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【東欧旅行記】 トルコ滞在中にガザの戦争勃発で命の危機を感じた

こんにちは

ドイツ・ミュンヘンに留学中の大学生、桜です。

前回に引き続き、東欧旅行記はトルコ・イスタンブール編です。
今回はいろいろと想定外なことばかりで、外国にいることを実感する滞在でした。



トプカプ宮殿


続いてやってきたのはトプカプ宮殿。

メフメト二世のコンスタンティノープル攻略後、そこがイスタンブルとして帝国の都となったときに建設された、オスマン帝国君主の住居です。


門をくぐって宮殿内部へ

チケットは、この門の手前のカウンターで33ユーロほど(通貨はトルコリラ)で購入し、また日本語の音声ガイドも用意されていたので利用しました。
※この音声ガイドですが、パスポートを預けて機械と交換するシステムで、パスポートを人質にすることに少し不安はあったのですが音声ガイド返却時に無事に返却されました。

ハレム

今回は、トプカプ宮殿の中でも私がかねてからとても訪れたかった、そして
撮影がOKだった、ハレムを紹介します。

現在の日本語の”ハーレム”の語源となった、イスラム教における女性の居室を表す言葉、ハレム。

ハレムでは、スルタンの母后や、スルタンの寵愛を受けるためにやってきた身分の高い女性から奴隷、戦争捕虜に至るまで様々な階級の女性たち、そしてその世話係の宦官と呼ばれる男性たちが共同で生活します。


女性が暮らす部屋
ここも女性の部屋だった気がします

ハレムの女性たちは、スルタンの子を授かると次のスルタンの母后としてハレムを牛耳ることができるため、スルタンのお気に入りになるために礼儀作法から料理、舞踊、文学に至るまで様々な教養を身に着け女性として磨きをかけます。

ちなみに、アリババやアラジンなどで知られるアラビアンナイト(千夜一夜物語)も、現在のイラクに位置するかつてのイスラム王朝・アッバース朝におけるハレムで語られたとされる物語です。
※アリババなどはのちに西洋で付け加えたものとも言われる


ここは宦官の居住スペース
ここも宦官が使った部屋

ハレムに仕えた男性たちはかつての中国と同じように、スルタンの近くで今後力をつけてゆくことのないように、子孫を残せないようにするため去勢された状態でしかハレムに入ることを許されませんでした。

このような男性たちは宦官と呼ばれ、声変りが無かったりそもそも手術の時点で(麻酔などはせずに行うため)ショックや感染症で死んでしまったりしたそう。

古代の様々な国にこの文化は存在したそうです。


スルタンの部屋
スルタンの寝床

そしてこちらが、オスマン帝国最高権力者であるスルタンの部屋です。

ハレムの中でもスルタンのお気に入りの女性は、頻繁にこの部屋に呼ばれることがあったそう。


そして私が何気に感動したのがこちら。


かつてのイスラム世界には、宋の青磁や白磁など中国からさまざまな陶磁器が「海の道」を通って運ばれ、トプカプ宮殿においても日常的に使用されました。

この美しい壁の装飾もおそらくそのうちの一つで、鮮やかな青が今もなお残っていて細部まで見入ってしまいました。


アヤイリニ教会


そして見逃せない教会がひとつ。

4世紀、コンスタンティヌス帝の命によって建てられたアヤイリニ教会。
実はこちら、コンスタンティノープル(イスタンブル)で初めてつくられた教会なんです。


修復が繰り返されているとはいえど、1700年前(日本では古墳時代にあたる)の建造物がいまだに残っているのは驚きでした。

良い音響を利用してコンサートホールとしても使われているようです。

スレイマニエ・モスクへ


続いて、少し離れた丘の上にあるスレイマニエ・モスクへ向かいます。
丘がいくつもあるイスタンブルの地形はとても起伏が激しく、車も人も飽和しきっているので、歩くのがすごく難しいです。


路駐と通行の車でもはや地面が見えない
わき道はこんなに急勾配の階段だらけ
ん・・・?
猫さん
交差点に差し掛かるときに乗車すな

ゆったり歩ける幅の歩道がないどころか、信号もなく、車で道がごった返していて死角に入らないほうが難しいような道を歩いていかなければなりません。

私の経験上、こういう道は独断で突き進むのではなく「現地の人の後ろにぴったりくっついて渡る」が一番安全で確実です。

こうしてたどり着いたのがスレイマニエ・モスク。


内部にはスレイマン一世の霊廟もあります。

礼拝のための手洗い場もありました

イスタンブルの絶景が見渡せる


そしてスレイマニエ・モスクへ行ったら絶対に見逃せないのが、丘の上から見渡す海峡とイスタンブルの街並みです。



連なる屋根の先に見えているのはボスポラス海峡。

イスタンブルを平定したメフメト二世は海峡が狭くなっているここで東ローマ撃退を企て、
かつて不凍港獲得のために南下政策を推し進めたロシアのピョートル一世などはこの海峡の自由航行を目指した、

この歴史的に重要な海峡を見下ろす光景は圧巻です。

対岸には、イスタンブルで一番高い丘「チャムルジャの丘」の上に新しく建てられた、高さ369メートルはイスタンブル一を誇る電波塔「チャムルジャ・タワー」が見えます。

夕暮れの町を歩いて海岸へ


さて、丘を下って下町と海のほうへ向かいます。


やっぱり道の狭さと人の多さが割に合っていない
ヨーロッパではあまり見ない光景に異国情緒を感じる

建物はヨーロッパ風でも、狭い道が曲がりくねっていて少し窮屈な感じがやはりヨーロッパでは見られない光景で目が楽しかったです。


市民の足である船が何艘も発着してせわしない

マジックアワーとでも言いましょうか、ちょうど空が薄いピンクに染まって綺麗な時間帯でした。


少しずつ日が暮れていく

暗くなってくると少しずつ街の明かりも見えだし、橋も光って夜の景色に移り変わっていきます。

この頃はホテルに帰ってニュースに震え上がるとは思いもよらず・・・


早々に出国しないとやばいかもしれない


外食をする気力も残っておらずKFCを買ってホテルに帰ると、思いもよらぬニュースに危うくスマホを落としそうに。

そこには「ハマス イスラエル奇襲攻撃」の文字が。

そして、明日ホテルのすぐ裏のモスク(おそらく窓から見えているモスク?)でパレスチナ支持の大規模なムスリムの集会が行われるとの速報が入りました。


あとから見つけたツイート。ホテルのすぐ近く。

日頃、比較的安全なドイツ(しかも治安のいいミュンヘン)で過ごしているだけあって、さらにトルコはシェンゲン・EU圏外というだけあって、

さすがに身の危険を感じ大使館の「たびレジ」登録を済ませていることを確認、
今日は早く寝て明日はあさイチで空港に向かおう、ということに。


焦りすぎて、覚えているのは朝から道端に野良犬(しかも大型犬)が異様に多くて怖かったということと、


最後にわたったボスポラス海峡の海と空がとても綺麗だったということくらい。

こうして逃げるようにトルコから飛び立ちました・・・

とはいえど、初めてのトルコ旅行。
景色も食も存分に楽しめた二日間でした。
次行くときはカッパドキアまで足を延ばしたいな


続いて向かうは今回の旅行最後の地、ギリシャ・アテネ

さすがに旅の疲れも見え始めたころですが頑張ります

それではまた!

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