば、たしかにそう。
だからわたしもここにきたのだ。
わたしひとりではその言葉にはそこまで感じ入ることができなかったかもしれない。お隣の方に、感謝です。

↓ なおくらたのポストイットはこちら。

テーマ(2)性暴力をめぐるあれこれ、2024年に置いていきたいことは?

テーマ(3)2025年、その先へあなたが望むことは?

素晴らしいテーマ設定と、参加者の「場に対する敬意」

ポストイットアクションは、このデモに行く前にも、展覧会の感想ブースなどで観たことがありました。
でも、生半可にやると、なんだか輪郭がゆるんでしまう印象がありました。
一つでも、いいかげんな、ふざけた、クソリプ的なポストが入るだけで、それ以降、一気に場の信頼性が下がる、白けてしまう。

↓ まさにこれ

なぜなら、「言論の自由」とは制度でもないし、規則でもなく、「言論が行き交う場に敬意を示すことによって、その場の威信を基礎づける」という遂行的な営みそのもののことだからである。「言論の自由」は「そこにある」ものではない。私たちが身銭を切って創り出すものである。
(中略)
「言論の自由」は「場に対する敬意」を滋養にしてしか生きることができない。

言論の自由について - 内田樹の研究室

でもその一つひとつが心から、怒り、悲しみ、連帯を示しているように感じました。
本来、ポストイットアクションってこういう力を持っているのね……。

同じ思いの人が集う場所は「パワースポット」

当日は来られなかったけど来たかった、という方のツイートで、ものすごく共感するものがあったので、引用。

まさにパワースポットのような場所でした。
上に書いた、「怒っている人の姿を見たかった」と同じで、同じ思い、同じ怒りを持つ人たちがいるというだけで、エンパワメントされる。

200名以上が参加。運営の方々に感謝!

公式によると、当日は200名以上が参加したそうです。

帰りがけに呼びかけ人の能條さんとお話することができ、「ありがとうございました、元気が出ました」とお伝えすることができました。

バックラッシュ、不安になるような嫌なニュースが続いた年末に、こうしてホッとできる場を用意してくださった方々に、深い敬意と感謝を表明します。


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