ここがわたしの夢の国
ついにその国に到着した。飛行機から出た瞬間に湿気の多い暑さを感じる。天井は低く、壁は所々が剥げていた。観光ツアーの客引きが後を絶たない。発展途上国らしい空港だ。首にレイをかけてくれるような演出はないが、海外で働くという長年の夢がはじまった。初日から洗濯機が壊れ、大量のハエが発生し、シャワーの排水口から水は流れなかったが、夢を叶えている瞬間のわたしは無敵で、ハプニングさえ楽しく感じる。
暮らしに対応できるようになると週末は毎週出かけた。ある日は海、ある日は川、ある日は山へ行く。海ではダイビング、川では舟下り、山ではポニーに乗る。ポニーに乗るのは少々疲れた。悪いのはポニーではない。案内人との最後の会話が疲れた。最初のうちは、楽しく会話をしながら乗っているが、到着地が近づくとそれとなく家族の話をしてくる。「うちは大家族で朝から晩まで夫婦で働かないといけない。ああ、本当に大変だ、大変だ」身の上話をしてくるのは最後に高いチップをもらうためである。初めて乗った時に渡したチップは少なかったようで不満そうだ。ため息をついているので慌てて追加したら大喜びした。次に乗った時は、最初から多めに渡したがやはり不満な顔をする。一回目は不満気にするのがお決まりなのだと分かった。
その国ではどんな感情も隠さずに表現する人が多い。日本で「ハウ アー ユウ?」と聞く習慣があったら多少体調が悪くとも「アイム ファイン センキュー」と答える大人が多数を占める気がする。日本でのわたしは苦しいことがあっても誰にも伝えずただ仕事に没頭した。一時だけでも負の感情が隠れる。父親が重い病気にかかった時でさえ何事もないように働いた。今となればもっと誰かに甘えても良かったと思う。そうすればもう少し早く悲しみが消えたかもしれない。
その国で「グッド」「ソーソー」「ノット グッド」「バッド」その他、様々な答えを持って良いことを知った。確かにそうだ。年がら年中調子がいいなんて人はこの世にいるのか疑わしい。わたしも数カ月が経ったところで「睡眠不足だ」などと答えるようになった。そうすると何かあったのかと話を聴いてくれる。ある時は「とても悲しい」と答え就業中だったのに涙が溢れた。遠距離恋愛していた恋人と上手くいっていなかった時のことだ。彼らは私のために歌を歌い、エアギターを弾き、想像の中で恋人を八つ裂きにして味方をしてくれた。翌日には泣いたことをからかわれたが、あの時励ましてくれたことはとても感謝している。
職場で「会社にいいなと思う人はいるか」と質問したことがある。そこにいた全員が、「自分」と言った。つまらない回答だ。「会社以外でいいから誰か言って」と迫ったが本当に思いつかないそうだ。わたしなら適当な人気のある上司の誰かのことでも答えただろう。
今、わたしは日本という先進国で生きている。チップはないので不満な顔をされる心配はない。職場の仲間は自分の機嫌を自分でとることが出来るので「ハウ アー ユウ?」と聞くことも聞かれることもない。でもわたしは聞かれなくても躊躇せず「体調が悪い」と言えるようになった。すると優しく仲間が助けてくれる。「会社にいいなと思う人がいるか」と聞かれたら迷わず「自分」と答えよう。自分以上の素敵な人は会社にも他にもいないと思える。
夢が叶った後の現実世界を生きるのは多少辛い。時々、その国での生活が恋しくなる。きっとそう思えるくらいがちょうどいい。次に訪れた時にまた洗濯機が壊れたらその時はさすがにクレームをつける。「Huwag magbiro!」