【雑感】日本国憲法について 考えるための小さなヒント
まえおき
少し前に憲法について学ぶ機会があった。講師は「憲法というものは国家権力を縛り、国家権力から国民を守るもの」と言っていた。うん。前にそういう話、聞いたことあった。自民党の憲法改正案は、その理念からかなり離れていて、実際の文言も国民の権利を減らす方向になっている、と。うん。それもツイッター(今はXか)で読んだこと、あった。
現在、国会審議もなしに批准されようとしているパンデミック条約。WHOが「パンデミックだよ」と宣言すれば日本国民の行動制限、ワクチン接種が義務付けられてしまう恐れがある。その時に改憲されていて、緊急事態条項が盛り込まれていれば、WHOの「パンデミック宣言」によって緊急事態が発令されて、選挙も何もかも「当分の間」行われなくなる。それがホントにアブナイ。ざっくりいうとそういう趣旨の勉強会であった。他にも憲法の細かい条文などについても解説があったのだが、それは今回は割愛する。それから、下記の議論は、今回の講師に影響を受けたものではない(肯定的であれ、否定的であれ)。元々そう思っていて、今回講師の発言をきっかけに、自分の中で言語化できたものを自分のための記録として残しておく。そういう趣旨の記事。だから荒削りで抜け落ちているものもいっぱいあると思う。でも、まあ、それも今のありのまま、ということで。
自民党の改憲案に手放しで賛成するつもりはないし、確かに緊急事態条項についてももっと国民が広く議論する必要がある、と思う。もちろんパンデミック条約の国会の審議なし批准なんてもってのほか、だ。そんなことをしたら、日本国民がワクチンのモルモットにされてしまう。毒ワクチンを他国に際限なく輸出するような国になってしまう。だけど…今回引っかかったのは、そういうことじゃ、ない。主に日本国憲法の前文ってやつに引っかかったんだ。いろんな意味で。というわけで、衆議院HPに掲載されている日本国憲法 前文を見てみよう。本記事の目次も載せておきます。
日本国憲法 前文
人類普遍の原理?ホント?
→→→日本国民の自由や主権は実質的に日本政府が保障している
「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」「これは人類普遍の原理」である。ん?でもそれってリアリティから外れていないか?実際には国民主権や国民の権利(参政権・言論の自由・信教の自由など)は「国家が保障してくれている」ものであって、どこからか「付与」されたものでも「自然に与えられたもの」でも、ない。例えば、C国は?ウイグルの人々もチベットの人々にも実質的に信仰の自由はない。北朝鮮にも田舎に住んでいる人々には移動の自由はない。日本国民の自由や主権は実質的に日本政府が保障してくれているのである。だから日本国民は日本政府に責任を持つ。どのように?選挙によって。
よく考えれば、当たり前のことだ。
その当たり前のことを美しい言葉で、最初に否定している。人類普遍の原理だと言って。
フランス国民は革命を起こして、王を殺害してまで、力でもぎ取ったものだ。そういう国ではこれはリアルなことだ。これを保障する国家を作ったという自覚があるわけなので。アメリカ国民は自由をイギリス政府から勝ち取った。そしてその自由を国是にした。だから得られた権利を保つために、何をしなければならないか、そのためにどんな犠牲を払う必要があるか、常に自覚的、だ。そのための選挙であり、そのための法律、だ。
天から降ってきたような『基本的人権』に『国家権力からの自由』。何に自覚的になれば良いか、わからないままの国民。これでいいのかな?
他国が平和を愛し?他国を無視しない?ホント?
