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教育の重要性って…#日本語教師

今日の話は、わたし自身その答えを知っているわけじゃなくて、すごく気になってるテーマで、半分ぼやきみたいな内容なんですが。

わたしは4月から今まで技能実習生の送り出し機関でアルバイトのような形で働いています。文法を教えたりするのはベトナム人教師で、わたしは短い会話授業だけです。少ない授業ではあるのですが、学生たちに教えていて感じたのが、以前働いていた日本語学校の学生より教えるのが難しいということです。
なぜか。

最初は次の3つが問題だと思っていました。
 ①ネイティブの話し方に慣れていない
 ②わたしのやり方に慣れていない
 ③昔勉強したことを忘れていて定着していない

①は環境的にしかたないし、②は今までも新しいクラスを持つと起こりえたことです。③はコースを作る上での失敗だと思います。(この機関では日本語教育の専門がコースを作っていなかった)

また、今までとは環境が違うことから、自分の教え方がまずいのかもしれないと思って、流れを考え直したり、レベルを下げたり、ベトナム語の説明も加えてみたりなどしてみました。

しかし、1か月もやれば①②はある程度慣れてくるはずで、成績上位の学生たちは実際にかなりわたしとのやりとりに慣れてきていました。問題はその下からの学生です。

 ④同じ文をくりかえし練習しても、何度も同じところで間違える
 ⑤授業の流れを理解できない
 ⑥周りの学生たちがベトナム語で教えても説明が理解できない
 ⑦集中がまったく続かない

態度だけ見てると頑張ろうとしているのは伝わってくるのですが、あきらかにからまわっているのです。⑤⑥に関してはカンが悪いというのか。たとえば練習をするとき、最初によくできる学生を指名して答えてもらい何をしたらいいのか例を見せて、つぎ、つぎ、と学生を指名していけば、最後のほうに当てられた人は同じ流れで答えられるはずです。でも、後回しにした学生たちはキョトンとしていて、結局まわりの学生が答えを言ってしまい(それにすら反応できていなくて他の学生が何度も教える)リピート練習で終わってしまう。

それで思ったのが、「学習=訓練」だということです。


たとえば紙に次のように書いてあったらどうでしょうか。

5+2=☐
3+4=☐

説明がなくても、☐に「7」と書くんだろうなとわかりますよね。

5+☐=7
☐+4=7

これだったら「2」や「3」を書いたらいいとわかると思います。

でも、それがわかるのは今までそんな計算の問題をやった経験があるから「きっとこうすればいい」と予想して答えることができます。たとえばこれが、まだ数字の概念を覚えたばかりの幼稚園児だったとしたら、「+」の考え方を先に教えないといけません。

大人が複雑な思考をしたり、学習したりすることができるのは、簡単な練習からはじめて問題を解くパターンを蓄積したからです。新しいことを考えるとき、今までなかった問題を考えるときも、これまで経験したパターンを当てはめて対処できます。知っているパターンが多い方がいろんな問題に対応できるし、こなした数が多ければ解答の正確性やスピードが上がります。
(すみません、この辺のことは養成講座で習ったことをふわっとまとめているだけで、専門的な見地に立ってない人間の書いてることでございます…)

話を戻すと、目の前の学生たちは今までに経験したパターンが圧倒的に少ないのではないか?ということです。学習習慣がないから、授業で何をしたらいいのかがわからないし、覚えようと思っても覚え方もわからない。集中力も続かないし、興味もわきにくい。

なぜなら、彼らの出身はベトナムの田舎で、しかも高校を卒業したばかりの学生が少なくないからです。正直言って、ベトナムの教育事情はだいぶマズいです。教師が延々と話して学生はメモするだけの知識詰め込み型だし、教師は絶対的な立場で学生は従うしかないし、いい成績をつけてほしければ…わかってるよね?というのが当たり前に行われているそうです。

彼らの持っている能力が低いとかそういうのではなく、完全に構造上のミスで学習する訓練を受けられてないせいでワリをくっている。これから日本へ行っても、単純労働でベトナムの水準以上の給料をもらって、国に仕送りして満足するだけ。もちろんそれで家族は助かるのだけど。実習から帰ってきてからベトナムでいい会社に入っている優秀な人にも何人も会ったけど。日本語も特別なスキルも身につかず、国に帰ってもその先に何も続かない人がほとんどになるんだと思うと、やるせない気持ちになってしまいます。

今、目の前の学生たちのために何をすればいいんだろう?というのは教師としていつでも持っているテーマです。でも「それだけで足りるのかな?」という疑問があります。わたし一人では目の前の学生さえ、どうやっても全員を救えないけど、教育の仕組みそのものが変われば、状況はもっとよくなるはず。

じゃあ、どうやって?
自分自身がきちんと社会のこと、教育のこと、学ばないといけないし、考えないといけない。しっかり理論を知って、根拠をもって、影響力のある人間にならなければいけません。さすがに、違う国の教育機関に乗り込んで行って「この国の教育は間違っている!」なんてやるつもりじゃないですけど。わたしが日本語を教えた学生とか、指導した日本語教師たちに何かしら伝わるものがあればいいなと考えています。

日本語教師になりたいと思ったとき、こんな問題について意識していませんでした。日本語教師になってからも、学校教育と日本語教育とは切り離して考えていました。でも「教育」の世界はつながっていて、教育は働くことにもつながっていて、けっきょく社会全体の問題なんだなとわかってきました。

さて、どうやってまとめよう…。教育分野で活躍されてる方をフォローしたり、記事を読んだりしているのはそういう理由でございます。みなさんから勉強させていただいております。

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今日は記事の内容が重ったらしくはぎれの悪い感じなので、見出し写真をかわいい子猫にしましたw

ホーチミンには猫カフェがあったりして、猫が好きな人も多いです。わたしは猫好きですが、狂犬病と雑菌とダニが怖いのでどれだけ可愛くてもあまり触らないようにしています。猫、モフりたい…。




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