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「観心寺」の秘仏公開。
ご本尊で国宝の「如意輪観音菩薩」が毎年4月17日と18日の2日間だけ、ご開帳される。
昨年までは東京在住であったので、毎年その時期に出張やら帰省のスケジュールをひそかに目論んでいたが仕事の都合もなかなか合わず、それは叶わなかった。
ついに今年は大阪に住み着いたし、その件(くだん)の4月17日18日は今年はたまたま土曜日、日曜日と週末になったので、絶好のタイミングとなった。
そして今朝、何年か越しの想いを叶えに行った。
当初は電車バスと乗り継いで行こうと考えたがあまりにアクセスが悪い。
なので、久しぶりに車で行くことに。
行ってみて驚いたのがここは相当、山奥にあることである。
さすがに飛鳥時代、修験道の開祖が開創したお寺だけある。
その約百年後、平安時代に空海が高野山を開くための拠点としてここ「観心寺」を整備。
高野山⇄「観心寺」⇄飛鳥川原寺⇄奈良東大寺⇄京都東寺、が各々10里(40㎞)、4日間の行程だったようだ。
空海が整備したと言うことはここ真言密教の修行寺院になったということである。
そしてここがよくわからないのだが、空海はこの境内に北斗七星の力を求めた。
なので、ここは日本唯一の星塚霊場でもあり、北斗七星の塚がある。
それを巡るのが「星塚めぐり」だ。

如意輪観音を中心に「不動明王」「愛染明王」「八観音」「四天王」が祀られ周囲に「北斗七星」が配置され南に「訶梨帝母天」をまつり立体の七星如意輪曼荼羅を構成している。(中略)一巡すると厄除けになる
(観心寺パンフレットより)

北斗七星といいながら八番目がありそれは「鬼子母神」である。

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そして空海は「国家の安泰」と「人々の厄除け」のため「如意輪観音菩薩」を刻み本尊とした。
それが国宝となり秘仏とされたのである。
今年のご開帳は30分刻みで入替制とされた。
と言っても昨年まではよく知らないが…。
今日最初の30分に入れたので9時30分から着席して説法を拝聴した。
そしてその間、その秘仏の「如意輪観音菩薩」を見た。
正直、見惚れてしまった。
こんなに惹かれるお姿があるのかなと。
なので説法が終わってからも退出時間までずーっと見てしまった。
説法でははっきりとした言葉は避けられてたが「美術品」としては経年劣化しているようだが、やはり仏様として魂が入っているので…みたいな言い方をされていた。
日本の三大如意輪観音はここ「観心寺」、奈良「室生寺」そして西宮甲山「神呪寺」らしい。
「室生寺」は常時開帳で私もお詣りして拝ませてもらったことがある。
「神呪寺」のご開帳は5月18日のみである。
曜日の関係で今年は行けそうにないが近いうちに行きたい。
ちなみに説法ではお話しされていたのは「如意輪観音」の六臂はなぜ六臂か、それは六道を表しているらしい。
かつて調べたことがあったか、読んだことがあったが、聞いたことがあったかも知れないので、おそらく知っていたはずだが改めてそうなのかと思った。

参内して改めて感じたのは「観心寺」は大寺院である。
境内が広い。

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陽が射したり雲がかったりしたが、ここの青紅葉も美しい。
京都に赴任して京都にばかり目を取られていたが、奈良でもなく神戸でもなく、大阪にもこんなにも素晴らしい寺院があることは誇りに思うし、なにせ飛鳥時代の流れをひくから歴史が古い。
もっともっと大阪に目を向けなければと思う。

しかしこの頃どの寺院に言っても思うことは開かれた時とその後の時代に関わりによって寺院の性格も変わっていく。
以前も書いたが「四天王寺」なのに「親鸞聖人」の像が、この前の「青蓮院門跡」にも同じ「親鸞聖人」の像があったりして驚いた。

ここ「観心寺」も修験道から真言密教、そして宗派の変更ということではないが鎌倉時代末期、楠木正成が大きくこの寺院に関わったようだ。正成が8歳から15歳まで修行したようなのだ。
なので正成の首級はここに届けられ、塔頭の「中院」は正成の菩提寺となったようだ。

そんなことをパンフレットを読みながらネットで調べながら、自分の微かな知識と合わせながら、境内を廻ると楽しい。

当たり前だが、歴史は常に動いているのを実感した。
「観心寺」のパンフレットの巻頭にはこんな記載があった。
その通りだなと。
「過去を追うな 未来を願うな 過去は すでに捨てられた そして未来は まだやってこない ただ 今日なすべきことを熱心になせ」

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室町義教 /『風の時代』の到来とともに流されたサラリーマンが再挑戦する葛藤を綴る
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