→→→ミサイル実験をし国連の裁定を無視している国が隣国たち、だ
上記に書いた憲法勉強会で講師は「日本国憲法は珍しく他国のありようも規定している。こんな憲法は他になく貴重である」と言っていた。他国を規定するのは、自由である。国家の品格を格調高いものに規定し、他国を信頼する。それもまた、美しい。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なもの」。
しかしながら北朝鮮は日本国の主権を侵して拉致事件を起こし、ミサイル実験を継続している。中国は南沙諸島の領有権を国際裁判所で否定されているにもかかわらず人工物を作り続け埋め立てを続けている。わが国尖閣諸島への侵入行為もよく知られている通りだ。ロシアは臆面もなくウクライナに侵攻した。
このように現実は我が国からの信頼を損ねているのが隣国たちなのだ。
ヘラヘラ言いなりのキッシーや、シェーシェーいう外務大臣がいたのでは、力による現状変更を試みている隣国を抱える現状では、ただただ舐められるだけ、のように思うのは私だけだろうか。
この理想を実現しようとすれば、日本の政治家はもっと強く、格調高くある必要がある。そして外交姿勢も「あなたたちは自分たちのことばかり主張し、国際協調に欠けていますよ」「そんなことは恥ずべきことですよ」と。諭す立場であるべきだろう。
でもそうはできていない。これは政治家の責任だけではない。それを選んでいる国民の責任でも、ある。また軍隊を持たない弱さでもある。
「憲法は国家権力を縛り、国民を国家権力から守る」?ホント?
→→→前提は国家と国民の分断
「憲法は国家権力を縛り、国民を国家権力から守る」ものだという。そこには潜在的に「国家と国民は対立するもの」だという前提がある。ん?それも、日本の伝統とはかけ離れているような。
例えば、昔は結婚式によく謳われた、あるいは、舞われた高砂。これはお爺さんとお婆さんの神様が「良い為政者が立派な治世をする時代に生まれて幸せだ」という喜びの舞いと謳いだ。それから仁徳天皇の民の竈(かまど)の逸話。日本国民を「大御宝」と呼んだ古代日本。時代はずっと下って江戸時代。お江戸のみんなは公方様(=徳川将軍)が大好き。江戸っ子は公方様のお膝元に住んでいることが誇りだった。江戸城はお江戸の女子の人気の職場だった。行儀見習いできて、いいところにお嫁に行けた。難波っ子は太閤さん(=豊臣秀吉)、京町屋の人々はお上(=天皇陛下)に愛着があった。さらに時代は下る。日本統治時代に教育を受けた韓国のお爺さんの民主主義観。それは明治時代に日本に留学して大学を出た、件のお爺さんの、そのまたお爺さんから引き継がれたもの。そもそも日本に端を発するもの。
もちろん、一国民vs国家権力という構図で見れば、国家権力の方が膨大なので、国民は保護される必要がある。だけど…その考え方の根拠は、遠い異国の血生臭い革命だ。
いや、そうじゃない。日本国憲法の場合は、これが制定される直前にあった、大東亜戦争の大敗。例えば特攻などで失われた若い命。空襲や原爆で虐殺された無辜の日本国民たち。たくさんの命が失われた沖縄戦。「残された人々が幸せに生きることができますように」と散っていった兵隊、軍人。
人々には「騙された」という思いも少なからずあっただろう。戦時下ではどんな国でも情報統制する。実際に戦況を真逆に楽観的に知らせていた。騙された、と受け取られても当然だ。
そうして一方で「残された人々が幸せに生きることができますように」という純粋な思いで戦って亡くなっていった人々。それらをすべて「騙された」と言い切ってしまっていいものか、どうか。
GHQは有無を言わさず…「国家が国民を騙した。戦争に駆り出し、結果として3%にあたる国民を国家の名によって殺した」のだ、と断定した。それまであった国家と国民の紐帯は壊れたとも言えるし、壊したとも言える。もう二度と騙されないように。国民に為政者を「見張らせる」。二度と戦争をしないように。国家と国民が分断していることを前提とし、そして国民はそんな国家より、他国を信頼する、という倒錯。自分たちを尊重し侵しはしない、と。自分たちが侵さないのだから、と。
もう一回言う。
そうして一方で「残された人々が幸せに生きることができますように」という純粋な思いで戦って亡くなっていった人々。それらをすべて「騙された」と言い切ってしまっていいものか、どうか。
なんかヘンじゃない?
何かこんがらがっていない?
私は、あまり、頭がよろしくないので…まだ、こんがらがりが解けていない。
国家と国民を分断する置き土産?
