森鴎外も学んだ東ドイツの小さな街・ライプツィヒにて
こんにちは。
ドイツ・ミュンヘンで留学生活を送る大学生、桜です。
昨日ベルリンで年越しをしたばかりなのですが、新年早々やってきたのはザクセン州最大の都市・ライプツィヒ。
森鴎外も学んだ小さな町を、ふらっと歩いてみました。
ヨーロッパいちの駅
前回のベルリンで年を越し、新年早々やってきたここ、ライプツィヒ。
到着早々、駅の美しさに魅了されてしまいました。
実はこのライプツィヒ中央駅、2021年の「European Railway Station Index」というヨーロッパ内の駅を様々な要素をもとに評価しているランキングで、なんと1位に輝いた駅。
駅に併設されたショッピングモールも綺麗にライトアップされていて、さすがはヨーロッパ1位の駅でした。
ライプツィヒを出るときにもこの駅から電車に乗りましたが、光に照らされた夜のほうが私は好きです。
ということで、ベルリンをお昼に出たので到着したのはもう夜。
今回止まったのはここ。
年始の閑散期だからか、19ユーロで泊まることができました。
部屋もすごく綺麗だったし1階ではコーヒーやココアを飲めたし、おそらく普段は結構値段が張るホテルと言う感じ。
しかも感動したのが、写真奥のヒールの靴みたいな形をした緑のやつ、浴槽だったんです。
シャワーと離れていたのが玉にきずですが、本当に久しぶりの湯船に感動しました。
今日の夜ご飯はケンタッキー。
年始だからか開いているお店が少なくて、唯一空いていたのがKFCでした。
旧東ドイツだったここライプツィヒで、西側の象徴KFCの美味さに感心。
新年早々大ニュース
翌朝。
速くホテルを出て観光しようとしたところ、テレビから信じられないニュースが。
羽田で飛行機が燃えている・・・?
しかも画面下には同時に能登の速報。
全世界で放送されているBBCのニュースで、一面が日本の(しかも不幸な)ニュースで埋め尽くされていて、遠いドイツにいてこんなにありありと日本のニュースに触れることなんてない私はひたすら驚くばかりでした。
心配になって母に連絡すると、日本でも能登と羽田でテレビが埋め尽くされていたそうで。
この時の焦りを、昨日のことのように思い出します。
ライプツィヒの街
天気はどんより曇り空。
東ドイツ特有の信号、アンペルマンを見ることができました↓
歩いていると足元にはシュトルパーシュタイン(躓き石)。
これは、第二次大戦中にナチの迫害を受けた人々が住んでいた家の前に多くあるもの。
通りすがる人々がこの石を気に留めて覗き込むことで犠牲者に頭を下げるように、このような「躓き石」が考案されたそうです。
街中はクリスマスの装飾が残っています。
ライプツィヒ旧市庁舎
宮殿のようなこの市庁舎は、ドイツを代表するルネサンス建築とされています。
諸国民戦争までのライプツィヒの歴史に関する展示がある歴史博物館が入っており、バッハの肖像画もここで見ることができるそう。
ただし新年早々市庁舎が開いているはずもなく、広場を見て回るだけで終わってしまいましたが…
飲食店が立ち並ぶメインストリートも、正月休みでがらんとしていました。
ライプツィヒらしい綺麗な建物を見つけたので載せておきます。
聖トーマス教会
ライプツィヒを語るうえで欠かせない人物が、「音楽の父」と呼ばれるドイツの偉大な音楽家、ヨハン・セバスティアン・バッハです。
そんなバッハがその人生の半分以上を音楽監督として過ごしたのが、ここライプツィヒにある聖トーマス教会。
音楽が好きな私の友人は、ここでの演奏を聴くためにミュンヘンからわざわざライプツィヒに通い詰めるほど、バッハファンにとっては聖地のような場所。
教会正面にあるのはバッハの銅像。
この街では至る所でこのバロック音楽の巨匠の姿を見ることができます。
中は赤が美しい装飾と、
そして色とりどりのステンドグラス。
なんとここにもバッハの姿を見ることができました。