この憲法の前文は、私には装置のように見える。GHQが残した装置。何かを混乱させ見えなくさせ、国民が国家ではなく、他国を信頼する装置。
そうすると、左翼はバッチリGHQの思惑に乗っかっている、と明らかになる。グローバリストたちも。そもそも国家や国民を崩しにかかっている。
それから…日本の政治家や官僚が日本国民に冷たい理由も、「あ、戦後数十年、ずっと日本国民から信頼されず、ずっと『敵』と思われてきたら、そりゃ、そうなるよね」と、たちまち了解する。
少し話は飛ぶけど、人事院の理念、なんかヘンじゃない?ここには日本国民の生命・財産を守る、とも、国民の安心安全も、まったく出てこない。かろうじて国民の幸せは出てくるけどね。ま、理念じゃなくて『ミッション・ビジョン・バリュー』なんだけどね。人事院総裁は令和3年(2021)からマッキンゼー出身、元早稲田大学教授の女性が担っている。せめて「日本国民の生命・財産を守り、国民の安心安全を生み出せる人材の育成と確保」とか「国民の信頼と付託に応える職務の創造」とか書けないのだろうか?それともこれも「あ、戦後数十年、ずっと日本国民から信頼されず、ずっと『敵』と思われてきたら、そりゃ、そうなるよね」の現れの一つなのだろうか?
だから…何かを切り分けないといけない。何かを精算し、混乱と混沌から抜け出さないといけない。
誰が?日本国民が。先の戦争とは何だったのかを振り返り、混乱と混沌から抜け出す。煽動とかではなく。一人一人が自ら考えて。
(いえ、私がとけていないだけかもしれないのですけどね。こんがらがりを)
それでも日本国民は現行憲法が大好き!
多分ね、日本人は、大好き、なのよ。他者を信頼することが。自分も他者も信頼に足る、いい人でいることが。そして身内(=自らの国家あるいは自国民)に厳しい。他人(=他国)に親切で、他人(=他国)を信頼する。
天が保障するかのような…
どこまでも人権が尊重される。どこまでも自由がある。そして平和。
もちろん、それは素晴らしい。世界中どこよりも治安の良い国。財産も保障される。法治国家。
いきなり「大御宝」になっていた古代日本人のように。どこまでも人権が尊重される。どこまでも自由がある。そして平和。
だけど、元首相が暗殺される国に成り下がった。ろくな捜査もされていない(ように見えてしまう、一般国民には)。
2021年以降、パンデミックそのものではない理由で多くの日本国民が亡くなっていてもろくに調査もしない、政府。自治体。
人権を制限する、とか、自由を制限する、とか。
そうじゃない。
この憲法は幻の上に成り立っていて、倒錯の上に成り立っている。
もしかしたら、昔の日本人が為政者に愛着を持っていたように、日本国憲法に愛着を持って、これを守っていれば、無条件に平和や基本的人権が守られるとでも現代日本人は思っているのだろうか?
国家と国民が協力し合う。健全に。多分韓国のおじいさんが言語化してくれたことを体現するような、そんな憲法が日本にはふさわしいと思う。もちろん、その言説だって絶対ではない。それをヒントにさらに考えを深めていく必要があるだろう。あるいはもっと全然別の考え方も広く見てみる必要があるかもしれない。きっと現代の日本にふさわしい、国家と国民が健全に協力し合う憲法を日本国民自身で生み出すことができる。そう私は思ってるのだが、みなさんはどう思いますか?
私は、まだ、旅の途中…。
日本国憲法の英訳:というか原文??
ご参考までに。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
下記が一番シンプルそう。「日本国憲法に、大日本帝国憲法、教育基本法、児童憲章、英訳日本国憲法、日米安全保障条約の全文を収録した新装版」とのこと。
下記本もなかなか興味深そう、と思ったが、実際に手に取ってみると、クセが強そう。上記の本の方が良いかもしれない。判断保留中。
下記『衆 議 院 憲 法 調 査 会 に お け る「 国 民 の 権 利 及 び 義 務 」に 関 す る こ れ ま で の 議 論』は近々に読んでみたいと思っている。読み込んではいないが、パッと見では、基本的人権などを制限する方向のまとめ方のように感じた。いや、そこじゃないのよ。国家と国民の協力関係よ、肝心なのは、と思ふ。平成17年(2005)作成。これも20年も前のものだ。