実はこのガラスはバッハに捧げられて造られたものだそうです。
ステンドグラスに見惚れていると、オルガンの演奏が始まり、知らない曲でしたがしばらく聞き入ってしまいました。
そういえばドイツ留学に来た初日、荷物一つ預けられずホテルの入り口すら見つけられない自分の無力さに絶望し、ふらっと入った教会で突如流れたオルガンに涙が出そうになったことを思い出しました。
そして聖トーマス教会には、ライプツィヒでその生涯を終えたバッハのお墓もありました。
諸国民戦争記念碑
時は1813年。
ドイツ東部・ライプツィヒ郊外にておこったのが、諸国民戦争、別名:ライプツィヒの戦い。
当時フランス革命の勢いに乗りヨーロッパを席巻したナポレオンと、傍から見れば単なる侵略行為を行っていたナポレオンやライン同盟に抗ったプロイセンやオーストリアら連合軍の戦いは、ナポレオン側のザクセンが連合軍に寝返ったこともあり連合軍の勝利に終わります。
連合軍がパリに入城し、ナポレオンは退位、彼の没落が決定的となった出来事でした。
この戦いによってドイツがフランスから自由になったことを記念して建てられたのが、諸国民戦争記念碑。
中心部からトラムに乗ってやってきました。
お土産屋さんにはナポレオングッズが多くあったのですが、どちらかと言うとナポレオンって敵扱いされるべきなのでは・・・?と思ったり笑
上部の兵隊たちがかこっている部分は展望台になっていて、前方の庭園や遠くの町を見渡すことができます。
戦いの様子を描いたかのような壁。
中段からの様子はこんな感じでした。
晴れていればもっともっと綺麗な景色を見られたんだろうな、と、もう慣れてしまったドイツらしい天気に半ばあきらめの気持ち(笑)
14世紀に栄えた小さな町・ハレ。
帰りにもう少し寄り道しようと思い、ライプツィヒ近郊の街・ハレへ。
ライプツィヒの駅のアジアンテイストのお店で買った焼きそばとチャーハンが美味しかったです。
到着したころにはもう日が下がってきていました。
クリスマスはもう過ぎたものの、新年もまだクリスマスマーケットが残っていました。
ここへ来た目的は、このマルクト教会。
実はここ、ハレ出身の「音楽の母」ヘンデルがオルガンを演奏し、ルターが説教をした教会。
そしてなんと、ルターのデスマスクがあるらしいのです。
ルターのお顔を見てみたくて来てみたはいいものの・・・
なんとマルクト教会、開いておらず。
結構落ち込みました。いつか再び…!
クリスマスマーケットを通り過ぎて次の場所へ。
旧東ドイツとは思えないメルヘンな街並み。
新年早々観光客で賑わうはずもなく、街はがらんとしていました。
人でごった返しているよりこっちのほうが私は好きです。
ヘンデルの家
たどり着いたのは、音楽の母ヘンデルの生家。
ヘンデルは人生のほとんどをロンドンで過ごしましたが、生まれた家であるここには彼の生涯についての展示があるそう。
ちなみに私は中世の音楽に明るくなく、へぇ~というくらいで通り過ぎてしまいました。
好きなものもあれば興味のないものがあってもいいので、また興味がわいたら勉強してみようかな、くらいの気持ち(多分しない)…
それにしても、一日で音楽の父・音楽の母の二人のゆかりの場所を廻れるのは音楽ファンにとっては嬉しいですね。
モーリッツブルク城
ヘンデルの生家からほど近い場所にはモーリッツブルク城が。
三十年戦争などで破壊されて廃墟と化し、20世紀からは美術館となっているこのモーリッツブルク城。
同名のお城がドレスデンにもあり、そっちのほうが有名らしいのですが…
そして最後に、夜のハレの町の様子をお届け。
クリスマスの雰囲気が残っていて、いかにもドイツらしい街、と言う感じでした。
ルターのデスマスク、みたかったなあ~~~
音楽の父母よりもルターのデスマスクが心残りでならない、つかの間のハレ滞在でした。
ということで、新年ライプツィヒ、ハレ編でした。
それではまた!